2024年07月20日( 土 )

ENEOSセクハラ三連発、コンビニ・洋上風力を取り逃がしたあまりに大きい代償(中)

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 「好事魔多し」ということわざがある。歓喜と転落の大きな振りに直面することをいう。栄光をつかんだ瞬間、我を忘れて不可解な行動で破滅を招く人があまりに多いことに由来する。石油元売り大手ENEOSホールディングス(HD)は、そのことわざ通りを追体験した。「セクハラ三連発」だ。その代償はあまりに大きかった。

旧・日石のエリートコース「ゴールデン黒バット」

 杉森務氏は1955年10月21日、石川県七尾市生まれ。24年正月に発生した能登半島大地震の地だ。父親が石川県警の警察官だった関係で金沢市など県内各地に住み、県立金沢泉丘高校から一橋大学商学部に進んだ。大学時代は準硬式野球部に所属した。1979年に日本石油に入社した。

 ENEOSは旧・日本石油(日石)を主体に複数企業が再編を重ねてきた歴史をもつ。社長ポストは常に、日石出身者が押さえてきた。日石が主流のENEOSは「販売の会社」。日石における出世コースの隠語は「ゴールデン黒バット」。日石は勤労部(人事)(ゴールデン)、重油などの産業燃料販売部(黒)、勤労部長が野球部長を兼任する伝統から野球部(バット)出身者がエリートとされた。

 杉森氏は「ゴールデン黒バット」を兼ね備えていた。振り出しは勤労部(人事課)。「名前と顔、性格を覚えるために3,000人超の社員と飲み会を重ねた」と語っている。酒豪、強面、剛腕と形容される杉森氏は、一橋大学野球部の体育会系の気質も手伝って、そのイメージが定着した。

 杉森氏は自ら販売部門へ転じ、特約店との強気な交渉を、日石の販売のドン、渡文明氏(20年12月、84歳で死去)に買われ、“販売のエース”と呼ばれるようになる。

 「取引先とも宴席を重ねることで信頼関係を築くタイプ。たたき上げでのし上がる、昭和のモーレツサラリーマンを絵に描いたような人物」(業界誌記者)と評されている。

 得意先である石油販売会社の幹部らと連れ立った飲みに行くのが、杉森氏の重要な仕事だ。若い時は、酒豪といわれた杉森氏は年齢には勝てない。那覇で女性ホステスに乱暴狼藉をやらかした。酒と女がたたり失脚した。

経営トップが2代続けて、セクハラ事件

セクハラ イメージ    ENEOS HDは23年12月19日、齊藤猛社長(61)を解任した。11月末にコンプライアンス(法令遵守)の窓口に内部通報があり、外部の弁護士らが調査した結果、懇親の席で酒に酔って女性に抱きつく不適切な行為があったためとしている。取締役会は2年連続で経営トップによる不適切行為がなされたことを重く受け止め、齊藤社長の解任を決議した。

 このほか、懇親会に同席した谷田部靖副社長が辞任勧告に基づき辞任、須永耕太郎常務も月額報酬の30%を3カ月減額処分とした。谷田部氏はコンプライアンス部門のトップにもかかわらず不適切行為を発生させた結果責任があるとした。須永氏は懇親会の事務局責任者であった上、女性に対して不適切発言があったという。

 杉森氏のセクハラ事件を受けて、ENEOSは23年2月の取締役会で人権尊重・コンプライアンスの徹底に関する取り組みのさらなる強化、再徹底を決議していた。だが、絵空事でしかなかった。陣頭指揮を執るべき立場にあった齊藤氏が真っ先に破ったのだ。

 齊藤氏は1962年熊本県生まれ。86年早稲田大学政治経済学部を卒業し、当時の日本石油に入社。22年4月に持株会社と事業会社の社長に就任した。

 販売部門が長く、「ゴールデン黒バット」の典型的な「黒」の人物だ。販売部門は、特約店の店長ら取引先と酒を飲み、ゴルフをするのが仕事と思っている文化がある。有力特約店と密接な関係となり、その支持を得て社長ポストを射止めるのが日石の流儀だ。

風力発電のグループ会社の会長もセクハラで解任

 セクハラ解任は、22年の杉森会長、23年の齊藤社長にとどまらなかった。

 『エネオスのグループ会社会長、セクハラで解任、親会社社長は昨年解任』。朝日新聞デジタル(24年2月21日付)が報じた。

 ENEOS(エネオス)のグループ会社ジャパン・リニューアブル・エナジー(JRE)は2月21日、安(やす)茂会長を解任した。昨年12月下旬、同社の内部通報窓口に、懇談の場で安氏が女性の体を触る不適切行為をしたとの情報が寄せられた。これを受け、社内のコンプライアンス委員会と監査役が調査した結果、セクハラ行為があったと認定した。

 安茂氏は1956年東京都生まれ。早稲田大学理工学部卒、カーネギー・メロン大学大学院工学部修了の学歴をもつ。鹿島建設で風力発電の計画や施工を担当した経験を生かすべく、2012年JREを設立、社長に就いた。15年から会長。安氏は23年12月、風力発電事業者などでつくる日本風力発電協会の代表理事に就いていたが、JREをセクハラで解任されため代表理事を辞任した。

(つづく)

【森村 和男】

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