2024年11月24日( 日 )

「心」の雑学(7・前)協力し合う社会を支える協調性の本質とは

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自主的な助け合いの難しさ

    良かれと思って始めた取り組みが、初めはうまくいっていたのに、時間とともに崩壊していたことはないだろうか。たとえば、オフィスのプリンター用紙などの細々とした備品を買うために、共同出資の雑費箱をつくってみんなで運用していた。しかし、少しずつ自分のお金をプールせずに使うだけの人が増えていき、最終的には誰も出資をしなくなり、箱の中身が常に空になっていた。あるいは、最初のころは気づいた人が流動的に掃除をすることで職場の居室が清潔に保たれていたが、いつのまにか一部の同じ人だけが掃除をしており、気がつけば厳密な当番制になっていた、などである。

 このような身近な例に始まり、環境汚染や兵器保有のような国際規模の社会問題など、足並みをそろえて協力し合うというのは、なかなかに難しい。とはいえ、人類が地球上でこれほどまでに繁栄を遂げられた要因の1つが、高度な社会を成立させるための協調性であったことに疑いはないだろう。大規模で協力し合うのは難しいとしても、身内の範囲くらいであれば、少なからず自分を協力に向かわせる何かがある気はしないだろうか。そして、和を乱す人に対しては、嫌悪や怒りを感じたことはないだろうか。今回は、そんな協力に関する現象や心の仕組みを紹介しよう。

社会的ジレンマ

 協力することの難しさに関する逸話として、「共有地の悲劇」を聞いたことはあるだろうか。誰のものでもない牧草地に、複数の農民が牛や羊などの家畜を放牧している村があるとしよう。各農民は自分の家畜の数を増やすほど生産量(収入)を上げることができるが、餌となる牧草は有限である。もし農村全体の家畜の密度が高まれば、牧草が食べ尽くされて牧草地は荒廃し、農民は共倒れになってしまう。農民たちは家畜の数を、持続可能な範囲でコントロールしなくてはならない。しかし、この状況は誰か1人でも抜け駆けして自分の家畜を増やすと、その分だけほかの農民が使える牧草や収入が減るという構造でもある。すると、自分が損をすることを避けようとして、各農民が家畜の数を増やし続けてしまう。その結果、牧草地は荒れ果て農村も滅びてしまう、最悪の結末を迎えることになる。

 個人あるいは個々の組織などがそれぞれ自身の利益を追求する行動をとることで、結果として社会全体が大きな不利益を被る。このような状況や構造は社会的ジレンマと呼ばれ、私たちが協力することの障壁となる。共有地の悲劇は、単なるたとえ話ではない。実際、産業革命のころのイギリスでは、放牧で自給自足の生活をしていた農民が商業へと走ったことで、農村が荒廃する事例が散見されたという。天然資源の利用をはじめとする現代の地球環境問題も、共有地の悲劇を招くジレンマ状況と非常によく似ている。しかしながら、農村や国際問題を例に挙げられると、あまり身近に感じられないかもしれない。実際のところ、このような状況で一般的な人々は、どのように振る舞うのだろうか。そこで、行動経済学などでよく用いられる、公共財ゲームの事例を紹介しよう。

共有地の悲劇を防ぐには

 公共財ゲームでは、複数人でグループをつくり、各メンバーにいくらかの初期額が与えられる(今回は1万円としよう)。メンバーはそれぞれ、手持ちの金額からいくらをグループ(公共)のために支出するか決める。その後、全メンバーの支出額を合計し、それにボーナスを付けてから、全員に均等に配分する(今回は2倍とする)。たとえば、4人グループで、メンバー全員が5,000円を出資した場合は、合計額である2万円を2倍し(4万円)、各人に1万円ずつ分配する。その結果、各メンバーの資産は1万5,000円となり、それぞれは5,000円の利益を得たことになる。一方、極端な例にはなるが、1人の出資額が0で他の3人が5,000円を出資した場合は、その1人の利益は7,500円とより大きくなる。逆に1人が5,000円を出資し、他の3人が0円であれば、他の3人は2,500円の利益を得るのに対してその1人は2,500円の損失を被ることになる。このような自分の出資額を少なくして利益を増やす行為をとる人は、いわゆるフリーライダーと呼ばれる。公共財ゲームは各参加者に対してこのフリーライダーの誘惑があり、まさに共有地の悲劇を再現した状況となっている。

 では、実際にこのゲームでの人々の行動傾向を見ていこう。公共財ゲームは前述の出資と分配が1セットで、これを何回も繰り返していくのだが、回を追うごとに協力の度合い(出資金額)は低下していくことが報告されている1。グループのメンバーが固定の場合、初回は平均で所持金の5割程度を出資していたのだが、その後、協力率が下がり続け、最終的に平均出資額は初回の3分の1程度の金額まで低下してしまった。あくまでもゲームの結果ではあるのだが、共有地の悲劇を避けることは難しいようである。

 ここで、裏切り者に対する制裁(罰)の仕組みを導入するとどうなるだろうか。たとえば出資と分配が終わるたびに、望めば自分が支払った金額の3倍の額を、匿名で自分が選んだ相手の所持金から減らすことができるというものだ。このような条件を加えた場合、回が進むごとに協力は強くなり、中盤以降は所持金の9割以上の出資が維持される超協力的社会が形成される結果となった。ちなみに、毎回グループのメンバーを新たな人に入れ替えた場合でも高い協力率は維持され、最終的には平均で所持金の8割程度の出資が見られた2。制裁の対象となったのは、やはりほとんどが非協力者(グループの平均より出資額の低かった人)である。

 従って、自分の所持金を減らすというコストを支払ってでも、組織にフリーライダーがいればそれを制裁したい欲求が、人にはあるといえる。とくに、毎回メンバーが入れ替わる場合、罰した相手は次回以降自分のグループにはいないので、制裁は自分の直接的な利得には結びつかない。それでも協力社会の和を乱す者がいれば罰する、裏切り者への強い動機づけがあるのである。どうやら人々を協調へと向かわせるのは、勧善というよりは懲悪的なモラルのようだ。

 次回は協力する社会のために、人が身につけたとされる能力を紹介しよう。

(つづく)

1. Fehr, E. & Gächter, S. (2000). Fairness and Retaliation: The Economics of Reciprocity. Journal of Economic Perspectives, 14(3), 159-181.
2. Fehr, E. & Gächter, S. (2002). Altruistic punishment in humans. Nature, 415, 137-140.


<プロフィール>
須藤 竜之介
(すどう・りゅうのすけ)
須藤 竜之介1989年東京都生まれ、明治学院大学、九州大学大学院システム生命科学府一貫制博士課程修了(システム生命科学博士)。専門は社会心理学や道徳心理学。環境や文脈が道徳判断に与える影響や、地域文化の持続可能性に関する研究などを行う。現職は九州オープンユニバーシティ研究員。小・中学生の科学教育事業にも関わっている。

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