グローバル南北戦争の時代のなかの日本(前)
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京都精華大学 准教授 白井聡 氏
2022年に勃発したウクライナ/ロシアの紛争に対して、先進国追従を拒絶した国々がある。総称してグローバル・サウスと呼ばれるそれらの国々は、BRICsを始めとした経済成長を背景に、世界の趨勢を変えつつある。しかし、いまだにアメリカ崇拝の幻想に囚われている日本は、ウクライナのように衰退期アメリカの延命に利用されかねない立場になりつつある。今、日本は大きな岐路に立たされている。
グローバル・サウスの台頭 先進国追従の明確な拒否
現在日本が直面している課題は2つある。いずれもが、日本国家と日本国民の存続に関わる。すなわち、これを乗り越えられなければ、たとえば数十年後には日本国も日本国民も存在しなくなるかもしれない、というレベルの重大で危機的な課題だと筆者は見ている。1つは、少子化、その帰結としての人口減少、人口の高齢化である。これは別稿に譲るとして、本稿では、もう1つの問題を概説する。
それは、「グローバル南北戦争」と呼ぶべき国際環境において日本がどのような位置取りをするのか、という問題である。「グローバル南北戦争」とは、筆者が提起している概念であるが、それは何か?
それは、ウクライナ/ロシアの紛争が2022年に勃発して以来、はっきりと姿を現した国際情勢である。その本質を最もわかりやすく物語るのは、【図1】の2色に塗り分けられた世界地図だ。黄色く塗られた国々は、ロシアに対する経済制裁に参加している諸国、グレーの国々は参加していない諸国である。一目瞭然に理解できるのは、対露制裁を実行している国よりもしていない国の方が多いことだ。
そして、この違いにははっきりとした傾向がある。制裁参加国は、ヨーロッパの大半の国々、北米の2カ国(米国とカナダ)、オセアニアの中心的2カ国(オーストラリアとニュージーランド)、アジアでは日本・韓国・台湾・シンガポールのみだ。アフリカ、中南米で参加国は皆無、アジアの大半の地域にも見当たらない。そこに見て取ることのできる傾向とは、制裁参加国の多くがいわゆる「先進国」のカテゴリーに入れられる国々である一方で、不参加の国々はほとんどが発展途上国であることだ。
紛争勃発からしばらくして、「グローバル・サウス」という新しい言葉がさかんに使われるようになった所以がここにある。要するに、「暴虐なるロシアを制裁するぞ」というアメリカを先頭とする先進諸国の掛け声に対して、発展途上国は集団的に拒絶の姿勢を表している。笛吹けども踊らず。この趨勢は、中国が「ロシア寄りの中立」の姿勢を露わにしたことによって確定した。
なぜ、グローバル・サウス諸国はそのような姿勢をとるのか。その動機は、彼らがアメリカやヨーロッパ諸国によるロシアに対する道義的非難を意に介していない、あるいは欺瞞としてとらえているところにある。ロシアのウクライナに対する軍事行動を帝国主義的なものとする道義的非難は、これまで欧米諸国による帝国主義、植民地支配、独立後も収奪を受けてきた国々からすれば、「どの口がいうか」という冷ややかな反撥を受けているのである。
G7 vs BRICs 逆転する経済優位
だが、あらゆる行為は、動機のみでは不可能であり、それを実行する条件を必要とする。これまでも、発展途上国は先進国に対する不満や反発を抱いてきた。それを公にし、国家意思として打ち出すことのできる条件が整ったことが、新しい事態である。その条件とは、先進国と途上国との間での国力格差の縮小、言い換えれば、先進国が途上国を意のままにする力の喪失である。そのような国力格差の縮小は、【図2】の数字を見れば、一目瞭然に理解できる。
