2024年10月08日( 火 )

傲慢経営者列伝(9):PPIH(ドンキ)創業者・安田氏、「日本脱出」大作戦(後)

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 ミツバチの社会は人間のように組織化されており、規則正しい集団生活を行っているので「社会性昆虫」と呼ばれている。1つの群れを存続させるために、女王蜂が産卵、働き蜂が労働、雄蜂が交尾を担う。養蜂家は、季節ごとに蜜を求めて各地を移動する。蜜(富)を求めて世界を移動する経営者がいる。ディスカウント店「ドン・キホーテ」を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)の安田隆夫創業会長兼最高顧問である。(敬称略)

22歳の息子がPPIHの非常勤取締役に就任

 そして事業承継に踏み切る。PPIHは9月27日開催した定時株主総会で、創業者・安田隆夫の息子で、22歳の安田裕作が非常勤の取締役に就任した。創業者の息子とはいえ、売上高2兆円を超える大企業が社会人1年生の若者を取締役に選任するのは極めて異例だ。「安田裕作WHO?」とネットでは湧きたった。

 写真週刊誌『FLASH』(8月30日配信)は、経済担当記者の話を載せている。

 〈隆夫氏には、前妻との間に長男がいたことは知られています。しかし、10年以上前から金銭トラブルの噂は絶えず、創業家から追放されたとみられています。そうなると、隆夫氏が築いた莫大な資産を安全に残すには、裕作氏を後継にするしかないのです〉

 有価証券報告書に記載されている裕作の経歴によると、外国育ち。ドンキの店でアルバイトを経験、インドの国際人養成学校を卒業し、スイスのホスピタリティ&レジャー経営大学で学んだ。国内のホテルインディゴ渋谷での職場体験を経て、24年1月PPIHに入社、安田会長に関わるアジアと米国事業を担当した。

「10年ルール」の縛りが消え、
息子は莫大な財産を相続できる

ドン・キホーテ イメージ    息子の裕作は、父親の隆夫から、配当と売却益が非課税となるオランダの資産管理会社を相続する。居住するニュージーランドは、贈与税、相続税はない。かくして、巨額な相続税を払うことなく、息子は父親の莫大な財産を相続できるのである。

 シンガポールに移住した15年当時の裕作は13歳。来年23歳を迎える25年には、「10年ルール」の縛りが消える。裕作が隆夫から相続しても、相続税を払わなくて済む。シンガポールには相続税や贈与税はないからだ。

 創業者の家族を取締役に選任し、ガバナンス(企業統治)の一翼を担う手法としては、カジュアル衣料「ユニクロ」のファーストリテイリング(以下、ファストリ)の名が挙げられる。ファストリは、ユニクロ創業者の柳井正会長兼社長の長男と次男が18年に取締役に就任したが、柳井氏はかねてから2人の息子については業務執行の責任を負う社長にはしない方針を示している。

 PPIHもファストリと同様、創業家の息子は業務執行の社長ではなく、業務執行を監視するオーナーの座に就くことになる。

 これは、京都の商家の「家督は息子、経営は番頭」の流儀に従ったものだ。京都の商家にとって、最優先事項はイエ(家)の存続である。家督を相続する当主は必ずしも経営への意思や能力といった基準で選ばれるわけではない。イエ(家)を存続させるために経営は有能な番頭たちに委譲された。「所有と経営の分離」である。PPIHとファストリはこれに当たる。

事業を存続させるために伊藤忠グループに入った

 安田が事業継承の柱に据えたのは、伊藤忠商事グループに加わることである。

 18年から伊藤忠商事、ユニー・ファミリーマートHD(現・ファミリーマート)、ドンキホーテHDの3社間で、資本関係の組み換えが行われた。ドンキホーテHDは、ユニー・ファミマからGMS(総合スーパー)のユニーの株式を買い取り、完全子会社化した。

 見返りにPPIHに出資。現在、ファミマが、PPIHの株式の5.54%をもつ。伊藤忠は、ファミマ株のTOB(株式公開買い付け)が成立し、完全子会社化した。伊藤忠は完全子会社化したファミマを通じて、PPIHを持ち分法適用会社に組み入れるという構図だ。

 ファミマとの資本提携で、業界を驚かせたのは、安田がファミマの持ち分法適用会社になることを受け入れたことだ。安田は独立路線を堅持すると見られていたからだ。

 創業者のほとんどは終身現役である。創業者が晩年に最も頭を悩ますのは、事業継承の問題だ。誰に事業を継がせるかだ。

 安田は、事業継承に1つの解答を見つけた。伊藤忠グループの傘下に入るという選択だ。自分は早晩引退する。自分がいなくなっても、事業は続けていかねばならない。伊藤忠グループに加わることで、事業を続けることにしたということである。

 養蜂家型経営者である安田は、蜜(富)を求めて、シンガポールに移住、オランダに資産管理会社を移転し、伊藤忠グループの傘下に入った。そして、息子が莫大な蜜(富)を吸い続けることができる仕組みをつくったのである。傲慢経営者の面目躍如である。

(了)

【森村和男】

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