2024年08月05日( 月 )

【コダマの核心レポート】経営者寿命を超える経営とは~経営は盤石でも私的交友に抜かりあり~

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 (株)カンサイホールディングス・忍田勉社長は2代目経営者として業容を拡大してきた。その実績は周知の通りだ。しかし、気運の衰退とともに災いが襲ってくる。気運絶頂のときは相当な打撃を受けても凌ぎきれる。だが運勢には山あり谷ありだ。このレポートから気運に翻弄される経営の有り様を、1つの教訓として学んでいただきたい。

12億円強の焦付き 前代未聞の衝撃

 昨年9月26日、文房具・事務用品卸の(株)データリンクが福岡地裁に破産手続きの開始を申請した。データリンク代表の川島幸雄氏は(株)カンサイホールデイングス(以下、カンサイHD)の忍田勉社長と刎頸の友であったが、倒産の内容が明らかになるとともに、驚愕の事実が露呈した。負債総額18億8,682万円のうち、なんと12億4,207万円の債権がカンサイHD分であった。債権者として約66%をカンサイHDが占めていたことになる。この事実が知れ渡るや否や、関係者の誰もが「信じられない」と異口同音に驚きの声を挙げたのも道理だ。業績順調だったカンサイHDが過去にこんな大口の焦げ付きを受けたことはなかった。

 忍田氏の経営手腕は見かけによらず、「手堅く厳しい」と業界では評されていた。たとえば、都市高速を利用するにも決裁を取る必要があるというもっぱらの噂であった。ところが、データリンクの倒産劇と、川島氏・忍田氏の関係について調べが進むに従って、友人知人との付き合いにおける忍田氏の「脇の甘さ」が露わになった。また、友人に裏切られた忍田氏の精神的ショックは大きいものがあった。同氏の病状にも悪影響を与えたと推察される。ここからこのレポートを始める。

第42回カンサイフェア 売上は30億円規模か

第42回カンサイフェア
第42回カンサイフェア

    さて毎年恒例になっている共創展カンサイフェアの第42回が7月26、27日、福岡市博多区にある福岡国際センターで開催された。駐車場は満杯で会場内には観客が押し寄せ、かなりの盛況を呈していた。業界通に言わせると「展示フェアでの売上のメドはだいだいその企業規模・年商の10%」となるという。となるとグループを統括するカンサイHDの売上規模は300億円を超えるから2日間の売上および予約は30億円を超えるとみられる。本来なら第42回共創展カンサイフェアを盛況のうちに終えて、企業としてはさらに勢いがつくべきところだが、実はグループ総帥の忍田氏の健康状態が頭痛の種となっている。

気学的見地から忍田勉社長の運勢

忍田勉社長
忍田勉社長

    この2~3年、いろいろな不運が企業グループと個人の不幸として襲いかかっている。まずは忍田氏の健康状態が思わしくないと伝え聞くことである。また、企業も今まで考えられなかった災難に連続して襲われている。その原因の少なからずは忍田氏と直接付き合いがある友人知人に端を発している。

 まず健康状態に関してはこの3年間、闘病生活にあり、病と正面から向かい合ってきた。経営者・忍田氏は辛い運命を背負っている。病の身であろうとも経営者はそのときどきに迫られる経営判断を誤ることは許されない。後記するが、あまりにも企業にとって符の悪いことが定期的に襲いかかってきた。同氏は今まさにビジネスと自身の健康をめぐる総点検の時期に立たされているといえる。

 そこで筆者がこの20年間学んできた気学の師匠、導与会の中馬導与氏に忍田氏の気学的見地をまとめていただいた。そのうちの一部にここで触れる。

忍田勉氏 1948(昭和23)年9月16日生(七赤・一白)

 2024年度、忍田氏は陰運気のなかでも最も運が衰えた年(前厄の年)です。さまざまなトラブルが起こりやすく、離別の作用があり。おおよそにおいて七赤の方(忍田氏)にトラブルの原因があり、根本的な問題点を是正しないとトラブルを解決するのは難しい年といえます。もし今年中にトラブル解決への道筋をみつけなければ、来年は深刻な悩みを抱える恐れあり。

忍田勉社長の歩み

 忍田勉氏は奈良県の生まれ。創業者で実父の忍田楢蔵氏は、独立する前に福岡へ転勤で赴任してきた。54年3月に楢蔵氏が関西電業(株)(現・(株)カンサイ)を設立。息子の勉氏は修猷館高校を卒業して、明治学院大学を卒業した。(余談であるが勉氏の子どもは娘3人であるが、いずれも修猷館高校に入学しているからなかなか優秀である。)72年4月松下電工に入社し北九州営業所に勤務、2年後、関西電業に入った。95年5月、46歳で2代目社長に就任して以来、経営者として38年、経営の陣頭指揮を執ってきた。その間、カンサイHDは売上高300億円を超えて、この先、400億円を展望できるまでところまで到達した。その指導力は誰もが認めるところであり、非凡な2代目と評価できる。

