施設でのデイサービスも受けられず、高額な入所料金が発生する有料老人ホームや比較的安い公的な老人ホームへの入所も叶わない要介護者にとって、自宅にきて買い物から料理、掃除、入浴という生活全般を支えてくれる訪問介護の制度は介護を受ける側、とくに家族にとっては最後の砦ともいわれている。しかし、その最後の砦が大きく揺らいでいる。理由は基本報酬の減額と、なり手不足という抜き差しならない問題があるからだ。
仲間も老々介護状態です
昨年暮れ、お歳暮が受取人不在という理由で送り返されてきた。電話をしてみたものの、すぐ留守電に切り替わった。Nはイラストレーターとして私の仕事には欠かせない大切な人だ。10年以上前、Nの妻が認知症と診断され、久しく訪問介護で凌いでいた。しかし、妻が家に他人を入れることに強い拒否反応を示したため、仕方なく自分で看ることにした。絵に描いたような老々介護である。やがて肉体的にも看ることが叶わず、ようやくのことで施設に入所させた。その場所は遠距離で電車もバスも通わない。でもNは毎週欠かさず歩いて通い続けた。次第に重症化して夫の顔さえ失念する状況に。それでも通い続けた。その彼に連絡がつかない。おそらく持病が悪化して入院したのではないかと思われる。あれから2カ月近く経つのだがいまだに連絡がない。
政府も実態に即した支援をすべき
その訪問介護が危機的な状況にあるといわれて久しい。東京商工リサーチによると、2025年の介護事業者の倒産・休廃業は829件で過去最高。その7割を訪問介護が占めた。人口減少に悩む地方ではより一層深刻だ。倒産・休廃業の理由はヘルパーが集まらないから。なぜ集まらないか。賃金水準が低いからだ。厚労省の試算(24年)では、全産業平均と介護職員との賃金格差は、月額8.3万円。前年の6.9万円より拡大した。民間企業の賃金大幅アップを尻目にである。
加えて訪問介護事業者にとって大打撃となったのは、24年度からの訪問介護の基本報酬の引き下げだった。理由は「業界の利益率の高さ」というもの。しかし、収益がいいのは効率よく訪問介護が可能な大手だけだと指摘する人もいる。「サービス付き高齢者向け住宅」(サ高住)や「有料老人ホーム」などの施設が併設されている事業所。その利益率が全体を押し上げているからだ。訪問介護専門の小規模な事業所にとってはまさに逆風となった。厚労省は処遇改善加算という名目で賃金アップの制度を設けたが、アップ度は低く事業者本体の収益と結びつかない。
訪問介護は当然ながら各家庭に訪問してさまざまなサービスを提供する。しかし、施設から訪問する家までの交通費は介護報酬に含まれ別途加算されない。台風接近時の大雨でも雨具を着込み、着替え一式をカバンに詰め込んで自転車で向かう。雪深い地方では、訪問車がすべて雪に埋もれ、一台を掘り起こし、ヘルパーが相乗りして訪問先に向かう。「大雪のため本日の訪問はありません」とできない事情がある。訪問先の利用者には独居や認知症の高齢者が多く、食事の提供はもちろん、灯油の補充にも事欠くことになる。命の危険と隣り合わせなのだ。合わせて地方の場合、ヘルパーの移動距離は都会とは比較にならないほど時間を要する。車のガソリン代(介護料に含まれる)もばかにならない。それに生活援助というサービスを1時間提供しても介護報酬は2,000円程度。片道1時間を要すれば、実質3時間拘束されることになる。これで2,000円なのである。厚労省は27年度から介護職員1人につき1.9万円の賃上げを実施するとしているが、満額を得るには事業者ごとに条件が異なるため期待薄とする小規模事業者も少なくない。
赤の他人の家に入る仕事は困難を極める
訪問介護の中身を知る格好の単行本がある。『介護ヘルパーごたごた日記』(佐東しお著、三五館シンシャ)がそれ。表紙にある「当年61歳、他人も身内も髪振り乱してケアします」「他人の暮らしに入り込む仕事」「あなた女優になれますか」「訪問介護員が寄り添う、家庭の事情、命の期限」を読んだだけで訪問介護の実態が読み取れよう。
