55年連れ添いの伴侶の死から何を学ぶか(10)経営教訓(4)悦子との夫婦人生最大の衝突
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調査報道強化を第一義に選択
「データ・マックスを最大限に強化する道は何か?」と自問自答を繰り返した。今になって振り返れば赤面の思いであるが、「調査報道の復権」との判断を下した。では、具体的にどうするのか。「T(前回のTとは別人物)を取締役に抜擢しよう」という無謀な判断をしてしまったのである。
2019年初頭に行ったこの人事は経営者として最悪の決断であった。このTという人物には、会社設立3年目くらいから外部委託として記事の執筆を依頼してきた。一時的には社員扱いの時期もあったが、本人から「社員として拘束されたくない」との申し出があり、業務委託の契約を結んできたのである。だが、関係が深くなればTとトラブルが生じるのは必然であった。悦子はそのような懸念を見通して、Tの取締役抜擢に毅然と反対の意思を表明した。
貸し付けの踏み倒しで不信感を抱く
Tは一部からは興味をもたれるような記事を書き、注目も浴びてきた人物である。しかし、定期情報の発行による会員収入があるわけでもない。それで本人が食えてきた理由は、当社から月額40万円の業務委託の収入があったからだ。「今回の人事要請で、今までの恩義を返してくれるであろう」と判断をしてしまったのは、なんとも筆者の甘さである。結果的には、単なる「壊し屋」としての素性を社内で暴露したに過ぎなかった。Tを「会社を壊す危険人物」と、当初から警戒していたのは悦子であった。筆者と悦子が知り合って52年目の19年までで最大の方針の激突となった。
借金踏み倒し
悦子の強固な反対の根拠は理路整然としていた。「直さん、冷静に考えてみてください。あのTに何回、資金の工面をしましたか。一度も返済したことはなかったではありませんか。こんな人を取締役に抜擢するなんて会社を潰すようなものです。貴方の頭はおかしくなってしまったのですね」と頑強に反対してきたのである。日ごろ、温厚な女性であったが、その時は別人であった。顔面蒼白、震えながら反対の意思表明をした。ここで筆者も「T抜擢」を思いとどまれば良かったのである。世の経営者の皆さんに一言伝えたい。夫婦で共同経営をしておられる方々は、一方が冷静さを失ったときはもう一方が冷静さを保っている可能性をふと思い出して、自分がはやる気持ちに駆り立てられたときは賢明な奥方の意見に従うべきですぞ!
責任のすべては筆者にある。月に40万円の払いではとても賄いきれないことはわかっていた。Tがあちこちで無心をしているという風評は耳にしていたのである。窮屈になるとこちらに前借りを頼みこむようになる。結果、貸し付けになってしまう。その出所は悦子の資金である。この手の貸し付けはすべて悦子か筆者の資金で賄ってきた。だから彼女の反論は道理に適っているのだ。「借りた金を返さずに何食わぬ顔しているような人間が会社の幹部になるのは危ない、会社を危くする」という主張はすこぶる正当である。結局、この人事にかかわる心労がこの時点から悦子の精神を痛めていたのではないかと後悔している。
身を退くことへ悶々する
18年期の業績が低迷したことで、悦子は自身の身の振り方、また、会社を新時代に対応させるための方策について1人で悶々していたようである。彼女の当時の日記には「もう75歳になる。そろそろ身を退かなければならない。しかし、今の社内の雰囲気を見る限り、改善すべきことが山積しており身動きが取れない」と綴ってあった。このような苦悩から彼女は内勤者に対して厳しい叱責を浴びせることも多々あった。後に記すが、このような状況に対して、Tは「総務部長(悦子)はボケてきた」などとつけ込みすら始めたのである。
Tは誰や彼やと昼食に誘った。社内の情報収集が目的である。一巡すると昼食のメンバーが定まってくる。Tにとって使い勝手がありそうな社員たちだけと会食するようになった。金を貸している悦子の立場からすれば、「金もない癖によくまぁ昼食に連れて行くわ」と腹のなかは煮えくり返るような思いだったろう。だからTとの間で、ちょくちょく言い合いや、小競り合いも始まったのである。19年3月にTが取締役に就任してから1カ月経過した4月の終わりに口論が始まった。
経営能力はなくとも扇動能力は天才
Tは経営能力に乏しい。いや皆無である。だが政治にも首を突っ込んだ経験もあり扇動能力には長けていた。悦子の日記でも紹介したように、当時彼女は悶々としていた精神状態に追いやられていた。その結果、内勤者に声を荒げて叱りなどもした。そのような状況を利用してTは、「総務部長は荒々しくなった」などと社内の雰囲気づくりをする。まさに内部工作の天才である。「総務部長はボケて人が変わった。そろそろ身を退いてもらわないと」という社内世論をつくるために、時間をかけて用意周到に立ち回っていた。会社が好調なときには社員たちもこの扇動には賛同しなかったであろう。
18年の終わりから19年夏までは会社が重々しい雰囲気に包まれていた。この責任は経営者である筆者にある。Tは巧妙に社員たちを集めて社員大会を組織した。11、12月と動きが活発になった。大会決議の趣旨は「総務部長の引退」であった。そして経営陣に対して、結論を来春、正月明けに出すようにと迫った。
(つづく)
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