経済小説『落日』(13)2人の男
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谺 丈二 著
「井坂君、厄介なことになったよ」
井坂を専務応接室に呼び、杉本が冬には不似合いなゴルフ焼けの顔をゆがめたのは年末も押し迫った12月の半ばだった。
「朱雀屋の件だが、頭取からどうするのかとやんわり言ってきている」
「ええ、私も気をもんでいます。しかし、あの朱雀さんを説得するのは容易じゃないですからね」
「なにしろ後退を知らんからなあ。何があっても一途に前進だ」
「高度成長時代そのままのやり方ですからねえ。一度営業専務と財務部長を呼んで建前抜きで詳しく事情を聞いたらどうでしょう?」
「そうだな、そろそろ抜本的な手の打ち時かもしれん」杉本が湯呑を片手に眉間に皺を寄せた。
「どうですか、本音のところは」
審査部長室のソファーに深く腰をおろし、しばらくの雑談の後、将来の業績展望に関する質問を井坂は笑顔で切り出した。
「はっきり申してよくありません。うちの社長は典型的なワンマンですからね。いろいろ提言するんですが・・」
朱雀屋専務牧下重雄は天井のあたりで目を泳がせながら甲高い声で業績不振の原因がさも朱雀1人にあるような言い方をした。
長身のがっしりした体躯に太く短めの首と二重顎の浅黒い童顔が乗っている。小さな二重瞼の眼をしばたたかせながら手足や頭を四六時中動かすその仕草は、見方によれば神経質な切れ者に見えなくもない。
高校卒業後、零細企業だった朱雀屋に入り、朱雀に可愛がられながら、企業の成長とともに10年ほど前、30代半ばで上場企業の役員になった牧下だった。体全体に如才ない雰囲気を漂わせている。
「社長もそうですが、うちは営業役員がイマイチですからねえ。営業の尻拭いに今までいくら資産を処分したことやら」
牧下の隣に座った財務部長の太田英輔が目鼻立ちのはっきりした色白の顔に皮肉をまぶした笑顔を浮かべ、牧下を見下すように言った。
父親がテーラーということもあってか、小柄だが仕立てのよいベージュのスーツを隙なく着こなしている。短めの髪を真ん中で分けるオールドファッション風のヘアスタイルで、ポケットチーフとカフスも欠かしたことがない。財テクに辣腕を発揮し、この10年来、営業で稼げなくなった朱雀屋の決算をやり繰りすることでその存在感を大きくしている。
太田は大学卒業後、朱雀屋の本社があるK市に本店を置く旧相互銀行にしばらく勤めたのち、朱雀屋に入り、財務、経理畑一本で株式上場や海外債発行などを取り仕切ってきた。
財務のやり手という評判の一方、財務部長の肩書を利用して証券会社から有利な情報提供を受け、株取引で個人資産を増やしているといったよくない風評もある男だったが、実際に朱雀屋の決算をやりくりしているということで、井坂は実務屋としての太田に注目していた。
バブル崩壊による株式暴落で、一任勘定の財テクで大きな損失を出した時も証券会社にねじ込み、飛ばしや補てんを強引に進めて決算への影響を最小限にとどめた実績も悪くない印象だった。
井坂太一は思い込みの強い人間だった。自分の価値観を信じて生きてきた井坂には、異なった価値観を受け入れる器の手持ちが少なかった。彼にとって自分と違った考え方を持つ人間は無価値であり、逆に自分と同じ価値観の人間は無条件でこれを受け入れた。その対人評価の物差しは経済的に豊かでない生い立ち、仕事に対して汗を惜しまないこと、命令に対しては絶対服従というものだった。
元銀行員ということに加えて財務の辣腕、豊かとはいえない幼少時の環境など、太田英輔は井坂の好みの範疇に入る男だった。
子飼いの犬飼より1つ年下で45歳というのも悪くない。現場実務で一番脂の乗る年齢でもある。
そんな事情で数年前から井坂は太田に目を掛けていた。朱雀屋の情報はもっぱら太田から井坂に届き、銀行の意向もおなじように太田を経由して朱雀屋に伝えた。
一方、牧下は正義の基準が甘く、機を見るに敏であらゆることに節度がない男と井坂は見ていた。とくに朱雀屋の業績が悪化してきたここ数年は知りあった当初の横柄な態度とまさに雲泥の差で井坂にすり寄ってきている。
「とにかく、社長が変わらんと何にも変わらんでしょう」
牧下はまるで部外者のように甲高い早口で言った。
井坂は苦く笑いながら牧下を見た。牧下は天井に向かって紫煙を吐くことでそれに応えた。
「まあ、当社では社長以外は皆平社員ですからね。どこかにワンマンにつける薬と営業役員がやる気になる薬はありませんかね」
太田が牧下の肩を軽く叩きながら言った。銀行なら平部長が専務や副頭取の肩を気安くたたくなどということはあり得ない。2人のやりとりに半ばあきれた井坂だったが、それはともかく2人の口から出る朱雀屋の状態は決して楽観できるものではなかった。
本業であるスーパーマーケットは競争の激化と店舗、施設の老朽化で急激に業績を落としていた。加えて関連会社の不振。そして、業績を立て直すという名目で朱雀の顔色を見ながら猫の目のように方針を変える役員会。2人はそれをまるで他人事のように話している。とくに牧下は自分が代表権をもった専務であるにもかかわらず、煙草をふかしながら自社に対しての無責任な批判を繰り返した。
(つづく)
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