2024年08月29日( 木 )

【越中国(富山)巡り(5)】黒部ダムの発電が危うい~青木レポート

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スイスアルプスに「雪がない」

    昨年8月23日~25日にスイスを散策した。標高5,000mに迫らんばかりのモンブランや、マッターホルン、ユングフラウなどの山々を眺め歩いた。

 高さ4,300m、富士山より500m超高いところを歩いたときには、さすがに軽い高山病にかかったようである。前日、飲み過ぎたことも災いしたか!一時、息切れ状態に陥った。ちなみにツアー仲間たちは大半が元気であった。

 その4,000mを超えたところで目撃した恐ろしい光景について話そう。標高4,500m以下の場所では雪が解けてしまっているのである。日陰のところどころにわずかな残雪が残っているだけだ。ただ4,000m地点では、ことの重大さがわからない。標高1,000m程度の場所をバスで走っていると、ことの本質がようやく理解できるようになる。山稜の至るところから水が滝のように噴き出てきているのである。

 異常気象による高温が影響しているのであろう。確かに4,500m付近でも半袖で歩きまわることができた。旅行ガイドとの事前打ち合わせでは「長袖の着用」が強調されていたのだが、現実は違っていた。加えること、この噴き出る「にわか滝」を至るところで目にした。

 「これではアルプスの至るところで、山並みが決壊して稜線が崩れてしまうだろう」と危惧した。またアルプスの麓では水害の恐れ、河川氾濫の危険性を痛感したのである。実際のところ、対策に大わらわであるという。同様の事態が黒部川でも発生している。黒部ダムの発電が機能停止に陥る可能性が高まっているのだ。

黒部ダムによる発電は「関西の救世主」

 黒部ダムは日本を代表するダムの1つで、関西電力が富山県東部、長野県境近くの黒部川上流に建設したコンバインダムである。水力発電専用のダムで貯水量2億m3(東京ドーム160杯分)、高さ(堤高)186m、幅(堤頂長)492mという巨大なダムである。

 黒部ダム建設の経緯は第二次世界大戦後の復興期にまで遡る。当時、関西地方は深刻な電力不足により、復興の遅れおよび慢性的な計画停電が続いていた。また、停電による多数の死亡事故などが深刻な社会問題となっていた。

 深刻な電力不足に対して関西電力は、大正時代から過酷な自然に阻まれ、何度も失敗を繰り返してきた黒部峡谷での水力発電以外に打開策を見出せなかった。そこで「黒部しかない」「関西の消費電力を一気に賄える」「工期7年、遅れれば関西の電力は破綻する」と当時の太田垣社長が決断し、資本金の3倍(最終的に5倍=建設当時の費用で513億円)の総工費をかけてダム建設に臨んだ。

 1956年の着工当時、「電力開発は1万kW生むごとに死者が1人出る」と言われていた。作業員の延べ人数は1,000万人、転落など労働災害による殉職者は171人にもおよんだ。こうした事実からも、秘境の黒部峡谷でのダム建設がいかに困難だったのかが分かる。ちなみに完成当時、京都府の80%と大阪府の20%(合計25万kW)の電力を賄っていたという。

集中豪雨でダムに土石流が流れ込む

 8月11日、黒部峡谷鉄道(トロッコ列車)で黒部渓谷、黒部ダムを視察した。このトロッコ列車の運営は関西電力の子会社が行っており、4月から11月まで運行している。年間利用客は50万人超(2023年)で、かなりの収益を上げているものと思われる。しかし、ここでスイスアルプスにて目撃したのと同様の惨状を目の当たりにした。山々の合間が決壊しているのである。土砂崩れによるものであろう。ガイドさんは「毎年6月から7月にかけての集中豪雨で土砂崩れが起こるのです」と悲壮感を漂わせて説明してくれた。

 この土砂崩れの副産物は非常に厄介なものである。土砂が河川に流れ込んで洲を築いているのである(写真参照)。この流れ込んだ土砂の撤去に莫大な費用がかかることは自明の理だ。そして最大の頭痛の種は、川洲が拡大すればするほどダムの発電力が低下するということである。貯めている水量が減少すれば発電量の低下を招く。異常気象にともない前代未聞の降雨量となる。結果、黒部川に莫大な土砂が流れ込むのである。黒部ダムの発電活動が危ない!

(つづく)

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