2024年11月27日( 水 )

ビジネス人生で尻上がりにこんなに出世した男は見たことがない~安田裕明氏

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福岡ソフトバンクホークス営業軍団を築いた男

 安田裕明氏はもともとダイエー出身で、福岡ダイエーホークスへ転籍した。弱小球団が変貌したのは1999年からである。この年に久しぶりに球団はパリーグ制覇だけでなく日本シリーズも制した。

 フロントの立役者は高塚猛氏であった。この人の下で安田氏は営業の権限をすべて託された。実質、営業本部長として采配を振った。現在の福岡ソフトバンクホークスの営業手法の原型は安田氏が確立したのである。ところが高塚氏がセクハラで会社を辞職した。安田氏も責任を感じて退社した。2004年9月のことであった。結局、ダイエー関連で22年勤務したことになる。

西日本高速道路にスカウトされる

 ここから安田氏の顔の広さ・能力の高さが立証されていく。まず西日本高速道路にスカウトされる。この関連会社として西日本サービス・ホールディングスがある。安田氏は実績を積んで取締役に就任する。高速道路内にあるパーキングのリニューアルにすべて関わって売上倍増をはたした。この会社には10年まで勤務して東京にある致知出版社に転籍した。

日本相撲協会事務局主事に就任

 次のポストには驚いた。「相撲協会事務局長に抜擢された」と耳にして唖然としたのである。「野球ならともかく相撲にまったく関心がなかったのにどうして転身したのであろうか?」と自問自答をしたのだ。厳密なポスト名は「日相撲協会事務局主事」である。この相撲協会には3年近くいて15年に日本郵政に転じた。安田氏の名誉のために証言する。現在の相撲協会の主事の座には彼の部下であった人物がずっと就いている。

日本郵政の執行役員に就く

 いやぁ、次は驚愕した。本人から「俺は本体の執行役員に就いた」と打ち明けられたのである。「関連会社の執行役員か?」と問いただしても平然と「いや本体である」と応対する。結果、安田氏の功労は通販売上実績を驚異的に伸長させたことである。だからこそ子会社の社長に抜擢されて3年間采配を取ってきたのである。そして65歳で定年を迎えた(1年間は顧問契約になる)。

 会社を起こして大成功した実例に数多く出くわしたが、転籍を重ねて尻上がりに上り詰めるこんな実例を見たことがない。安田氏のようなタイプの大物には会ったことがない。

社長退任のご挨拶

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