時代錯誤の東近江市小椋正清市長
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NetIB-NEWSでは、政治経済学者の植草一秀氏のメルマガ記事を抜粋して紹介する。今回は、「現状の日本の教育では新時代に必要な人材を育てることができない」と論じた10月21日付の記事を紹介する。
この国がどんどん力を失ってゆく。日本衰退の原因がどこにあるのか。根源的な原因が教育にある。この国の教育では「覚える」ことと「従う」ことが最重視される。よく覚え、よく従う子どもが優等生。学校は「修練」の場。「上意下達」。先生の命令に従順に従う子どもの養成が目指される。
2006年に教育基本法が改定された。教育の目的が次のように定められた。
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。改定前の旧教育基本法第一条の条文は次のもの。
第一条(教育の目的)
教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。逆の改定ならまともだ。改訂後の教育基本法では「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」を教育の目標とする。
日本国憲法第13条の条文は次のもの。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。改定前の教育基本法は、1人ひとりの子どもたちの「人格の完成」を目指す=発達の可能性を最大限に伸ばすことにあるとしていた。子ども1人ひとりを個人として尊重し、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、自主的精神に充ちた国民の育成が教育の目的であると明記されていた。
改定後教育基本法では、「真理と正義を愛し」「個人の価値をたっとび」「自主的精神に充ちた」の言葉が教育の目的の条文から削除され、「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成」が教育の目的とされた。「個人の人格の完成」を目的とする教育が「国家及び社会の形成者としての資質を備えた国民の育成」が教育の目的に変えられた。「個人のための教育」が「国家のための教育」に変質されたことが鮮明に浮かび上がる。
敗戦後の民主化措置で日本は一変した。その戦後民主化の集大成が日本国憲法だった。しかし、民主化路線は1947年に潰えた。
米国外交基本方針が「ソ連封じ込め」に転換。連動して対日占領政策の基本路線が「民主化」から「非民主化・反共化」に転換した。日本国憲法は転向後の対日占領政策と矛盾を来すようになった。教育における民主化の方針も実態としては転向したといえる。戦前の軍事教練の名残が多くの面で残存することになった。教育の場が「自立した個人の確立を支援する」場ではなく、「国家に役立つ国民を育成する」場であり続けた。
2006年の教育基本法改定はこの変化を条文の上で確定するものになった。義務教育の場は「収容所」に近い。工業化社会において日本の収容所教育は有効であったかもしれない。命令に従順な標準化された人材の養成に日本の収容所教育が適合した。
しかし、工業の中心が新興国に移行したいま、日本の収容所教育の弱みが一気に露呈している。教育が本来目指すべきものは1人ひとりの個人が「考える力」と「発言する力」を養うことだと思う。「自分の頭で物事を考えること」「自分の考えを発信すること」が何よりも大切だ。日本の教育の在り方を根底から刷新することが必要。しかし、いまなお時代錯誤の管理教育を目指す戦前思考の勢力が跋扈している。
※続きは10月21日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「時代錯誤の東近江市小椋正清市長」で。
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