2024年11月24日( 日 )

小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(3)ワイキキの夜

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 ホテルの外に出た。なまめかしい風が吹いている。あちこちから美女が話しかけてきた。

“Are you Japanese? 遊びましょう?”

 好色一代男の世の介と違い、こちらは金がない。容易な行動はできない。1人でバーのカウンターに座る。いつのまにか、日本人女性が隣にいた。好みのタイプではない。彼女が身の上話を始めた。

「若いころ、ヨーロッパに行って誘拐され、中近東に売られたの。その後はサウジアラビアのハーレムで3年ほど、アラブ男のための性の奴隷として奉仕したわ。最初は“高い買いものをした”と、アラブの王様に殴られたのよ。お前は日本女ではない。日本人ならあそこが横に割れているはずというのよ。バカみたいでしょう。でも、ブスの私はすぐ飽きられ棄てられた」

 この時ほど、自分がブスに生まれたことを親に感謝したことはないそうだ。やはり、世界は広い。小説のような話が本当にあるのだ。正直、彼女には好感をもった。しかし、日本人女性とここで時間を無駄にしている時ではない。ディスコに白人女を探しに行こう。そしてとりあえず英語会話の実践だ。

 夜は早く、ディスコのなかの人は、まばらだった。1杯のカクテルを飲みながら、かれこれ1時間も粘った。やがて白人女の5~6人の集団が入ってきた。ひとり、映画から抜け出したような美女がいる。金髪でブルーアイ、背丈は172㎝の私と変わらなさそうだ。ハイヒールのせいか、背が高く見える。でも背丈は許容範囲だ。東京で付き合ったことのある女の子は176㎝もあった。背丈に気後れはなかった。話しかけよう、何て言おうか?

“Shall we dance? May I dance with you ?”

 本当は英語以前の問題なのだ。人間として自分の魅力に自信がない。なにしろ敗残兵だ。頭のなかで話しかける英語を反復する。行動を起こすのに30分以上、時が経った。冷房の利いたホールにも関わらず、手から、額から汗が出てくる。やっと決心がついた。行こう。

 そのとたん、騒がしくフィリピン人の若者の集団が入ってきた。どうも船員らしい。そのなかで一番背が低く、色の黒い男がその金髪に近づいた。ジョージ君が金髪に話しかけようとする瞬間と、ほとんど同時だった。このフィリピン人の船員は、小さな黒い手を差し出した。彼女はその手に触れた。勝負はついたのだ。2人は踊り始めた。彼は155㎝もない。日本男子が、日本人以上の低身長で鼻ぺちゃの、色の黒いフィリピンの男に負けたのだ。

 それまで日本男子はアジアで一番と思っていた。すでに敗れた。これが国際社会の現実か?
ジョージ君はいつも大げさに考える癖があった。なぜ負けたのか? 自問自答してみた。音楽はますます激しさを増し、ホールは混雑してきた。やがてブルースが流れ、多くの人は激しい動きから一転、抱き合ってチーク・ダンスが始まった。

 あのチビで色の黒い鼻ぺちゃ男が、映画に出てくるような金髪美人と抱き合って踊っている。やがてディープ・キスが始まった。信じられない光景だ。彼の勝ち誇った目が、ジョージ君を見ているような気がした。ジョージ君は彼らから目をそむけた。

 自分には何が足らないのか? 何がここまで人生の命運を分けているのか? 仕事のことはこれまで真剣に考えたことはなかったが、彼にとって英語で白人女に話かけることが、今、人生最大の克服すべき命題のように思えた。やがて、時間が経つにつれ、それは勇気だと思えた。英語力でも、背丈でも、金でも、国籍でもない。ジョージはなんとなく、そのように理解した。

 そうか、男は度胸かもしれない。心意気や、数打ちゃ当たる確率だ。保険会社で経験済みであった。仕事の覚えは遅いが、こういう場面における理解力は抜群だった。

 彼女の仲間のひとりに声をかけた、当然、残った一番可愛い子に照準を絞った。可愛いというよりインテリ風の美人と言った方が良い。

“Can I dance with you?”

