小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(15)デルタ大学、裏口入学
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アメリカにはさまざまな大学がある。スタンフォード大学やハーバード大学のような私学。カリフォルニア大学やオレゴン大学など、州の名前はつくが、州立と言わない、どちらかといえば連邦政府が設立した大学。カリフォルニア州立やオハイオ州立など、州政府が設立した大学。この他にも、州のなかにある郡 (County・カウンティ)が設立運営する、ジュニア・カレッジ(コミュニティ・カレッジ)がある。当時は希望すれば誰でも、ジュニア・カレッジに入学することができた。
日本で四年制大学を出た者なら、普通なら大学院に向かう。ジョージ君は、英語力がなくても志の高い人は、大学院を目指すのが正当だと考えていた。英語力に自信がなく、怠惰で目的が明確でない人は、高卒が入るジュニア・カレッジを狙った。
ジョージ君の住むストックトン市は豊かな農業地帯で、外国人留学生は授業料免除の奨学金がもらえた。カリフォルニア州には当時、60校以上のジュニア・カレッジがあったが、外国人留学生に授業料免除の奨学金を出すのは、ここストックトンと、北へ3時間ほど行ったところにあるチコ市のジュニア・カレッジのみだった。中古車に金を使ったジョージ君に、授業料に回す金は無かった。入学できなければ、帰国か非合法外国人としての不法滞在しかない。しかし帰国はできない。不法滞在もしたくない。
ジョージ君はまず、奨学金付きのデルタ大学の入学試験を受けた。ミシガン・テスト(英語力判定試験)が145点以上なら入学の可能性があったが、会社派遣のエリート留学生、前田氏でも138点しか取れなかった。ジョージ君のテスト結果は84点、不合格だった。予想どおりである。その日、ホームステイ先での食事中、浮かない顔のジョージ君に奥さんのベティーが気付いた。
「ジョージ、何か悩みがあるの? 浮かない顔よ」。「えぇ、デルタ大学に入れなかったら、授業料も払えないので帰国しないといけない。外国人相手の奨学金がもらえなかった……」などと、詳しく事情を話した。ベティーは最初、難しい顔をしていたが、やがて言った。
「そんなこと、簡単なんだけどな……。学長はブランチャード博士でしょう? 私の父はMR.STOCKTONよ。彼なら何でもできる。私も頼みたくはないけど、聞いてあげるわ。明日、父のところに行きましょう」
翌日、ランチと昼寝が終わったころを見計らって、アートン邸に行った。後妻のイタリア人女が、何をしに来たのかと好奇心丸出しの顔を見せながらも、そっけない言葉で迎えた。ベティーはジョージ君に言った、「あいつは嫌いよ」。ジョージ君から見ても、想像していたような“イタリアからきたお嫁さん”という感じではなく、女中のおばさんにしか見えなかった。何を好んでこの大富豪が彼女を嫁にしたのだ。
アートン氏は体格が良くインテリ風、かつて権力を欲しいままにしていた貫禄があった。ジョージ君は緊張していた。ベティーは久しぶりに会った父なのに雑談はなく、事務的だった。
「要件というのは、この日本人を奨学金付きでデルタ大学に入学させて欲しいの。学長はブランチャード博士、パパの軍隊時代の部下でしょう」
「何のために俺がそんなことをしないといけないのだ」
「私たちはジョージが好きなの。信用できるし、彼が必要なの。入学できないと日本に帰ってしまう。でも、それは困るのよ。従順な日本人の特性をパパも知っているでしょう?」
「じゃあ、それはお前のためになるんだね。それなら電話をしてやろう」そう言うと、アートン氏が受話器を取った。「ハイ、ドクター・ブランチャード。俺だ、アートンだ」。電話から聞こえてきた。「Yes, Sir」。
「ここにジョージという日本からの入学希望の学生がいる。奨学金をつけて入学させてやれ」
「彼なら知っています。何度も私の事務所にきましたから。彼は日本の大学を出ています。しかしこの学校は、四年制大学に入る前の一般教養を勉強させるところ。彼には入学資格はありません」アートン氏はベティーの顔を見た。ベティーは目で合図をした。“パパ、それでもお願い”と懇願している、そんなそぶりだった。アートン氏は言った。
「そんなことは百も承知だ。私の娘がジョージを必要としている。そのために君の力が必要だ。いいか、これはお願いではない。This is my order、私の命令だ」
「Yes Sir、My Boss.すぐここに来させてください」ジョージ君にとって、映画を見ているよう不思議な光景だった。アメリカでも権力やコネで無理が通る。これは凄い。本や雑誌、教科書では知らなかったアメリカを体験していた。入学が許可されたのだ。
ジョージ君はすぐ学校に行った。ブランチャード博士は、立ったままイライラしながら待っていた。会うなり、ジョージ君を怒鳴りつけた。
「誰の入れ知恵だ。汚ない手を使う奴だ。憶えていろ」と言いながら、I-20 VISAの書類をジョージ君の顔に投げつけた。書類は床に落ちた。ジョージ君は書類を拾い、ブランチャード博士に手を差し出して「Thank you,Sir」と握手を求めた。ブランチャード博士も言いたいことを言って少し落ち着いたのか、手を握り返した。「Good Luck」。
