2024年11月25日( 月 )

株主総会風雲録(3)ダイドーリミテッドの乱 総会直前に影武者へトップ交代(前)

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 「影武者」とは、戦乱の時代では戦闘に際して、部下に武将と同じ衣服や甲冑を着用させて敵方を欺く陽動作戦を行ったり、武将が自らの死亡や不在を隠したりするために用いられた。現代の株式市場も「切り取り勝手放題の乱世の世」だ。アクティビスト(物言う株主)に対抗するため、「影武者」を立てる企業が登場した。

社長交代を仕掛けたアクティビストは旧村上ファンド出身者が率いる

会議室 イメージ    株主総会直前に「影武者」を立てたのは、衣料品ブランド「ニューヨーカー」や「ブルックスブラザーズ」を展開する中堅アパレル、ダイドーリミテッド(東証スタンダード上場、以下ダイドー)。仕掛けたのは、日本におけるアクティビスト(物言う株主)の先駆けとして名を馳せた村上ファンドの生き残りだ。

 村上ファンドの創業メンバーだった丸木強氏が率いるアクティビスト(物言う株主)のストラテジックキャピタル(以下・SCと略)が株主提案を行った。村上ファンドは官民挙げての追い落としで解体に追い込まれた。メンバーの多くはシンガポールに活動拠点を移すなか、丸木氏は国内にとどまった。

 長い間、泣かず飛ばずの状態が続いたが、2012年にSCを立ち上げ、活動を再開。「株主主権」の立場から、「ステークホルダー」(株主、経営者、従業員、顧客、取引先)を重視する日本的経営に切り込んだ。旧態依然の経営者には退陣を迫るなど強面のアクティビストとして名が通る。

株主提案を受け、突然のトップ交代

 SCは4月17日、鍋割宰社長らが経営を主導している間、ダイドーの業績や株価が低迷し続けると批判、現経営陣の総退陣と独自取締役候補の6人の選任を求め、株主提案を行うと発表した。

 ダイドーの業績は厳しい。主力のアパレル事業が不振で、24年3月期の売上高286億円に対して、営業利益は4.4億円の赤字。実に11期連続の営業赤字だ。不動産事業の収益で最終利益を計上するヤリクリ決算が続いている。

 SCの発表資料によると、提案の取締役候補は元ブルックスブラザーズ・ジャパン最高財務責任者(CFO)の中山俊彦氏、元オンワード樫山社長・会長で現在、業界団体の役員を務める大澤道雄氏ら。中山氏は社長就任が念頭で、ほか5人は社外取締役候補だ。

 経営陣総退陣の株主提案を受けてダイドーは5月24日、経営陣の刷新を表明した。コンサルティング会社、ジェミニストラテージグループ(東京・千代田区)の山田政弘氏を代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)、成瀬功一郎氏を社長兼最高執行責任者(COO)の候補として提案した。同時に鍋割宰社長らは退くとした。

 ダイドーは当初、鍋割氏の社長続投と株主総会への取締役再任議案の提出を決めていたが、SCの株主提案を受け、この人事を撤回。コンサル会社の山田政弘氏を会長に、成瀬功一郎氏を社長に起用することに切り替えた。総会直前に、会社側は外部の人材を助っ人に招いた。まさに「影武者」だ。ダイドーの経営陣は物言う株主と対決するのではなく、尻尾を巻いて退散した。奇々怪々というほかはない。一体、何があったのか。

東京オリンピックでユニフォームの生地を提供

 ダイドーの歴史をたどってみよう。1879(明治12)年、創業者の栗原イネが綿織物の製造販売を開始したのが始まり。1941(昭和16)年大同毛織を設立した。戦後、「フジヤマのトビウオ」の異名を持つ水泳の古橋廣之進選手が在籍していたことでも知られる。64(昭和39)年に開催された第18回東京オリンピックで日本選手団が着用した赤いジャケットと純白のスラックス、スカートの生地を提供している名門だ。

 紡績業を中核とする繊維産業はかつて日本の基幹産業だったが、1950年代が最後の黄金時代。その後は、東南アジア勢に追い抜かれ、衰退を早めた。紡績企業は業態を転換。東京オリンピックで「東洋の魔女」として日本中を熱狂させた女子バレーのチーム「日紡貝塚」を擁する大日本紡績はユニチカに社名を変更。今では、化学メーカーだ。

 大同毛織は89(平成元)年、商号をダイドーリミテッドに変更。主力工場の神奈川県小田市の小田原工場を閉鎖、跡地でショッピングセンター「ダイナシティ」を運営している。これが主力事業だ。

SCが擁立した取締役候補はダイドーと関係深い人物

 SCの取締役候補が明らかになると、ダイドーの経営陣に衝撃が走った。ブルックスブラザーズ、オンワード樫山ともダイドーと密接な関係にあったからだ。

 衣料ブランド「ブルックスブラザーズ」を国際展開していた米ブルックスブラザーズグループは、20年に米連邦破産法11条の適用を申請して経営破綻した。そのため、ダイドーとの合弁会社だった日本法人は、ダイドーが出資比率を引き上げて連結子会社に組み入れた。日本法人の元CFOをダイドーの社長に据えるというのだ。

 オンワード樫山(現・オンワードホールディングス)との関係は深い。両社は2004年に資本・業務提携。06年にオンワードからダイドーに社長を派遣。07年にオンワードはダイドーの保有株比率を高めて持ち分法適用会社にした。以来、ダイドーの副社長はオンワードの指定席だった。

 だが、株式市場では買収防衛を目的とした政策保有株は日本特有の仕組みとして解消する流れで、オンワードは保有株の解消を進めてきた。最終的に23年2月に200万株をダイドーが取得し、オンワードの持ち分法適用会社から外れた。

 政策保有株解消を荒稼ぎできる絶好のチャンスと判断したのが、旧村上ファンド系の物言う株主だ。オンワードがダイドー株の売却を進めるのと歩調を合わせるかのように、SCは数年前からダイドー株を徐々に買い増してきた。関東財務局への24年4月2日の報告では24.85%保有する。投資一任契約の受託分を加えると議決権の32.2%になるという。

(つづく)

【森村和男】

(後)

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