2024年10月07日( 月 )

【クローズアップ】いよいよ実現に向けて動き出す関門第3の道路「下関北九州道路」

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下関北九州道路の接続部となる小倉北区西港
下関北九州道路の接続部となる小倉北区西港

 国道2号・関門トンネルおよび関門自動車道・関門橋に次いで、関門海峡をわたる3本目の道路としての整備が期待されている「下関北九州道路」。今年5月にルート案がまとまり、今後は都市計画決定に向けての動きが進んでいくなど、いよいよ実現に向けて動き出した。これまでの経緯や、決定したルート案の概略などを見ていこう。

ルート素案が決定
都市計画決定まで約2年

 国土交通省(中国地方整備局、九州地方整備局)と山口県、福岡県、下関市、北九州市は5月10日、「下関北九州道路」についてこれまで国、県、市が連携して調査してきたルート(素案)がまとまったとして、都市計画の参考となる図面を都市計画決定権者(山口県、北九州市)に送付したと発表した。

 下関北九州道路は、山口県下関市および福岡県北九州市の都心部を結ぶ新たな道路であり、本州と九州の広域的な人流・物流および経済活動の活性化を支える大動脈として、そして災害時の代替路としての機能・役割を担うことが期待されているもの。また、循環型ネットワークの形成により、暮らしや産業・物流、観光、渋滞緩和など地域の一体的発展に寄与すると目されている。

 今回の素案送付を受けて山口県知事の村岡嗣政氏は、「県としては今後、地元・下関市と連携し、地域の合意形成を図りながら、都市計画の手続きを着実に進めるとともに、引き続き関係2県2市や経済界などと一体となって、下関北九州道路の早期事業化に向け、国への要望活動に精力的に取り組んでいく」とコメント。福岡県知事の服部誠太郎氏も、「下関北九州道路が整備されれば、『関門トンネル』や『関門橋』といった老朽化が進む既存道路の代替機能が強化されるだけでなく、循環型ネットワークが形成されることで、九州全域と山口県全域の経済活性化につながると期待しています。都市計画決定権者である北九州市と山口県には、速やかな手続きの実施を期待します。福岡県としても、下関北九州道路の早期事業化に向け、国への要望活動に精力的に取り組んでいきます」とコメントしている。
 現在は北九州市および下関市のそれぞれで地元説明会の開催や、都市計画原案の縦覧などが実施されており、その後、都市計画案の確定や都市計画審議会、国土交通大臣同意などを経て、都市計画決定告示がなされる予定。手続きが円滑に進んだ場合、都市計画決定告示までに要する期間は、概ね2年を想定している。

すでに構想から30年超
関門海峡横断の第3道路

ルート素案の平面図&側面図(地元説明会用資料より)
ルート素案の平面図&側面図(地元説明会用資料より)

 本州と九州を隔てる結節点であり、さらに日本海と瀬戸内海をつなぐ海上交通の要として、しばしば「壇ノ浦の戦い」や「下関戦争」など歴史の舞台にもなり、古来より交通の要衝とされてきた関門海峡。その関門海峡を挟んで九州と本州それぞれの玄関口となる北九州市と下関市はこれまで、人やモノが行き交う要衝として一体的に発展してきた経緯がある。しかし、両市を結ぶ交通網は現状、関門橋(高速道路/1973年11月開通)、関門国道トンネル(国道2号/58年3月開通)、関門鉄道トンネル(山陽本線/上り線:44年8月開通、下り線:42年7月開通)、新関門トンネル(山陽新幹線/75年3月開通)という2本の道路と2本の鉄道路線の計4本のみ。最も新しい新関門トンネルでも開通から約50年、最も古い関門鉄道トンネルになると開通から80年以上と、いずれの路線も老朽化が進んでおり、補修工事などによる渋滞や通行止めがたびたび発生することが問題視されているほか、異常気象や不測の事態の際のリダンダンシー(冗長性/多重性)の確保の必要性についても、以前より指摘されていた。

 そうした既存道路ネットワークの課題を解消するとともに、関門橋・関門トンネルの代替機能を確保し、さらには循環型ネットワークを形成することで北九州・下関の両地域の発展に大きく寄与するものだと期待されているのが、関門海峡をわたる3本目の道路となる「下関北九州道路」だ。

