経済小説『落日』(44)欠席裁判2
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谺 丈二 著
武藤が石井を訪ねてきたのは辞任からしばらくしてからのことだった。
「嫌気がさしたんですよ。いろいろ言っても朱雀オーナーのもとでは純粋培養だったでしょう。井坂さんのやり口はどうもねえ。しかも犬飼さんとの二段構えじゃあこの会社は良くなりませんよ。それに坂倉の問題は尾を引きますよ。やつは山野を使ってあちこちで勝手に出店契約を進めています。社印を勝手につくって隠し持っていたんですよ。相当なカネが手付で消えています」
武藤の話によると店舗にはまったく向かない人家のまばらな畑地を1億で買い取るということで、2,000万の手付を払っているというケースがあるという。
「店を創れば赤字の垂れ流しです。資産としても将来性はゼロ。井坂さんと親しい不動産屋がらみのある別の土地では1億出しています。地元の業界では物笑いですよ」
山野というのは坂倉が秘書代わりに使っていた女だった。朱雀屋で婦人服のバイヤーをしていたが、ひょんなことで坂倉と意気投合し、坂倉が石井に頼み込んでて店舗開発担当としてM県事業に出向させていた。もちろん、業務に関しては経験も実績もない。
「それに石井さん、山野恵美の部屋ですが水道とガスが基本料金だけなんです」
「部屋を使ってないというの?」
「ええ、借り上げ社宅として借りてはいますが、おそらく部屋は使っていません。山野と坂倉はおそらく坂倉と同じマンションに棲んでいますね」
「ひどい話だね」
「あちこちヒアリングするなかでこの件も含めて山野に結構きついこと言いましたからね。それが坂倉から犬飼に伝わって今回のことですよ」
「なるほど、それで井坂さんは坂倉をどうするつもりだろうね」
「これ以上生かしていたら、さらにまずいことになりますからねえ。私と絡めて責任追及の儀式をしたということは組織からは消す気でしょう。しかし、単純に追い出すというわけにはいかないでしょうね。やつは朱雀屋の弱みもたっぷり握っていますから」業績低下に歯止めがかからない朱雀屋は、すでにまともには決算ができないところまできていた。そのため決算を整えるため、在庫の水増しによる架空在庫や、取引先からのリベートの前借などさまざまな決算操作をしていた。社内のコンピューターのすべての部門にアクセスを許されていた坂倉はそのすべてをつかんでいるはずだった。
「当座は定期的にカネを渡すという条件で外に出す?」
「それしかないでしょう。手切れ金といってもまともに大金を出すと問題になりかねませんからねえ」武藤の言葉通り、武藤が辞職すると同時に坂倉もM県事業から消えた。山野恵美も一緒だった。山野に対しては犯罪行為があったということで退職金が差し止められたが、山野本人から裁判をすると脅された井坂はすぐにそれを撤回させた。
「佐藤さん、どういうことですか」
関連会社部長の佐藤秀治の銀行復帰辞令を聞いた石井はすぐ、佐藤に電話をした
「いや、M県の件をはっきりさせようと銀行の関連会社部に話を通したらこの結果ですよ」
しかも、佐藤の銀行復帰には付録がついていた。復帰の理由はアルコールによる心身悴耗、いわゆるアルコール中毒で出向先朱雀屋での正常な業務ができないからだということだった。銀行に戻った佐藤には小売業界の調査、統計といった閑職が待っていた。もちろん、彼のこの先の銀行人生に陽が当たることはない。
井坂の意を受けてうまく立ち回ったほかの出向者たちは、それぞれ出てきた時より職位を上げて銀行に帰っていた。西総銀が重大な問題を問題としない理由には朱雀屋からの復帰幹部が、問題の先送りと臭いものに蓋という保身と責任回避に走った結果でもあった。
「皆がみんなというのではないのでしょうが、権力をもつと人間は変わりますね。犬飼は何か焦っているようです。昔のあいつはもっと冷静で思慮深いやつだったんですが」
佐藤の声に力はなかった。
「苦労と年月は人柄も変えますよ。思うさまにできる立場にいながら、結果が思うようにならないときは誰だってまともではいられなくなりますからね。それより佐藤さん、捲土重来を期してあきらめずに頑張ってくださいね」
石井は電話の向こうの佐藤に銀行の理不尽を思いながら言った。もちろん、それが佐藤にとって何の慰めにもならないのはわかっていた。
(つづく)
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