福岡城に天守はあったのか?「幻の天守」実在説、動き出す

出所:『甦れ!幻の福岡城天守閣』(佐藤正彦、2001)
出所:『甦れ!幻の福岡城天守閣』
(佐藤正彦、2001)

    福岡市中心部に残る福岡城天守台。その北東約1.2km先、リッツカールトン福岡24階「BAY」から望む博多湾の青は、かつて初代福岡藩主・黒田長政が天守から眺めた景色と重なる。だが、「福岡城に天守は存在したのか」という問いは、長く歴史の闇に包まれてきた。多くの市民や研究者が“幻の天守”に思いを馳せてきたが、近年、その実在を裏付ける新たな発見が相次ぎ、物語は大きく動き始めている。

 2024年12月、福岡市博物館で江戸時代前期(1640~50年ごろ)の貴重な書状が発見された。黒田家の家臣によるこの資料には「天守が建てられたので、石垣がヌルク(傾斜が緩く)なった」と明記。天守台の上に確かに天守が築かれていたことを示唆する内容だ。従来も九州大学名誉教授・丸山雍成氏らによる建築史、考古学的研究で天守の存在は有力視されてきたが、この新資料によって一層確実性が増した。

 こうした動きを受け、25年1月31日には福岡商工会議所の有識者懇談会が髙島宗一郎福岡市長に「福岡城天守の復元的整備」を正式提言。市民アンケートでも復元賛成が多数を占め、ライトアップイベントなどを通じて関心が高まり、福岡市も本格的な現地調査に乗り出した。

 科学的調査も進行中だ。25年3月には文化庁から発掘調査の許可が下り、4月からはドローンによる精密な測量が開始。天守台の3次元モデルが作成され、礎石周辺の発掘や石垣構造、地盤調査も順次行われる予定となっている。建築史の観点から推定される福岡城天守は、高さ約24m、姫路城と同等の構造をもつ5重6階の壮麗なもので、黒を基調とした威厳ある外観だったとされる。かつてこの雄大な天守が、博多湾を一望する石垣の上に聳えていたとみられる。

 では、なぜこの天守は現存しないのか。そこには黒田長政の巧みな政治判断があった。豊臣恩顧の大名であった長政は、徳川幕府との関係に細心の注意を払っていた。1619年、同じく豊臣系の福島正則が城の無断修築を理由に改易される事件が発生。長政は幕府の警戒を避けるため、1620年ごろに自発的に天守を解体したとみられる。この判断こそが、福岡城天守を“幻”にした大きな要因といえる。

 もし福岡城天守が復元されれば、古代の鴻臚館から連なる国際都市・福岡の歴史を象徴する新たなランドマークとなる。舞鶴公園と大濠公園を一体化するセントラルパーク構想の中心として、次世代へ豊かな歴史と文化を伝える役割も期待される。いま、幻の天守は歴史と未来を結ぶ新たな希望として、再び脚光を浴びようとしている。

【児玉崇】

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