訪問する相手が認知症の場合は問題が多い。紙オムツはリハビリパンツと呼ばれる。そのネーミングが問題なのだ。パンツだから認知症当事者はソレを洗濯して干し、タンスに仕舞い込む。もともと使い捨ての商品だから洗濯しても匂いは取れない。「これは捨てていいんですよ」といって廃棄する。とくに戦争体験者にとっては「もったいない」の意識が勝りがち。捨てることに強い拒否反応を示す。ある日の入浴時、シャワーで洗髪していたとき、佐東さんの頭に重い物体がドサリ。見ると水分を含んだリハビリパンツだ。理由を聞くと、「まだはけるのに」と譲らない。これなど序の口。
「ババアは嫌だ。チェンジ」と大声を出す。尻を触られるなどのセクハラは日常茶飯事。介護時の規則も厳しく利用者から茶菓を勧められても、受けることはNG。好意を無視すると利用者との良好な関係にひびが入ると考えるヘルパーもいる。でもその線引きも歯止めも難しいので全面禁止。「ついでにこれもお願い」と軽い気持ちでいう利用者の気持ちを忖度したいのだが、これが難しい。時間外の仕事は別料金となる。
佐東さんが所属する訪問介護事業所での時給は、「生活援助」1,400円。「身体介助」1,800円。勤務地が飛び飛びなので移動時間(時給に含まれる)が問題だ。片道30分かかれば実質の時給は半分になる。佐東さんの場合、週5回出勤のうち、一日2件の日が3日、4件の日が2日。これで月収7万円ほど。利用者の希望をかなえてやりたい気持ちは十分にある。有償という手もあるのだが、「食費を削らないといけない」といわれればつい無償のサービスをしてしまいがちになる。このジレンマ。
訪問時、家にいる家族が介護の仕方にクレームをつける。「車椅子への移動がスムーズではない」「入浴の仕方が下手」「料理の手際が悪い」と散々。飲食以外の禁止事項も多い。「ペットの世話をしてはいけない」「ヘルパーがATMで金を下ろしてはいけない」。さらに「ドロボー呼ばわりされる」「嘘の話に付き合わされる」「自慢話を延々と…」などなど。堪え難きを耐え、なのである。
訪問介護は赤の他人の家に入り込むところからスタートするのだから大変だ。深入りはタブーなのだが、ある程度の家の状況の把握は円滑な関係を築くためにも必要だろう。利用者にはそれまで生きてきたプライドがある。プライドの損傷や消滅は本人の存在そのものを否定することにつながる。訪問介護のヘルパーは「女優であれ」といわれるがよくわかる。詐欺師になったつもりで相手を褒め上げることも必要だろう。佐東さんは「あとがき」で、「赤の他人の家に、当たり前のように入っていき、その人のすべてを受け止めて、時に感情をぶつけられて、その記憶のなかに住み着く。そんな仕事、なかなかない。みんなヘルパーやってみるがいい。オモロイ人間に出会いすぎて全部吹っ飛ぶから! ヘルパーである私が好きだ」と結ぶ。訪問介護のヘルパーには稀有な人材だ。
訪問介護は在宅介護の柱だ。その事業が皆無の自治体が全国に100町村もある。とりわけホームヘルパーの人手不足は深刻そのもの。他産業ももれなく人手不足の状態ではこの業界に入る若者は稀有だろう。全国のヘルパーの年齢も60代、70代は当たり前。人口減が著しい地方にとって訪問介護の消滅は地域社会の崩壊にも関わる大問題。「人手不足」「物価高」「介護報酬の引き下げ」のトリプルパンチでこの業界の将来は真っ暗だ。こうした状況を改善するには介護報酬のアップはもちろん、地方特有の状況を踏まえ、規制の大幅な緩和を導入すべきだ。つまり交通費を別枠として支払うという地方もあるということ。こうしないと地方は国から完全に捨てられる。
「朝日新聞 20年10月20日、25年12月3日、26年2月6日、2月17日」参照。
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。