この推移が示すのは、購買力平価でみると、いまやG7諸国のGDPの総計をBRICs諸国の総計が上回っているという事実だ。このような逆転という条件に支えられて、グローバル・サウス諸国の自らの意思を曲げないという決断が可能になった。もちろん彼らは、この紛争の代理戦争的性格(単にウクライナとロシアの揉めごとなのではなく、NATO対ロシアという性格をもつ)を意識したうえで、この決断を下している。概ね「北」側に位置する先進諸国が概ね「南」側に位置する途上国に対して意思やルールを押しつけ、収奪を続けることを可能にする国際秩序を「G7体制」と呼ぶならば、グローバル・サウス諸国の姿勢はアメリカを中心とするG7体制による支配の継続に対する拒絶を示すものにほかならない。
日本人を支配する幻想 戦後日本のアメリカ崇拝
以上のような状況は、日本のメジャーなメディア環境においては、著しく軽視されている。あたかも世界中がロシアに対する道徳的弾劾に加わっているかのごとき、またウクライナの側に一方的に正義があるかのごとき印象が垂れ流されてきた。しかし、あらゆる紛争と同様、状況はそのように単純なものではない。
松里公孝「ウクライナ動乱」(ちくま新書)が詳細に論じているように、この紛争は、ウクライナ国家内部の深刻な腐敗と分裂を背景に、支配層が権力維持のためにエスノ・ナショナリズムを動員するという政治的に極めて危険な火遊びに手を染めたことの延長線上で発生した。にもかかわらず、紛争開始以来、日本のテレビでは、数多の「専門家」がウクライナに加勢することを当然視し、ロシアの敗北とプーチン政権の崩壊を予言した。彼らは幻想の世界の住人だと言わざるを得ない。そして、紛争開始から2年以上が経過し、予言は外れ続けているにもかかわらず、彼らのほとんどが自己の言説の誤りを認めることもなく、当然誤りを総括することもなく、しかしどういうわけか起用され続けている。
こうした認識の停滞も、幻想世界に住み続けたいという欲望の表れにほかならない。その欲望の根底には、戦後日本の不健全な対米従属がある。この特殊な対米従属について、筆者は『永続敗戦論』(講談社+α文庫)および『国体論』(集英社新書)を著して詳細な分析を加え、徹底的に批判した。要点のみ述べるならば、戦前の天皇制国家において日本人が天皇を盲目的に崇拝したように、戦後日本人はアメリカを崇拝し、対米敗戦の結果支配されているという事実を否認している。
戦後日本において、アメリカは大日本帝国における天皇の代替物となった。その結果、「天皇陛下のように慈悲深く日本を守ってくれるアメリカ」という幻想が成り立ち、この幻想が属国以外の何物でもないという現実を見えなくさせているのである。
かくして、ウクライナ/ロシア紛争に対する日本人の見方も、この幻想のフィルターを通したものとなる。アメリカが肩入れするウクライナは、道徳的に悪であるはずがなく、負けるはずもない、そしてロシアは当然邪悪である、と。
その一方、現状では、日本は対露経済制裁に加わっているにもかかわらず、厳密には貿易を断ち切っておらず、また殺傷能力のある武器をウクライナに供与してもいない。この政府の外交姿勢は、「したたか」とも評しうるものではあるが、はたして意図的に選ばれた戦略であるのかどうかは不明である。ただし、少なくとも報道やそれがかたちづくる国民の世界観の領域においては、現実と願望の見境がつかなくなり、幻想を傷つけるような事実を認識から排除することさえもが起きている。
(つづく)
<プロフィール>
白井聡(しらい・さとし)
政治学、社会思想研究者。東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。主にロシア革命の指導者であるレーニンの政治思想をテーマとした研究を手がけてきたが、3.11を起点に日本現代史を論じた「永続敗戦論—戦後日本の核心」(太田出版)により、第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞。著書に「国体論」(集英社新書、2018年)、「武器としての『資本論』」(東洋経済新報社、2020年)、「未完のレーニン」(講談社学術文庫、2021年)ほか。関連記事
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