株主総会風雲録(2)京成電鉄の変 「オリエンタルランド株」をめぐりファンドと大乱闘(中)
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「錦の御旗」とは、鎌倉時代以降、朝敵を征討する際に官軍が用いた旗印である。転じて、自己主張を権威づけるものとして掲げる名分に使われる。株主総会を書き入れ時とするアクティビスト(物言う株主)が掲げる「錦の御旗」の決まり文句は「株主還元」。今回のテーマは、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドの株をめぐるバトルだ。
オリエンタルランドの誕生秘話
「設立当時、当社が事務所を置いたのは、当時の京成電鉄本社で、5階の片隅に机が3つ置いてあるだけでした」。OLCはホームページにこう記した。
TDLがすんなりできたわけではなかった。設立秘話を紹介しておこう。OLCは設立のときから魑魅魍魎が群がる利権の巣になっていたからだ。
そもそも、OLCは1960年、京成電鉄と三井不動産、それに船橋ヘルスセンターを経営する朝日土地興業の3社の共同出資で、千葉・浦安沖の埋め立てを目的に設立された。血の気の多い漁民に漁業権を放棄させる交渉役に適任として三井不動産元会長・江戸英雄氏からスカウトされたのが高橋政知氏だ。元祖地上げ屋である。
OLCの2代目社長に就いた高橋氏が日本経済新聞に連載した『私の履歴書』(77年7月)を要約する。
高橋氏の交渉は凄まじいものだった。酒豪の高橋氏は漁協幹部を柳橋や日本橋の料亭で連夜の接待漬け。県知事、政治家、ヤクザとも深く交わり、懐のなかに喰い込んだ。接待工作が功を奏し漁民は漁業権の放棄に同意した。
ディズニーパークの日本誘致の発案者は、京成電鉄社長・川崎千春氏だが、高橋氏は、ディズニーランドには、これっぽっちも興味をもっていなかったというから面白い。「埋立地には女子どもが遊ぶディズニーランドなんかより、競馬場をつくったほうがカネになると主張していた」という。
高橋氏の『私の履歴書』に三井不動産が激怒
高橋氏が寄稿した『私の履歴書』の内容に三井不動産が激怒し、当時経済界の話題になったそうだ。
〈親会社の1つ(注・京成電鉄)が無力になり、もう1つの親会社(注・三井不動産)はやる気がないどころか、「ディズニーランドなんて前世紀の遺物だ」と足を引っ張るありさま〉といった調子で、三井不動産の反対を押し切って高橋氏がディズニーランドをつくり上げたと自慢話を披瀝したのだ。
三井不動産の坪井東元社長は高橋氏のドンブリ勘定を嫌い、両者は犬猿の仲。江戸氏と坪井氏が亡くなったことを機に、高橋氏が手柄を独り占めする内容を新聞に連載したから三井不動産が怒ったのも無理はなかった。
寄り合い世帯なので内紛が絶えず
ディズニーランドの誘致計画は、三菱地所の富士山麓の御殿場と三井不動産の浦安沖が競合。下馬評では御殿場が有力視されたが、両方を視察した米ディズニー側が下した結論は浦安。決め手になったのは、御殿場は東京から遠く、浦安は東京から近いという立地条件だったという。
浦安沖の埋立地にディズニーランド建設に向けて動き出したが、寄り合い所帯のため内紛が続いた。「高橋と坪井の2人は、とにかく肌が合わなかった。坪井憎しから、三井不動産を潰してやるという一念で、カネをどんどん使った。その私怨のおかげで、立派なディズニーランドが生まれた。瓢箪から駒が実情」(テーマパーク担当の記者)というのが、今日まで語り継がれている誕生秘話である。
華やかなディズニーランドの背後には、千葉・浦安沖の埋め立てをめぐる利権を求めて経済人たちが群がった。きれいごとでテーマパークが誕生したわけではなかった。
(つづく)
【森村和男】
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