 次に同氏の付き合い・交流の蓄積について整理してみよう。まず34歳の時(82年)、福岡JCに入会、JC時代には同世代のメンバーたちと交流の輪を広げたが、個人としての実績はあまり残していない。忍田氏の活躍の場はやはり修猷館高校卒OB会である。67年卒業組は優秀な連中がたくさんいた。聞くところによると東京大学合格者は26人といわれている。72年卒に次いで歴代2番目の合格者数と聞く。忍田氏はその67年卒組で取りまとめ役の1人である。

 社長になってからは自身の経営者としての鍛錬のために、西日本銀行専務であった川邊康晴氏が立ち上げた川邊塾に参加して注力した。要するに異業種交流会の場であった。最終的には活躍の主戦場は福岡商工会議所と福岡西ロータリークラブになった。商工会議所では小売部会長、副会頭に就いた。引き上げてくれる先輩たちがいたということは忍田氏の人柄によるものである。同氏の歩みを長々と書き綴ったのは本題の核心がここにあるからだ。「ビジネスに厳しい経営者なのに、なぜ、個人の付き合いでは甘かったのか」という問いを解き明かすために、この点を振り返っておく必要がある。

期待の幹部だった灘氏の退任

 2023年3月、激震が走った。カンサイの社長を託してきた灘太氏が突然、副会長へ異動する人事が発表された(最終的に5月には常勤役員から外れる)。代わりに忍田氏の娘婿・本多利行専務が社長に就任した。「来るべくしての政権交代」であるなら、「万歳、めでたしめでたし」と祝福すべきであったのだが、深い闇が介在していた。

 灘氏は忍田氏から強い信頼を得ていたからこそ、17年にカンサイの3代目社長に抜擢された。ところが突然の社長離脱という事態はさまざまな憶測を呼んだ。いずれその背景は稿を改めて述べるとして、取材を通じてわかったことは、灘氏は本当に運が悪かったということである。忍田氏に話を戻すと、忍田氏自身がこの突然の交代人事に直面して今後のカンサイグループの行く末を決める人事で大いに頭を痛めたに違いない。気学上の運気が問題ない時期であれば、灘氏問題もうまく処理できたであろうが、そうはならなかったのである。

友人、川島氏の裏切り

 そして半年後に、さらなる大打撃が判明した。冒頭に述べたデータリンク倒産による大口焦げ付きである。短期間で忍田氏を立て続けに襲った心痛を考えると、慰める言葉もない。しかし、取材で明らかになったことは、同氏の抜かりの結果だと言わざるを得ない。本件については当社で記事を掲載した直後から、「どうして12億円もの焦げ付きが起こったのか?」という問い合わせが殺到していた。

 結論をいえば、カンサイHDがデータリンクの仕入れ窓口役を買ってでたのである。この会社は文具・オフィス用品の通販で業績を上げて、一時は「コスト削減提案サービス」の展開も行っていた。

 データリンクの川島氏と忍田氏との関係・出会いについて調査したところ、川邊塾の川邊塾長と2人でゴルフコンペに参加した際に川島氏と初めて面識を得たらしい。そこからトントン拍子に親睦が深まっていった。忍田氏は川島氏を川邊塾入会、福岡西ロータリークラブにも入会を誘ったそうである。その私的交流の積み重ねで深い信頼の絆を結んでいたのかどうか、そこは定かではない。しかし、どうであれ川島氏が仕入れの窓口役を要請してきた際に、保証も担保も設定せずに引き受けるとは如何なものか。

 すでに事業が傾いていたデータリンクを警戒しながら納入してきたメーカーおよび商社が、「カンサイHDさんが取引窓口になっていただけるのであれば与信限度枠は設定しません」と嬉々としたのは当然のことである。個人保証、第三者保証も何ら取っていなかったのであるから、データリンクの残資産がゼロに近い状態であれば、回収可能性もほとんどゼロに等しいだろう。

川島幸雄氏
川島幸雄氏

    至れり尽くせりしてくれた恩人・忍田氏に対して倒産後、川島氏はいかなる対応をしたのか。まったくの音信不通である。こういう最悪の事態にこそ人間性は表れるものだが、川島氏もそれを表したといえよう。そのような人間に対しては、「人を利用するだけの我が勝手な奴」という評価が定まるのである。川邊塾・ロータリークラブのそれぞれの仲間たちが証言する。「川島という男は信頼できない男でした」。忍田氏の件を見ての結果論ではなく、それぞれ苦い経験を有しているようだ。忍田氏がこの件で最悪な精神的ダメージを受けたことは間違いない。

