2024年11月25日( 月 )

日本はほんとうに独立国か?(中)

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広嗣まさし(作家)

イメージ    日本が自主独立の国であることを認めたアメリカの大統領といえば、私はドナルド・トランプを挙げる。ほとんどの人が、これに気づいていない。

 トランプは秋の大統領選挙に出馬しそうな勢いだ。相手がもうろくしたバイデンなら、勝算は大いにあるだろう。彼のキャッチフレーズは「アメリカ・ファースト」である。一見すると国家エゴイズム丸出しのように見えるこのスローガン、実はそうではない。

 「アメリカ・ファースト」は「アメリカを第一に考えよ」という意味である。どの国の政府も自国より他国のことを先に考えることはしないに決まっている。その意味で、彼の言っていることはわざわざ口にする必要もないことだ。

 なのに、あえてそういうのはどうしてか? それは、アメリカの政界には「世界のためのアメリカ」というイデオロギーが根強いからだ。トランプはそれを嫌っている。「アメリカ人は世界をどうこうしようなどと考えるな。まずはアメリカにとって何が一番大事なのかを考えよ」。これが彼の基本姿勢である。

 そういうわけだから、アメリカがウクライナ側についてロシアを圧迫する戦略をとっていることを彼は非難する。そもそもNATOから手を引いて、ヨーロッパのことはヨーロッパに任せるべきだというスタンスなのだ。

 ヨーロッパの国々にとっては、とんでもない発想である。したがって、トランプが本気で言っていると思っていない。「またトランプのラッパ吹きが始まった」とタカをくくっているのだ。

 だが、トランプのラッパは単なるラッパではない。現実を見た上での警鐘である。「もはや米露対立の時代ではないのに、どうして冷戦時代の偏見から出ようとしないのか」と彼は問い詰める。古びた冷戦構造を維持するために無駄金を使う必要などない、というわけだ。

 今秋の選挙に臨んで、彼は自らを「反体制派」と呼んでいる。冷戦構造から脱却しないアメリカの体質に対抗しようというのである。その手法はテロリストのものではなく、ビジネスマンのものだ。したがって、戦争よりは平和をもたらす可能性がある。トランプとはそりが合わないはずの習近平でさえ、かつて彼のことをこう言った。「商いの道は平和に通じる」と。

 さて、そのトランプ、日米関係をどう見ているのか。日本が安保体制にしがみつくなら、「その対価を払え」というのが彼のスタンスだ。露骨な金銭欲の現れと非難する人もあるが、そうではない。むしろ日本を日本として、すなわち独立した主体として認めているからこそ、そう言っているのだ。

 彼にとって、どんな国も商売の相手である。そこを見ないで彼の誤りばかりを取り上げるのは本末転倒である。私はこのことを、頭の鈍っている政治家やマスメディアの人々に訴えたい。

 彼の日本への対し方を、どうして日本人はもっと評価しないのか。先入観にとらわれているか、あるいはアメリカ国内のトランプ批判を無批判に受け入れているためだろう。「トランプはとんでもない奴だ」という誤ったイメージの横行。私はこれに抗議する。

 仮にもトランプが大統領に再選されれば、日本はめったにないチャンスに恵まれる。戦後の体制=安保体制から脱却できるチャンスが訪れるのだ。そうなれば、日本は独立自主の国として外交を展開できる。これまでのようにアメリカに「忖度」しなくて済むのだ。

 中国との関係も、韓国や北朝鮮との関係も、さらにはロシアとの関係も、もっと自分に合ったかたちにもっていけるだろう。現在の東アジアを支配し続けている冷戦構造から脱却するチャンスがやって来るのだ。

 バイデン政権の旧式の世界戦略が続くかぎり、日本は窒息せざるを得ない。そのしわ寄せは各省庁に、民間企業に、国民生活にまでおよんでいる。今の日本は、どこへ行っても「なにかが面白くない」という空気に包まれている。これではダメだ。

 日本の経済力は落ちている。しかしそれ以上に深刻なのは、それを立て直す気力と体力がないことだ。大きな改革案を掲げても、「どうせ通らない」とあきらめている。それゆえ、無難な愚策ばかりが延々と続く。

 つい先日、大阪出身の旧友と会った。「今の日本、なんでも先送りにして、当たり障りわりのないことばかりいうて、本当の改革などあらへん。このままではアカンで」と彼はいう。
「じゃあ、どうすればいい?」と尋ねると、「もう日本人では無理やな。外からの力で揺さぶらねば。ズバリ、第二のマッカーサーがほしいんや」

 これを聞いてまず思ったのは、なるほどその通りかもしれないということだ。だが、簡単に第二のマッカーサーが見つかるわけがないし、外からの力に頼ることは行先まずいことになりそうだ。では、どうすべきなのか?

 私見を言わせてもらえば、これは政治的レベルで解決できる問題ではない。国民の意識改革がなくては無理だろう。だが、そのような意識改革は可能だろうか。これについては、稿を改めて論じたい。

(つづく)

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