このあたりはアメリカ人の良いところで、ジョージ君の好きなアメリカであった。しかし、このI-20 VISAには落とし穴があった。短大を卒業するのに必要な2年分ではなく、1セメスター(学期)のみの期限が半年分しか書いていなかったのだ。半年後、「君はここの学生ではありません」と、手紙がきたのである。ブランチャード博士にやられたと思った。
ジョージ君はこの程度ではあきらめなかった。こんなことで日本には帰らない。ジョージ君には再び、漲るような力が湧いてきた。困難にあたると猛然とファイトが出る。それは自分が日本人であるからだとも思えた。困難こそ日本人に生まれた喜びを感じる瞬間、日本人が忘れた大和魂を意識する時だった。
嫌がるベティーを説得し、またアートン氏を動かした。さすがに、このときのブランチャード博士は紳士的だった。自分の意地悪を多少後悔したのか?このしつこい日本人に呆れたのかは知らない。残りの3セメスター分のビザの延長に同意した。
やがてクリスマス・シーズンがきた。サンフランシスコの日本人街に行って、和風のクリスマス・プレゼントをホスト・ファミリー全員とアートン氏に買って渡した。やがて正月も終わって3週間ちかく経ったある日、ベティーがジョージ君に突然言った。
「私のパパがあなたを嫌っているみたい。クリスマスのとき、パパに何を渡したの?」
「日本の富士山が描いてあるカレンダーと日本人形を渡したよ」
「それはいくらの価値があるの?」
「100ドルくらいかな」
「私の父が怒るのがわかったわ。あなたは最終的に授業料をいくら節約できた?」
「2,000ドル少々……」
「それならその半分を現金で持って行くべきよ」ジョージ君にとって目からウロコだった。アメリカを甘く見ていた。「もちろん、私もそうしたいが、金がないのでアートン氏にそのようなお返しはできない。いつの日か、出世したらお返しをしたい」。彼女はせせら笑った。
「あなたは決してそんなことをしないはずよ。今はそのように思っていても、実際にそんなことはしない、それば人間なの。出世払いなどと笑わせないで。信じられないわ。感謝をしているなら、今すぐに現金を持って行きなさい。お金がなければ、親から借りるなりなんなりして工面しなさい。それがいやなら彼に労働力を提供して返すことよ」
大金持ちたちのこの理屈に、ジョージ君は怯んだ。しかし、無い袖は振れない。「では、労働力でお返しします」と答えざるをえなかった。
翌日、日系人の救世主と言われた、ハンバーガー先生に相談に行った。ドイツ系、金髪の彼女は元デルタ大学の英語の先生で、一生独身を通し、人権問題の向上だけを目指して生きた、信念の塊のような人だった。とくに第二次世界大戦の前後は、善良で正直で勤勉な日本人の人権と権利擁護のために戦った人だった。公平、平等、一人ひとりの幸福の追求という、アメリカ憲法の理想のために戦ったともいえる。
ジョージ君は彼女に事情を話した。ハンバーガー先生は70歳を超えていたが、まだまだカクシャクとして元気だった。
「ジョージ、ごめんね。あなたが体験していることが、アメリカのすべてではないの。不幸な体験をしたわね。アートン弁護士はよく知っているわ。彼は戦前、日系人排斥法案を通すことにとても熱心な法律家だったの。娘のベティーは苦労知らずで我がままな大富豪の娘よ。ハイドン氏がベティーの夫になったと聞いとき、それは驚いたわ。お似合いの夫婦だもの。ハイドン氏は体は小さいけれどフットボールの選手で喧嘩早く、学校で番長だった人。あなたはよくそんな家庭でホームステイをしているわね。彼らは普通のアメリカ人ではないの。奨学金の半分を現金で返せなんて、とんでもない話よ。無視すべきだわ」
ジョージ君はハンバーガー先生の言葉に安堵した。しかし、ハンバーガー先生のような考え方はむしろ少数派だとも思った。アメリカの一般人、とくに成功者や金持ちたちはむしろ、ジョージ君のホスト・ファミリーのような考え方をしていると思えた。アメリカ社会や世間は甘くない。日本の社会経験のあるジョージ君には、そのことが痛いほどわかった。
この話には後日談がある。ジョージ君が、サンフランシスコの金門橋を越えた景勝の地、サルサリートの小さな教会で結婚式を挙げたとき、ホスト・ファミリーは大勢でやってきた。ベティーはジョージ君に言った。
「おめでとう。でも結婚のお祝いはなにもないの。あなたはまだ私たちに恩返しをしていないから、今日はタダ飯をいただくために来たの。借りを取り返すために来たってこと、わかるわよね、ジョージ」
「もちろんですよ。あなたは私のアメリカにおける、人生の先生です」それにしてもすごい。めでたいはずの結婚式に堂々と「タダ飯を食いにきた」と言い切る凄さ。日本の防衛政策のタダ乗り批判や、平和と繁栄をもたらしてやっているのだからそれなりの負担をしろというアメリカ人の心をここで知ったのだ。ホスト・ファミリーには、心から感謝したい。そして、アートン氏にも恩返しはしていない。結局、ベティーが言ったことは正しかったのだ。甘えるな、日本人ジョージ君!
(つづく)
【浅野秀二】
<プロフィール>
浅野秀二(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。関連キーワード
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