 下関北九州道路は、もともと1980年代後半に構想がもち上がり、91年11月に福岡県や山口県、北九州市、下関市のほか、(一社)中国経済連合会や(一社)九州経済連合会などの地元経済団体が「関門海峡道路整備促進期成同盟会」を設立したことで実現に向けた動きがスタートしたもの。なお、当初は下関北九州道路ではなく、「関門海峡道路」と呼ばれていた。94年12月には建設省(現・国土交通省)が下関福岡連絡道路(関門海峡道路・第二関門橋を含む)を地域高規格道路(候補路線)として指定し、95年度から同道路の計画調査に着手。96年2月には福岡県および山口県などが関門海峡道路経済調査委員会を設置し、97年4月には九州・山口経済連合会や関門海峡道路整備促進期成同盟会などが「関門地域一体化促進シンポジウム」を開催したほか、98年3月には九州・山口経済連合会や中国経済連合会をはじめとする地元経済界が「関門海峡道路建設促進協議会」を設立するなど、福岡県および山口県の地元政財界による実現に向けた動きが加速していった。

 そして同3月には、国が策定した第5次の全国総合開発計画「21世紀の国土のグランドデザイン」のなかで、「関門海峡道路の構想については、長大橋等に係る技術開発、地域の交流、連携に向けた取組等を踏まえ調査を進めることとし、その進展に応じ、周辺環境への影響、費用対効果、費用負担のあり方等を検討することにより、構想を進める」と明記。その実現を推進するため、九州・山口経済連合会は98年7月に報告書を出し、(1)関門橋と関門トンネルの交通量増加への対応、(2)整備される北九州市の響灘港湾開発と下関人工島へのアクセス、(3)モノや人の交流促進による関門都市圏の形成などの観点から、北九州市と山口県下関市を中心とした関門都市圏の発展には第2の関門橋は不可欠、との意見を示した。99年11月からは関門海峡道路整備促進期成同盟会と関門海峡道路建設促進協議会が共同で「関門海峡道路整備促進大会」を開催。2000年7月には、福岡県および山口県、北九州市、下関市、中国経済連合会、九州山口経済連合会が「関門海峡道路を考える懇談会」を設立し、同年11月には建設省(現・国土交通省)が、概略ルートおよび構造についての調査結果を公表した。

凍結を経て調査再開も水を差す
「忖度」発言

 その後も関門海峡道路整備促進期成同盟会および関門海峡道路建設促進協議会がシンポジウムを開催するなど、関門海峡道路(下関北九州道路)の実現に向けての機運が高まっていっているように思えた。

 ところが、08年3月に国土交通省が、「海峡横断プロジェクトの調査については、個別のプロジェクトに関する調査は、今後行わない」と発表したほか、同年7月には国が国土形成計画(全国計画)のなかで、「湾口部、海峡部等を連絡するプロジェクトについては、長期的視点から取り組む」と明記。財政難などの理由のほか、その後に発足した民主党政権下の「コンクリートから人へ」の方針もあって、プロジェクトはいったん凍結の憂き目に遭う。

関門海峡
関門海峡

    一方で、13年10月に福岡県と山口県、北九州市、下関市が「経済影響調査」を開始。また、14年8月には、「関門海峡道路整備促進期成同盟会」総会を約11年ぶりに開催し、同盟会の名称を「下関北九州道路整備促進期成同盟会」に変更したほか、関門海峡道路建設促進協議会、中国経済連合会・(一社)九州経済連合会関門連携委員会との3団体による共催で「下関北九州道路(関門海峡道路)整備促進大会」が約10年ぶりに開催された。このときに、道路名称がそれまでの関門海峡道路から「下関北九州道路」となった。さらに、15年からは「下関北九州道路整備促進大会」や「下関北九州道路に係る中央要望」が例年実施されるなど、地元からの要望が再び高まりを見せてきた。加えて、既設の関門トンネル・関門橋の老朽化の進行などの事情も踏まえ、17年5月に地元の関係自治体と経済界に加えて、国の地方整備局の参画も得て、「下関北九州道路調査検討会」を設立。概略ルート、構造形式、整備手法の3つの観点から具体的な調査検討を開始するなど、再び実現に向けての動きが活発化していった。