 手を差し出した。彼女は立ちあがってジョージ君の手を握った。曲はジルバ。得意な踊りだ。学生時代、京都四条大宮にあるカンザキ・ダンススタジオに3年以上通ってダンスを習得していた。アルバイトの金はすべてそこに注ぎ込んだと言っても良い。うまく彼女をリードする。彼女を休む間もなく振り回した。彼女の目はうつろになり、次第に踊りに酔っていく。

“Let’s go to the beach and see the moon”

 彼女は自分の方から言った。信じられない。映画のワンシーンのようになってきた。彼女はオーストラリアの中学の先生で、先生仲間の女性5人でハワイに遊びにきたところだった。数学の教師だという。26歳と同世代だ。

 手をつないでヤシの並木道を歩き、やがてワイキキ・ビーチの砂浜に2人は座った。遠くに青白い半月が見えた。

「あなたはどうしてここに居るの?」
「会社を辞めてアメリカ本土に留学する途中さ。明後日はサンフランシスコだ」
「羨ましいわ。私も教師を辞めてアメリカ本土に行きたい。その決断って、すごく勇気がいることよね」

 彼女はやがてジョージ君の肩にもたれかかってきた。突然、月が昼間のように明るくなったように感じた。可愛い顔だった。愛しく思えた。風は生暖かいが心地よく、舞台装置はすべてそろっている。

「あとは勇気だ。勇気だ」

 ジョージ君は、繰り返し小さく叫んでいた。彼女はジョージ君を見詰めて言った。

「何を囁いているの?」

 今しかない。彼女を強く抱きしめ、唇を無我夢中で激しく吸った。やがて息苦しくなった。彼女が唇を離した。

「皆が心配して待っている。帰らなくては」

 時計は12時を少し過ぎていた。浜辺に2時間もいたのだ。ジョージ君は思い切って言った。

“You can stay with me tonight”

 彼女は笑って答えた。

“Maybe next time”

 1970年代の男女は初心(うぶ)だったのか、いつも土壇場で逃げられる。それはジョージ君の若い時からの習慣になっていた。最後に逃げられるシーンで、この夜も終わった。

 彼女がオーストラリアの住所をくれた。

「サンフランシスコに到着したら手紙を書いて。きっと行くから」

 この夜の出来事に、ジョージ君はすっかり自信を取り戻した。日本のサラリーマン時代のことは忘れよう。自分に言い聞かせた。なぜアメリカに行くかって? それは今でもアメリカがフロンティアの地だから。

 日本の鎌倉時代は、御家人は命を掛けて手柄を立てれば、君主から本領安堵された。鎌倉実記に書いてある。「本領安堵されなければ、君も君と思わず」。やがて与える土地がなくなった江戸時代、実利を重んじる鎌倉時代とは異なる新しい武士道が完成する。それは、鍋島藩主のために無報酬で命を捨てた『葉隠』に見られるような、愚直な武士像である。

 しかし、本当の武士は領地を得るという見返りがあって初めて、命を掛けることができる。
そう信じていたジョージ君には、会社の名前や、名誉だけのサラリーマン社会に未練はなかった。やがて武士道は明治以降に、赤紙一枚で死んでいった兵隊さんになる。そんなひとりよがりの理論が、ワイキキ・ビーチで深夜、再び孤独になったジョージ君の頭の中で回転していた。

 新入社員時代に営業成績が良く、東京営業本部長表彰をもらうが、同遼の前で破り捨てた。「こんな紙切れは社外では役に立たない」。怠け者が生意気だと始末が悪い。仕事をしない理論武装が得意になった。

 会社生活で俺は言い過ぎた。好き勝手をやり過ぎたかもしれない。もっと容易な人生があったに違いない。明日から本土に行く、俺はどうしよう。再び自信のない気持ちでジョージ君はホテルに向かった。星がきれいだ。今夜もひとり寝だ。興奮してなかなか眠れない。

 本土に行って英語の勉強をするより、ハワイに残ってビーチ・ボーイになった方が良さそうか? 林さんいわく、このハワイには世界中から来た若い女の子や金持ちの有閑マダムにサーフィンを教えながら、彼女たちの金で生活し、体もごっつあん、という結構な商売もあると聞いた。たくさんの日系2世のビーチ・ボーイがいる。ジョージの人生にそれもあり? となんとなく安心したが、ジョージ君の心はまだそこまで落ちていなかった。女を食いものにする生き方だけは男のプライドが絶対に許さない。日本男児であった。

(つづく)

【浅野秀二】

(2)

関連キーワード

関連記事