2024年10月10日( 木 )

「心」の雑学(11)意味は身体が決めている?

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

ただの喩えではない?

 いまだ残暑厳しい日々が続くが、気がつけば暦のうえではもう秋となった。温暖化の影響もあり、近頃はスポーツの秋というイメージは弱くなってきたが、読書の秋、芸術の秋の印象はまだまだ根強い。下半期に入り、秋に合わせて教養を深めている人もいることだろう。文学や実学を問わず本などを読んでいると、「彼は私の右腕だ」「気分が落ち込む」「重い雰囲気」など、私たちの身体や身体感覚に根ざした表現というものをしばしば目にする。このような比喩、メタファーは、私たちが言葉や文章を理解するのを助けてくれる。というのも、これは身体に関わる表現が身近でイメージしやすいからといった単純なものではなく、実は本当に身体の体感を通して具体的に理解ができるからなのだ。

 前回の記事では、温度にまつわる概念の心理学的関係性を紹介した。たとえば「信頼」のように非常に抽象的な概念であっても、その獲得過程は赤ちゃんが養育者とのスキンシップを通じ、身体的暖かみを感じる体験を繰り返すことで学習していく。人にとっての温かさとは、単純な物理的温度の意味だけでなく、他者との身体的・心理的距離の意味を潜在的に内包しているのである。「温かみのある人」のようなフレーズも単なる比喩ではなく、こうした身体感覚やその経験を追体験して解釈されるので、鮮明で具体的に感じるわけである。このような身体感覚を通して、人が高次で抽象的な概念を構築、理解していく現象を、認知科学や心理学の分野では「身体化認知(embodied cognition)」と呼ぶ。今回は私たちが身体(感覚)を通して世界や概念を理解していることを示唆する、いくつかの研究を紹介しよう。

概念と身体空間の関係性

 まずは、時間や空間に関する身体感覚の研究を紹介していこう。たとえば、「未来に向かって進む」や「過去を振り返る」などの時間に関する表現を考えてみる。この言葉からは、未来は自分の前方、過去は後方にあることがわかる。私たちは、実際の時間を見たり認識したりすることはできない。ゆえに、時間という抽象概念には、本来位置関係などはないはずである。にもかかわらず、このフレーズは非常にしっくりこないだろうか。この感覚も、私たちの身体と世界との日々の相互作用の蓄積によるものだ。

 身体の前側、あるいは前方への運動は、未知のものに向かって動いていくことに関連することが多い。そして、自身が動く(進む)につれて、すでに経験したものは自分よりも後ろ側にくるようになる。このような身体(運動)と空間の相互作用が繰り返されることで、前への動きは未来、後ろへの動きは過去という、時間の概念的理解の基盤が形成される。実際にこの関係性を検討した研究1では、参加者を目隠しした状態で直立させ、4年前の日常生活あるいは4年後の未来の暮らしの1日をイメージさせた。すると、参加者は考えている内容が過去か未来かに沿って、自分の姿勢を後方あるいは前方に傾けていることが確認された。この研究から、身体感覚と時間・空間の概念が強く結びついていることがわかる。

 ほかには、「目上の方」や「私の右腕」といった位置情報が人の評価を表すフレーズもある。先ほどの時間の例と同様、そもそもの上下左右といった位置関係には、本質的に方向以外に意味の差はないはずである。しかし、私たちは身体感覚の経験を通して位置関係に明確なヒエラルキーを読み取ってしまう。Casasantは、この空間と優劣の関係性を検証している2。この研究の1つでは、2種類(左右・上下)の空間位置の認識に関する課題を行わせた。具体的には、ポジティブまたはネガティブの事前情報がそれぞれ付与された2種の動物を、空間のどの位置に配置して描くかを調べた。すると左右の2択では、参加者の利き手の位置にポジティブな動物を描く人が多く(右利きなら右側)、その一方で、上下の2択では利き手によらず上側にポジティブな動物を描く人が多かった。

 どうやら本当に、人は空間の上下の位置に評価の高低を関連づけているようである。一方で、左右の評価は絶対的ではなく、利き手を通した日々の経験により、空間への評価の偏りが生じていることが示唆された。これらの例のように、身体感覚がその概念とは本質的に関係ないはずの意味や評価を、ときに方向づけていることがあるということだ。英語では「右」と「正しい」や「公正」の意味がともに「right」という言葉で表されていることも、こういった背景と無関係ではないのだろう。

身体感覚をハックする?

