【追悼】「博多ごりょんさん」の体現者・山口勝子さん旅立つ
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博多ごりょんさん
(株)山口油屋福太郎(本社:福岡市南区)の相談役・山口勝子氏が1月4日、82歳で天に召された。
7日に通夜、8日に葬儀が積善社福岡斎場にてしめやかに行われ、2日間の参列者は1,000人におよんだ。どうして故人・勝子さんはこれだけの人望を得ることができたのか。
理由は2つある。博多では商家を支える縁の下の力持ちである奥さまに敬意を込めて「ごりょんさん」と呼ぶ。勝子さんはまさに今日では稀有となった「博多ごりょんさん」の体現者であったこと。さらに会社を大きく飛躍させた「めんべい」を世に送り出した大功労者であったからである。
3歳から家業の手伝い
筆者は故人と「福岡博多ライオンズクラブ」で仲間であった。故人は会食するたびに昔話をされていた。「両親が朝から晩まで働いていた光景が脳裏に焼きついています。私は3歳から作業の手伝いを行っていたらしいと母からよく聞かされました」と話していた。こうした回顧からも想像できるように、勝子さんは幼いころから体を張って、家業「山口油屋」の手伝いをし続けてきたのである。
そして山口毅氏と結婚して二人三脚で家業の躍進を担い、まさに「博多ごりょんさん」としての役割をはたしてきた。
残念ながら近年、「内助の功」のお手本になる方が珍しくなってきた。山口勝子さんの旅立ちにより「博多ごりょんさん」が消えたといっても過言ではない。
家業を大躍進させた「めんべい」
「めんべい」の開発に着手したのは23年前からと関係者は証言する。山口油屋福太郎をここまで有名にさせたのは「めんべい」である。鉄道駅および空港売店で一番売れる土産物=「めんべい」という評価が定まったのは、この10年のことである。年間36億円から40億円の売上を叩きだしていた。
この「めんべい」を世に送り出したのが故人・山口勝子さんである。「ビジネスになるまで開発期間として7年はかかった」という苦労話をライオンズクラブの会合の席で聞いた。「これは間違いない、と確信したのは今から13~14年前であった」と語られていたのを鮮明に記憶している。また、故人の偉大さは周囲の方を必ず賞賛することである。
商品開発においては同志・江崎氏の存在があった。「江崎さんという相棒がいなかったら、めんべいをこの世に送り出すことはできなかった」と常々、語っておられたことが忘れられない。
合掌
【児玉直】
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