健口から健康へ(10)舌が整える“体の軸”──バランス感覚の新常識

 体のバランスは耳だけでなく、実は「舌」が大きく関わっていることをご存知でしょうか。三半規管が方位磁石の役割をはたす一方で、舌の可動域がバランス感覚を左右します。舌のストレッチで舌圧を高めることが、姿勢改善と体幹強化につながる驚きのメカニズムをご紹介します。

舌がバランスを支える

 「バランス感覚は耳の三半規管が司っている」──誰もがそう思っているのではないでしょうか。たしかに三半規管は体の傾きや回転を感知する「方位磁石」の役割を担い、その情報を脳に伝えています。しかし、実際に体のバランスを保つためには、もう1つ重要な要素があります。それが「舌」なのです。

 舌の可動域がバランス感覚を左右するという事実は、あまり知られていません。舌のストレッチによって舌圧が上がると、体を引き上げる力が生まれ、重力に逆らうことで姿勢を正すことにつながります。また、体の力み(リキミ)は、体幹が上がってくるにしたがって自然と取れてきます。理想は力を抜いて、でんでん太鼓のように軸を中心にバランス良く動ける体です。

 私たちの体には、利き手や軸足による左右差が必ず存在します。この左右差を放置すると、バランス感覚の乱れや姿勢の歪みにつながります。しかし、日常生活のなかでちょっとした意識をもつだけで、この左右差を縮めることができます。たとえば、右利きの方は左手で歯ブラシを持ってみる。軸足が左なら、階段の一段目を右足から登ってみる。こうした小さな工夫の積み重ねが、体のバランスを整えていきます。「意識が変われば行動が変わる」──まさにこの言葉通り、日々の意識が体を変えていくのです。

実践!舌ストレッチ

 具体的な舌ストレッチのトレーニング方法をご紹介しましょう。おすすめのタイミングは食事を摂る前です。もう1つのタイミングとしては、寝る前、布団に入ってからでも効果的です。回数は1回につき2〜3回で十分。やりすぎは禁物です。

 まず基本となるのが「舌回し」です。時計回り、反時計回しで舌を大きくゆっくりと回しましょう。口の中で舌を歯茎に沿って動かすイメージです。個人差はありますが、生活のなかのルーティンとして取り入れた方が長続きします。

 次に、舌を上の歯の裏側に当て、離さないようにして顎を引きます。これは舌の裏側にあるスジ(舌小帯)を伸ばすストレッチです。ポイントは2つ。①口角を上げること、②ほうれい線を深くして鼻腔を広げることです。この動作によって、舌全体が上顎(口蓋)に密接し、舌圧を上げる効果が高まります。

顎と舌の深い関係性

 顎の関節は、手足の関節と比べて特殊な構造をしています。左右が一体となって動き、しかも下顎窩(下顎を支える場所)の内側には三半規管が位置しているため、バランスと深く関係しているのです。

 顎関節を車にたとえるなら、タイヤに相当します。そして舌はエンジンです。エンジンである舌を鍛える舌ストレッチこそが、バランス感覚を養っているのです。舌の力が高まれば、体幹が安定し、姿勢が整い、結果として転倒予防や運動能力の向上にもつながります。

 口腔機能、とくに舌の働きは、単に食事や会話のためだけではありません。全身のバランス感覚や姿勢維持という重要な役割も担っています。毎日の舌ストレッチと日常生活での左右差への意識が、健やかな体づくりの第一歩となるでしょう。「健口」から「健康」へ―舌を鍛えて、バランスの取れた体を手に入れましょう。


歯科医師 大村豊(おおむら・ゆたか)
大村歯科クリニック 歯科医師 大村豊 氏1964年3月23日福岡県柳川市生まれ。福岡歯科大学卒業後、大学院で舌の発生学を研究。2002年10月に福岡市百道浜で大村歯科クリニックを開業し、予防歯学を重視した診療を展開。オーラルフレイルに早期から着目し、独自の口腔機能向上プログラムを通じて患者の生活の質向上を図る。現在も「口の健康が全身を支える」という信念のもと、研究と臨床の両面から口腔ケアの重要性を訴え続けている。

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