2024年11月22日( 金 )

カジノ賭博で大散財した井川大王製紙元会長 YouTubeで活動再開(後)

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 カジノ賭博で106億8,000万円を熔かした大王製紙元会長・井川意高氏が2023年7月からYouTubeチャンネルを開始した。タイトルは「井川意高が熔ける日本を斬る」。政治経済、経営、グルメ、恋愛などについて独自の視点で語っている。有料メンバーになると、月2回のニコ生(有料チャンネル)ライブ配信の有料部分をすべて見られる。登録者数は約13万7,000人。

復讐するために『熔ける 再び』を出版

イメージ    井川氏が著した『熔ける 再び そして会社も失った』のキャッチコピーは、「ギャンブルよりも血がたぎる、現会長佐光一派による井川家排除のクーデターが実行されていた」。復讐するために出版したというのである。

 井川氏の父親で、大王製紙の「中興の祖」と呼ばれた井川高雄氏は2019年9月19日、心不全ため死去した。享年82歳。

 父の死後、書斎から走り書きが見つかった。井川家を大王製紙から排除した佐光正義氏について、父は次のようなメモを残した。

「佐光とは共死にしても構わない」

 カジノでの使い込みによって失脚した井川氏の後釜として、社長に就いた佐光氏は創業家一族と距離を置くことを決意した。創業家の高雄氏にとっては、社長といえども使用人にすぎない。社長に引き立てたにもかかわらず、「創業家支配」からの脱却を打ち出したことから、高雄氏と佐光氏は全面衝突した。

 『熔ける 再び』によると、佐光氏は一族間の離反工作を働いた。

 〈まさか佐光が自分に牙を剥き、兄弟たちが反目して佐光側に寝返るとは、父は夢にも思わなかった。佐光と三男・俊高が裏で手を握り、残りの兄弟を全員佐光派としてまとめてしまったのだ。高雄が実権を失いかけていると見るや、五男・英高は佐光派に寝返った。

 「オレたちをずっと押さえつけていた兄貴をここで排除すれば、オレたちは今後好き勝手にできる」と考えたのだろう〉(前掲書)

「会社を失う」決定的な瞬間

 特別調査委員会の報告では、国内の連結子会社35社のうち、大王製紙が株式の過半数をもつのは3社しかなかった。32社は井川一族やそのファミリー企業が押さえていた。調査委員会は再発防止策として、大王製紙が連結子会社の株式の過半数をもち、グループをしっかり束ねるよう提言した。大王製紙の経営側は北越紀州を介して創業家側から関連会社の株式を買い取った。その結果、連結子会社の数は事件前と同じ35社に戻った。

 御曹司は『熔ける 再び』で、このくだりをどう描いているか。

 〈大王製紙としては、1日も早く創業家と手を切りたい。井川家がもっている株式を、早いところ全部買い取りたい。なぜなら、ほとんどの大王製紙関係会社において、井川家は大株主であり、大王製紙本体から井川家をパージしたところ、主要の関係会社が連結対象から外れてしまい、上場廃止もあり得るようになったからだ。

 ところが、高雄が「佐光とは取引しない」と言った。困り果てた佐光が岸本哲夫社長に泣きついたのだ。

 結果的に、創業家がもっていた株式は相場の2.5倍もの高値で売却に成功した。本来であれば、140億円でしか売れなかった株式を、トータルで440億円の売却金額を得たのだ〉

 〈大王製紙から井川家を排除し、自らの地位を盤石とするために、佐光は300億円も無駄金を上乗せして会社に損害を与えた。大王製紙の一般株主の資産を、300億円もキャッシュアウトさせ、熔かしたのだ。「他人のカネ300億円で買った社長の座」は、さぞかし温かく心地よいことであろう。これこそ特別背任ではないか。しかも、私の金額の3倍である。有罪とすれば懲役12年だ〉

 御曹司の“暴露本”の効果か、佐光氏は22年6月の株主総会当日に辞任した。だが、創業家である井川氏の家系は「会社を失った」のである。

井川氏は同族後継になぜ失敗したかを語れ

「息子を社長にするのは、いつでもできる。だが、経営者にすることはできない」

 ダイエーの創業者・中内功氏はこんな言葉を遺した。けだし名言である。二代目、三代目への会社継承は、いつの時代でも難しい。

 世襲とは、親がもっている地位、財産、職業などを親から子へ、子から孫へと代々受け継ぐことである。創業者は家業意識が強烈なため、財産をもてば持つほど、権力の座に永く座れば座るほど、マイ・カンパニー(自分の会社)の思いが強くなり、親族にすべてを譲りたがるものだ。

 大王製紙は、御曹司が放蕩三昧で先代が営々と築きあげた身上を食い潰した典型的な例だ。3代目の御曹司・井川氏は、YouTubeで積極的に発信し、若手経営者の相談役になるなど活躍を続けている。それであれば、父親の高雄氏による帝王学がなぜ失敗したのかを語ってほしいものだ。

(了)

【森村 和男】

(中)

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