生コン業界の中興の祖・梅谷藤雄氏(梅谷コンクリート創業者)逝去
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この3年程、体調を壊していた梅谷藤雄氏が昨年12月17日病院で永眠された。享年90歳(1月誕生であるから91歳手前)であった。御身内から次のような話を聞いた。
「体調を壊したので1カ月前に入院させた。ところが突然、体調が悪化して息を引き取った。家族の見送りの時間も十分にあり、親父らしい威風堂々の旅立ちであった。本人は100歳まで生きると公言していたが、悔いのない人生であったと思う」。
死因は老衰。表現を変えれば90歳まで病気らしい病気をしていないということだ。1年前までは週3回、社長室に座っていたとか。現役を全うしたオーナー経営者の鑑である。
生コン業界の牽引役
故人は新宮町出身。実父は地元で土木業を営んでいた。実家が新たに砕石業に乗り出したことで10代の終わり頃には経営補佐として経営の基礎を積みはじめた。31歳の時(1964年4月)に(株)梅谷コンクリート設立、73年2月(株)梅谷商事を設立した。以来、生コン業に携わってきた歴史は60年である。その期間、福岡の業界を牽引する役割をはたしてきた。最盛期、工場は8つを数えた。
1978~80年、第1期目のルネッサンス
筆者が藤雄オーナーと初めて接触したのは78年3月であったと思う。一見して「豪快な叩き上げの事業家」という印象を抱いた。さらに話を聞いてみると、こちらは唸ってしまった。藤雄氏は筆者に対して、生コンの原価から配送していくコストまでの数字を事細かに説明してくれたのである。そして、とどのつまり経営の要諦として、「工事現場に当社の生コンミキサー車が群がるのは利益のロスだ」と切り捨てた。筆者も、ここに利益の根幹があるのだと納得させられるとともに、藤雄氏という人物にも感銘を受けたのである。
この時期は梅谷商事にとって第1期ルネッサンスであった。この3年間に梅谷グループは不動産資産購入を進めていた(現在の本社ビルも当時取得している)。79年であったか80年であったが定かではなかったが、藤雄オーナーが珍しく喜悦満面の笑みを浮かべていた。「日銀再割業者になった」というのである。筆者は最初、ことの重大性がよく分からなかったが、藤雄オーナーの得意絶頂の演説を5分ばかり傾聴した。「なるほど、日本銀行が中小企業である梅谷商事・梅谷コンクリートの手形を再割してくれるということか。九州電力並の評価を受けたのか。凄いことだ」と筆者はことの重大さを知って唸った。恐らく生コン業界では「日銀再割指定」銘柄になったのは福岡では梅谷グループが最初であっただろう。
写経に専念、精神の鍛練
梅谷グループは昔から経営理念に『「社会」を支え、信頼されるパートナーとして』を掲げていると聞かされてきた。正直に言えば、当初筆者は「生コン業者が真剣に理念通りに実践しているのかなぁ」と胡散臭い感じを抱いていた。ところがだ。85年前後のことだが、筆者が社長室に入室したときに目撃したことは、今でも忘れられない。藤雄氏は一心不乱に写経をしていたのである。噂には聞いていたのであるが、実際の姿は初めて目にした。
昔は仏教の経典を増やすにも印刷技術が登場しておらず、写経することによってしか経典を増やすことができなかった。現代において写経の意味は「般若心経を書写すること」を指すのであり、その目的は先祖の供養だけでなく己の精神的鍛錬でもある。想像もしていなかった藤雄氏の鍛錬の場に接してこちらも清々しい気持ちを抱き尊敬の念が高まった。と同時に、日頃の厳しい経営の戦いの場においてすら、さらに「己の精神力を高めることが肝心」という融通無碍の境地に至っている凄味に、筆者は感服した。
故人の精神的鍛練、強い宗教心を知る友人たちは稀有であろう。どうであれ、本人は何も思い残すことなく旅立たれたと思う。
合掌。
【児玉 直】
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