SCホールディングスの倒産

 川邊塾・西福岡ロータリークラブの仲間・吉田知明氏が経営する(株)SCホールディングスが民事再生法を申請したのは6月。吉田氏は忍田氏より24歳若く、ちょうど2回り違う。吉田氏は塾経営で独特の個性ある経営を展開していた。先生1人で生徒2〜4人を担当する個別指導方式で質の高い指導を提供してきた。非常に評判が良く、業績は鰻登りとなり上場を視野に入れた。吉田氏は周囲の友人知人に第三者割当の株を奨めた。当然、忍田氏も引き受けに応じたとみる(まだ最終的数字確定はしていない)。ただしカンサイHDで2,700万円の貸付金があることは判明している。

 たしかに吉田氏の先見性には敬服する。ところがコロナ禍が命取りになった。稼ぎのビジネスモデルが不可能になったのだ。どこに致命的な落とし穴が待ち構えているかは誰にもわからない。

 これについて結果論的な論評はするまい。20年以上の付き合いがあれば疑いなく信頼感を抱くことになる。だが、経営者として20年の付き合いがあれば、そこからさらに長く経営を持続できる保証があるわけでもない。どの企業でも浮き沈みはある。そこはやはり油断できないのである。データリンクの実質仕入れ保証(仕入れ窓口)になったことは迂闊で済む話ではなく、言語道断の過ちであったと強調したい。

財務的に問題はない

 「忍田氏は私的付き合いの脇が甘かった」という批判に対しては、おそらく本人も素直に受け止める心境だろう。「社員たちには申し訳ないことをした」と猛省しているはずだ。しかし、同氏がそこら辺の平凡な経営者と違うところは、「自分がしでかしたことは己で責任を取る」主義を貫いてきたことだ。1995年にカンサイの社長に就任して以降、陣頭指揮を執って29年快走してきた。結論からいえば、同氏の経営はその間に、12億円焦げ付いても揺らぐことはない盤石な会社を築いたということである。

 通常、12億円の不良債権のパンチを受ければ、大概の企業は耐えられないであろう。12億円が捨て金になっても基盤が微動ともしない。それだけで忍田氏の29年間の経営実績として評価できる。カンサイHDとカンサイの6年間の業績推移を見ると、驚くというか「さすがだな」と賞嘆するのは、カンサイHDが一挙にデータリンクの不良債権を処理したことである。2024年3月期は8億2,259万円の最終赤字となっている、これは12億円の焦げ付きを一挙に始末したということだ。

 忍田氏が尋常ではない心痛に見舞われていたことに同情する。筆者は少なくともひと月に1度、福岡商工会議所の常議員会で同氏に会っていたから、その変化がわかっていた。先述の通り、昨年3月に信頼してカンサイの社長を託していた灘氏の辞任騒動があった。さらに追い打ちをかけて同年9月にデータリンクの大口不良債権が明らかになった。同氏がこれらに精神的打撃を受け、明らかに体調に影響を与えているさまを見てきた。同情に堪えない。

本多集団体制でかじ取りしていく道のりか

九州最大の家畜糞尿メタン発酵処理施設「玄海バイオガス発電所」

 カンサイHDの下に11社の子会社、2社の関連会社がある。11社の子会社社長のうち9人までがカンサイHDの取締役に就いておりそれぞれの業績を残していくであろう。現在カンサイ社長である本多利行氏を中心に、今後集団体制でかじ取りをしていく道のりとなるか。

 ただ悩みと不安の種が1つある。玄海バイオガス発電(株)である。忍田氏も「玄海町で行うバイオマス事業は社会貢献事業としては高い評価を受けるだろうが、事業化は容易ではない」と漏らしていた。資本金10億円、資金調達15億円規模の大事業になる。

 この事業もまたロータリークラブメンバーからのアイデア具申に対して忍田氏が飛び乗ったものだ。この具申者Aは玄海バイオガス発電を1人で切り回している状態だ。筆者は現場視察も行いAにたびたび取材を申し込むが回答無し。現時点でのAの最大の役目は取材陣に「バイオガス発電の社会的使命を誇示すること」と考えるのであるが、いかが?

結び~本多利行氏の運勢

 最後に導与会の中馬氏に聞いた、本多利行氏の運勢の見通しについて触れておく。

本多利行氏 1972(昭和47)年7月31日生(一白・三碧)

 まずは、忍田氏との相性(組み合わせ)は悪くないです。本多氏は経営者としての資質はありますが、性格的に癖があり、それが良い面も悪い面にも出やすいです。その癖とは好き嫌いがはっきりしていることです。それは人間関係においても仕事面においても合う/合わないがはっきりしています。(省略)

 運勢的には今年は陽運期で運が発展する年で、今年(2024年)・来年(25年)は本来、運勢が発展・進展する年回りです。

【児玉直】


<COMPANY INFORMATION>
代 表:忍⽥勉
所在地:福岡市博多区東⽐恵3-32-15
設 立:2013年10⽉
資本金:9,600万円
売上高:(24/3)325億3,800万円

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