2024年11月05日( 火 )

55年連れ添いの伴侶の死から何を学ぶか(11)経営教訓(5)喧嘩両成敗の決断

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退社したい気分に浸っていた

ヒステリー女性 イメージ    一連の経過をまとめて記事化するに際して、古参の女性社員から2019年を振り返って感想を聞いた。まず冒頭に結論を語ってくれた。「当時、会社に出たくないな、転職しようかな」というのが偽りのない本音であったそうだ。Tと総務部長とのたびたびの言い争いを耳にして仕事に嫌気がさしていたのである。イライラしている総務部長からは八つ当たりされるが、「こういう風に感情を露にする方ではないのに」と心底をうかがい知ることができなかったらしい。

 「総務部長はボケが進行中」という囁きを耳にすると「そうかもしれない」という雰囲気も社内で高まっていた。社内では「誰と誰かは気が合っている。あの人はTからは相手にされていない」という噂まで飛び交うようになった(こっそり密かにではなく半分、公然と流れていたという意味)。前出の彼女は、「一時は転職しようかと真剣に悩んでいた」と語る。暗い分裂した雰囲気のなかに会社を漫然と放置していた自分がまるで不甲斐ないと反省する。

喧嘩両成敗

 2019年正月、ホテルオークラ福岡のロビーでTと会った。Tは颯爽と胸を張って正面玄関から歩いてきた。筆者の前に座った。一呼吸おいてこちらから口火を切った。「貴方も総務部長も取締役を降りてもらう。要は辞めてもらうということだ。総務部長も定年であるから退職にする。喧嘩両成敗だな」と通告した。Tは一瞬、たじろいだが、「分かった」と言って立ち去った。取締役退任のやり取りがあり、それ以降、彼とは面と向かって一度も会ったことはない。以前在籍していたある女性社員と会食している場面を目撃したことはあったが、それ以来見てもいない。

 悦子も正式には19年2月取締役会議で退任し、非常勤として会社監査役に就いた。出社は週1回となった。毎日、仕事に明け暮れていた生活スタイルから一転して昼間がフリーになってしまう。仕事好きで仕事一辺倒の充実感を突然失った人間が、メンタルの維持に支障が生じるのは当然のことだ。「定年まで一生懸命働いてから身を退くつもりだったのに、理不尽に辞めさせられた。納得できない」というのが本音だったのだ。彼女の気持ちが切れた間隙に不治の病が入り込んできたのかもしれない。

日記の綴り

 悦子が故人になる1カ月前に彼女の日記を発見した。この日記については一度前記したが、退職した当時の心境部分を引用してみる。

「馬鹿な私が頭を使ったのが間違いだった。良かれと思って会社の改善のために叱責したことが逆恨みされた。Tの野望を誰も警戒しなかった。会社の為と思って嫌味も言った。これを逆に悪用されてしまったことは情けない。私は何1つ悪いことをしていないのに辞めさせられた。静かに定年を迎えることのほうが賢明だった。本当に馬鹿な馬鹿な私」と綴ってある。精神的な打撃は相当なものだったのだ。

 週1の勤務になったので呼び出して食事する機会が増えた。酒を酌み交わしながら「仕事を取り上げられた私にはもう生きがいがなくなった」という弱音をきいた。しかし、会社についての情報にはいまだ貪欲さを示していた。心配で堪らなかったのであろう。だが、それも一年過ぎれば会社への興味も冷めてきた感じであった。常勤から外れたので、町内会の会長から副会長の要請があり快諾した。この要職を1年半務めたが、体調不良で辞任した。確かに腑抜けの状態になりつつあった。

 筆者は決して、このシリーズで偉そうな経営教訓鉄則を講釈するつもりはないが、経営者の読者諸氏には、記事として伝える事象がいつどこの会社でも起こり得る切実な問題であるということを感じ取っていただければ幸いである。30年近く経営してきた筆者の愚かな判断が、結果としてALSを発病させて最愛の妻・悦子の寿命を縮めたのである。こればかりは悔やんでも悔やみきれない。

まずは社内意思統一が先決

 2019年の業績は如何なものであったか。まずTの扇動に加担した社員4名ほどが約1年の間に退社していった。と同時に社内が明るくなってきた。社員たちも和気藹々(あいあい)となってきたのである。やはり社員たちの結束を図れば組織は強くなる。比例して業績も好転してくる。新卒が入社してくると社内も賑やかになる。

 来年、迎える設立30周年のハードルを勢いよくクリアできれば、前途洋々の道が切り拓かれるだろう。

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