 ところが19年4月、塚田一郎国土交通副大臣(当時)が、北九州市内で行われた福岡県知事選挙の応援集会の席上で下関北九州道路について言及し、「安倍晋三総理大臣から麻生副総理の地元への、道路の事業が止まっている」「私はすごくものわかりが良い。すぐ忖度する。総理大臣とか副総理がそんなことはいえない」などと発言。これに対し、前田晋太郎・下関市長が「執行権の一部を持つ副大臣が誤解をあおる発言をすることは言語道断」「地元としては、大変な迷惑」と非難するなど、安倍・麻生両名の地元への利益誘導を仄めかす発言として物議を醸し、塚田氏は国土交通副大臣を更迭された。

 そうしたひと悶着はあったものの、19年9月には計画の具体化に向けて国および2県2市で構成する「下関北九州道路計画検討会」を設立。このときに、海上部の概略構造はトンネル案より橋梁案が妥当であることなどが確認された。さらに、20年度から実施した 計画段階評価においては、住⺠や企業へのアンケート調査のほか、2県2市の⾸⻑および有識者の意⾒を踏まえ、「臨海部迂回ルート」(延長約12km/海峡部約2.8km)、「集落・市街地回避ルート」(延長約8km/海峡部約2.2km)、「海峡渡河幅最小ルート」(延長約10km/海峡部約2.0km)の3ルート案で比較評価を実施。その結果、海峡部の構造形式を橋梁とした「集落・市街地回避ルート」を対応方針として決定した。そして22年4月には重要物流道路の機能強化を計画的に進めるため、国土交通大臣が新たに計画区間として下関北九州道路を重要物流道路に指定。並行して21年度からは環境影響評価や都市計画の手続きに着手しており、調査してきたルート(素案)がまとまったとして今年5月に発表がなされたのは、冒頭に紹介した通りだ。

早期完成が望まれるも
完成予定時期は未定

 今回決定したルート素案では、道路線形(平面、縦断)は道路構造令(※1)により計画されており、旧彦島有料道路(山口県下関市)を起点部とし、北九州都市高速道路(北九州市小倉北区)を終点部とするルートとなっている。

 道路規格は「第1種第3級(自動車専用道路)」で設計速度は80km/h、標準幅員は土工部が20.5m、橋梁部が19.5mの4車線(片側2車線)となっている。IC(インターチェンジ)は下関市側に2つ、北九州市側に1つの計3つ設置される予定で、下関市側では起点となる旧彦島有料道路との接続部分にハーフIC(※2)の「(仮称)迫町IC」を設置。また、下関市街地などからのアクセス向上のために、ハーフICの「(仮称)南風泊港IC」も設置される。一方で北九州市側には、市道西港町1号線からのアクセスを考えたハーフIC「(仮称)西港町IC」を設置するほか、北九州都市高速2号線に接続する「(仮称)西港町JCT」が設置される。

 今後は冒頭に述べたように都市計画決定に向けた動きが進んでいくことになり、都市計画決定告示まで概ね2年を想定。だが、肝心の下関北九州道路の完成予定時期については、住民説明会では「事業主体や整備手法が決まっていないので未定」と説明されており、まだ相応の期間を要することが想定される。

小倉北区西港より下関市彦島を臨む
小倉北区西港より下関市彦島を臨む

    完成後に見込まれる効果としては、下関市と北九州市の中心部を近づけることによる交流人口の増加や生活圏の拡大、観光面における関門海峡を跨いだ循環型周遊ルートの形成なども挙げられているが、おそらくこれらは現況の関門橋・関門トンネルと比較しても、目立った優位性があるわけではない。それよりも大きいのは、産業・物流における連絡性や安定性の向上や、災害や事故、補修工事などによる通行止め時における代替路(バイパス)としての機能だろう。

 構想スタートからすでに30年超の期間が経過し、既存の関門橋・関門トンネルの老朽化が刻一刻と進んでいくなか、北九州市および下関市だけでなく、福岡県と山口県、さらには本州と九州の広域的な人流・物流および経済活動の活性化を支える“大動脈”となり得る、下関北九州道路の早期の完成が望まれるところだ。

【坂田憲治】

※1道路構造令:必要な道路機能や自然的・外部的条件に対応して、さまざまな交通の走行性や安全性を確保できる道路基本構造の一般的な基準を定めたもの ^
※2ハーフIC:2方向にしかアクセスできない、構成道路間相互の出入りが部分的に限定されたIC ^

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