2024年12月23日( 月 )

お盆行事に接して 今後は家族と地域社会の崩壊が避けられず

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孫ともども実家に帰省

 拙宅の前で恒例の水遊びが繰り広げられた。

 Aさんには2人の娘がおり、東京で嫁ぎ、盆には必ず里帰りをしてきた。すばらしいことである。孫は5人いる。段々、大きくなってきたが、「今年が最後の見納めになるか」と思い、声をかけた(余談だが、A夫婦は正月前、年末には東京に孫たちへ土産をもっていく)。本当に心温まる光景を眺めさせてもらってありがとう!遠い昔の故郷におけるお盆の記憶が蘇る。しかし、A家もあと10年もしたら家を売却する可能性が高いだろう。

妻への盆まいり

 12日、大手門にある浄土真宗のお寺へ妻の供養のために向かい、納骨堂で妻と深く深く語りあった(自宅でも仏壇に向かって1日2回対話をしている)。このお寺の檀家の方々、家族連れで総勢60名前後が参列されていた。

 住職の法要に始まり説法まで、お盆供養は1時間余だった。ここに参列された家族(小・中学生の姿も見かけた)は、自身の両親・祖父母・先祖を大事にされる方々なのであろう。本当に感服する。先祖を供養し、大事にしている家族には必ず幸がある。

 余談であるが初めて次のように認識した。住職の説法によると、故人たちは常に我々の周囲に存在しているそうだ。盆だから戻ってくるというものではないと説かれた。

韓国も同じ、兄弟「あかの他人」の始まり

 韓国の友人Rとの最近のメールを紹介する。日本でもそうだが、韓国においても同様で、「兄弟関係はあかの他人の始まり」ということだ。生活が豊かになってくると人間の性根は「我1人、自分勝手」になるものなのか!

メールのやり取り

<Rからのメール>
 おはようございます!夏休みで釜山にきています。
 父の手術は無事に終わったのですが、歩くことができないため自宅に戻れず入院生活をしています。

※筆者注:Rの年齢は65歳であり、父上の年齢は想像できるであろう。

<筆者からのメール>
 いや、まだお父上がご存命とというのは羨ましい限りですね。
 私の場合は31歳のときに父親を亡くしました。母親は私が23歳の時です。6人兄弟で私は一番下で母親が43歳のときの出産だったと思います。
 韓国でもそうでしょうが、大家族の伝統が日本でも崩壊してしまいましたね。あとは個人バラバラです。嘆かわしい。

<Rからの折り返しのメール>
 韓国も大家族は崩壊しています。
 兄弟と言っても他人と変わらない世相になっています。
 おっしゃるようにご両親が生きていることに感謝しています。

田舎だけではない、都市部でも過疎化・集落の崩壊が起きる

 先だって「101歳の喪主」のタイトルでアップされていた記事がある。101歳の喪主の娘さん76歳が亡くなられた。同居しているのは2歳下の74歳の妹さん。もう1人の姉妹は結婚して東京で家庭を築いた。となると「101歳の喪主」と74歳の妹さんとの2人暮らしの生活の長期的な維持は考えられない。福岡市西区の華やかだった住宅街も過疎化の状態が目前に迫っている。ただし、この住宅街は若い層から購入されるという利点があるから救いはある。

 盆休み中、親しい友人が突然、亡くなったので、通夜・葬儀に立ち会った。故人の長男が東京から戻ってきて家族葬とすることを決めた。筆者だけが家族扱いされて参列を許された。通夜・葬儀とも列席者は25名であった。子ども2人(一男一女)と連れ添い・孫5名を加えると9名、差し引き16名の方々の大半は70歳を超えている。おそらく10年間で過半数の方々が天に召されるであろう。

 「俺には一体、寿命がどれだけ残っているのか?」と筆者は自問自答しつつ、極度の憂鬱感に襲われたお盆であった。

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