経済小説『落日』(51)リバイアサン3
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谺 丈二 著
井坂は社長になると、役付き役員をメンバーにした戦略会議という合議形式で意思決定をする会議体をつくった。大きな組織は抱える懸案事項も多く、問題の根も深いから適切、かつ迅速な判断のためには集団指導がベスト、というのがその理由だった。しかし、それは表向きの理由で真の狙いは朱雀のリーダーシップを奪うことにあった。
朱雀剛三はトップの座を奪われてからも、いろいろなケースで強いリーダーシップを見せた。牧下をはじめとする子飼いの役員はもちろん、銀行からきたボードメンバーにしても、小売業界業務の経験不足に加えて、朱雀が生まれ持つ凄みにも似た存在感でなかなかその発言と行動にブレーキを掛けられずにいた。
朱雀は自分の思いを事前に役員に披瀝し、会議でそれを認めさせるというやり方をした。たとえ曖昧でも一度朱雀の意見に同調のそぶりを見せれば、会議の席で改めて反対はできない。
朱雀対策として設けた新しい会議体で井坂はまず、戦略とは何の関係もない朱雀子飼いの役員の過去の失敗を議題に取り上げた。ここで無事だったのは銀行からきた役員だけだった。朱雀を裏切り、井坂に寝返ったはずの牧下でさえ例外ではなかった。
牧下の場合は、ある物件で、開発許可が下りた翌日にその敷地を二分するかたちで産業道路の建設が持ち上がり、店舗の建設ができなかったことや別の物件で30億円の予約金を入れ、それを10年間放置した挙句にこれまた店舗が建設できず、金利を除いて8億という解約損を会社に与えたことなどが会議のまな板に挙げられ、糾弾の対象になった。
井坂の思惑通り、糾弾が進むたびに朱雀はおとなしくなった。役員の失態は当時の朱雀に監督責任があったからだった。井坂はその責任を穏やかな口調で、しかし、ねっとりした嫌味を交えながら追及した。そこに業務に関する戦略性は欠片もなかった。
ところが、その経営戦略会議は朱雀剛三が朱雀屋を去っても続けられた。
会議の中身は相変わらず失敗の糾弾が中心だった。糾弾が改善を生むことはない。そこで生まれるのは自信喪失と保身だけである。会議での責任追及に倦んだ戦略会議のメンバーは経営より自らの保身に汲々とせざるをえなかった。
別れ際、井坂のやり方では朱雀屋の改善はないと長谷ははっきりと口にした。朱雀屋を良くしようという情熱をもって朱雀屋にきた長谷だったろうが、その思いはもはや残ってはいないようだった。それから間もなく長谷は朱雀屋を去った。
長谷の見方は正しかった。経営戦略会議はその後も同じように起案の検討に加えて、過去の失敗事例が議題の中心に上がり続けた結果、メンバーの間には疑心暗鬼が充満し、物事を前向きに、そして迅速に決定するという、経営に最も必要な機能は完全に失われた。当然の帰結として朱雀屋は泥沼をさまようような重い経営を続けた。
(つづく)
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