 時空間の概念の例のように、抽象的な概念が具体的な身体感覚とそれに基づく解釈で強く関係づけられていることがわかる。このような結びつきが双方向的に影響するものと仮定して、身体感覚を通して人の判断や行動を操作しようとした発展的な研究もある。簡単にではあるが、いくつか紹介しよう。

 「重要な話」のような重さの概念を検討した研究では、仕事の採用候補者の人物評価をさせる際に、候補者に関する資料を挟んだクリップボードの重さを操作した3。その結果、重いクリップボードで採点した参加者は、候補者を高く評価し、とくに仕事への真剣さを感じていたと報告されている。「お堅い人」のような触覚を検証した研究もある4。この実験では、写真の人物の職業を「歴史学者」か「物理学者」のどちらか推測させるのだが、その際に硬いボールか柔らかいボールを握らせながら回答させた。すると、硬いボールを握った参加者のほうが、人物を物理学者と判断する人が多かった5。そして、「身の潔白」のような道徳にまつわるメタファーを検討した研究では、手を綺麗にするという物理的な清潔感の効果を検証している6。この実験では、参加者は過去の自分の不道徳な行いを思い出した後に、ボランティアへの参加を依頼された。研究者らは、参加者に過去の不道徳を想起させることで、その償いでボランティアへの参加動機が高まると想定していた。すると、ボランティアの依頼の前に手を消毒した参加者は、(罪悪感が低減されたのか)実際にボランティア参加の承諾率が低くなる傾向がみられたのである。

 これらの研究のように、身体感覚をトリガーにして人の反応を意図的に誘導できるのだとしたら、かなりの驚きである。しかし、この人間のシステムをハックするような研究は、その成果が一貫しないという指摘がある。私も正直なところ、身体感覚だけで人の行動を操作できるという立場には懐疑的だ。ただ、概念や意味は身体感覚を通して理解、構成されているという身体化認知の現象は説得力があり、概念と身体感覚が深く結びついていること自体はある程度真実だと思っている。だとすれば、コピーやフレーズを考えるとき、心(のような抽象的なもの)に訴えかけるより、身体(感覚)に訴えかけるフレーズを用いたほうが、結果として私たちには響くのかもしれない。

1. Miles, L. K., Nind, L. K., & Macrae, C. N. (2010). Moving Through Time. Psychological Science, 21(2), 222-223.
2. Casasanto, D. (2009). Embodiment of Abstract Concepts: Good and Bad in Right- and Left-Handers. Journal of Experimental Psychology: General, 138(3), 351-367.
3. Ackerman, J. M., Nocera C. C., & Bargh, J.A. (2010). Incidental Haptic Sensations Influence Social Judgments and Decisions. Science, 328, 1712-1715.
4. Slepian, M. L., Rule, N. O., & Ambady, N. (2012). Proprioception and Person Perception: Politicians and Professors. Personality and Social Psychology Bulletin, 38(12), 1621-1628.
5. これは物理学のような自然科学が「hard science」、歴史学などの社会科学が「soft science」と呼ばれていることに対応すると考えられている。
6. Zhong C. B., & Liljenquist K. (2006). Threatened Morality and Physical Cleansing. Science, 313,1451-1452.


<プロフィール>
須藤竜之介
(すどう・りゅうのすけ)
須藤 竜之介1989年東京都生まれ、明治学院大学、九州大学大学院システム生命科学府一貫制博士課程修了(システム生命科学博士)。専門は社会心理学や道徳心理学。環境や文脈が道徳判断に与える影響や、地域文化の持続可能性に関する研究などを行う。現職は宇部フロンティア大学心理学部講師。

(10)

月刊誌 I・Bまちづくりに記事を書きませんか?

福岡のまちに関すること、再開発に関すること、建設・不動産業界に関することなどをテーマにオリジナル記事を執筆いただける方を募集しております。

記事の内容は、インタビュー、エリア紹介、業界の課題、統計情報の分析などです。詳しくは掲載実績をご参照ください。

企画から取材、写真撮影、執筆までできる方を募集しております。また、こちらから内容をオーダーすることもございます。報酬は1記事1万円程度から。現在、業界に身を置いている方や趣味で再開発に興味がある方なども大歓迎です。

ご応募いただける場合は、こちらまで。その際、あらかじめ執筆した記事を添付いただけるとスムーズです。不明点ございましたらお気軽にお問い合わせください。(返信にお時間いただく可能性がございます)

関連記事