中国、低迷する経済と不穏化する社会 再びの米中貿易戦争に耐えられるか(前)
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『現代ビジネス』
編集次長兼中国問題コラムニスト
近藤大介 氏近年、中国経済の悪化が言われ続けているが、その現状および原因、中国政府がいまどん講じている対策について、そして、アメリカのトランプ政権発足にともなう「米中貿易戦争」を中国はどれほど警戒しているのか。長年中国を観察してきた近藤大介氏(講談社『現代ビジネス』編集次長兼中国問題コラムニスト)に寄稿してもらった。経済の悪化にともない中国人がどんな生活を送っているかについて、2024年の中国の流行語ベストテンで示したものも興味深い。
マイナス成長も疑われる中国経済
本誌の発刊は2025年1月下旬という。そこで中国に関して、そのころに確実に起こっているであろう2点のことについて、以下掘り下げて述べたい。
1点目は、中国時間の1月17日午前10時(日本時間11時)、北京で年明け恒例の「国民経済運行状況新聞発布会」だ。登壇者は、中国国家統計局の康義(こう・ぎ)党組書記兼局長(統計大臣)である。
この日は、康局長の年に一度の晴れ舞台で、「2024年の中国のGDP成長率」など、前年の主な中国の経済統計の速報値を発表。世界的なニュースになっているはずだ。
24年のGDP成長率に関しては、同年3月5日、全国人民代表大会(国会)初日の「政府活動報告」を行った李強(り・きょう)首相が、「5.0%前後の経済成長をはたす」と力強く語った。だが、第1四半期(1~3月)こそ、5.3%と通年目標を超えたものの、第2四半期(4~6月)が4.7%、第3四半期(7~9月)が4.6%と、失速していった。
「肌感覚」でいえば、第4四半期(10~12月)の成長率が5%を超えるとは到底思えず、すなわち通年目標の達成は難しい。12月に来日したある中国の経済学者に聞くと、周囲に人がいないことを確認したうえで、こう呟いた。
「本当は、2024年はマイナス成長ではないか。これだけ中国全土の経済が悪いのだから。だが発表するのは国家統計局だから、どんなデータが飛び出すのかわからない」。
つまり、国家統計局が行う発表は、日本の太平洋戦争中のような「大本営発表」だということを示唆したのだ。
国家統計局の「大本営発表」に関して、私は2つのアネクドート(政治小噺)を中国人から聞いた。それは、以下のようなものだ。
「中国経済の悪化が止まらず、すでに経済政策の司令塔である国家発展改革委員会も、税収を司る財政部も、人民元の番人である中国人民銀行も、均しくさじを投げた。だが14億中国人民は、まったく希望を捨てていなかった。『だって我々には、最後は国家統計局がついているではないか』」。
「国家統計局は、他国では考えられない驚くべきスピードで、膨大な統計を処理しており、毎月の月末までの主要統計は、わずか2週間で発表にこぎつけている。これは最近、最新式のAIを搭載したスーパー・コンピューターを導入したおかげだ。そのコンピューターは、中国側に好都合な統計データと判断すれば2倍にし、逆に不都合な統計データと判断すれば半分にして算出してくれる優れものだ」。
これらブラックジョークはともかくとして、25年1月17日に、もしも「通年のGDP成長率は目標値の5.0%を超えた」と、康局長が鼻高々に吹聴していたなら、それはおそらく「大本営発表」であろう。しかし逆に、「残念ながら未到達に終わった」と正直に頭を垂れていたなら、習近平政権の経済運営が問われることになる。
私は、康局長がこんな弁明をするかもしれないと予想している。「5.0%には達しなかったが、通年目標は5.0%“前後”であって、5.0%ではない。よって、通年目標は達成したのだ」。
「21世紀の毛沢東政治」から
改革・開放の鄧小平政治へいずれにしても、中国経済はいま、すこぶる悪い。なぜ悪いかといえば、最大の理由は、20年から22年まで丸3年続いた、いわゆる「ゼロコロナ政策」(コロナ患者をゼロにするための強硬なロックダウンや隔離政策)の後遺症に悩まされているからだ。
22年の年末にようやく「ゼロコロナ政策」を解除し、通常の経済活動を認めるようになった。それによって「全民感染」(ほぼ全国民が新型コロナウイルスに同時期に感染した)という苦難はあったけれども、人々は経済のV字回復に期待した。
だが、23年3月に3期目の5年を始動させた習近平政権が掲げた最優先政策は、「総体国家安全観」だった。これは、何よりも優先的に習近平政権の安全と安定を死守していくというもので、同年7月には反スパイ法を改正。「人を見たらスパイと思え」という風潮を生んだ。その結果、経済はますます停滞し、外資は逃げていった。
その後、同年12月に行った「中央経済活動会議」(24年の経済運営の方向性を決める重要会議)で、習近平主席は「中国経済光明論」を説いた。これは一言でいえば、「もっと中国経済を光り輝くように報道せよ」(マイナス報道はまかりならない)という指令だ。以後、官製メディアを動員して、「偉大なる中国経済キャンペーン」が張られ、現実とますます乖離していった。
24年3月、北京で年に一度の全国人民代表大会が開かれた。そこには全国31の地域から2,872人の代表(国会議員)たちが集い、多くの「分科会」を通じて、中央政府と地方自治体が抱えているさまざまな問題を議論した。
習近平主席は、そうした会議に「飛び込み参加」するなかで、中国経済の実態を初めて思い知ったのではないか。それまでは部下たちが「大本営発表」を報告し、CCTV(中国中央広播電視総台)を見ても『人民日報』を読んでも、「バラ色の中国経済」しか報じていない(自分が出した指令なのだが)。
なぜそう推定するかというと、24年3月の全国人民代表大会の後から、習近平政権の経済・外交政策が変わったからだ。経済政策をスパイ摘発よりも優先させ、「戦狼(せんろう)外交」(狼のように戦う外交)から「微笑外交」に転じた。
5月に不動産分野で「4つの改革」を宣言(「5・17楼市新政」)。7月には「3中全会」(中国共産党第20期中央委員会第3回全体会議)を開いて、「さらなる全面的な改革の深化」を決議した。外交面でも、習近平主席は4月にドイツのオラフ・ショルツ首相と、5月にフランスのエマニュエル・マクロン大統領と、7月にイタリアのジョルジャ・メローニ首相と会談し、それぞれさらなる友好協力を謳った。
習主席は8月、19日間もの長い夏休みを取った。すると夏休み明け以降、さらに経済優先政策と微笑外交が加速していった。9月の党中央政治局会議で、経済安定化のための「3つの新措置」を承認。10月には財政部が「6つの新措置」を発表し、住宅都市農村建設部が「4つの取り消し、4つの引き下げ、2つの増加」を発表。そして11月には、財政部が「5年で10兆元(約210兆円)」もの緊急財政支出を発表したのだった。
その間、11月に習主席はペルーAPEC(アジア太平洋経済協力会議)とブラジルG20(主要国・地域)の首脳会議に出席。日本の石破茂首相を含む計16カ国もの首脳との会談を行い、「人類運命共同体」を訴えた。
習主席は、22年10月に開催した第20回中国共産党大会で、「5年に一度の重要スピーチ」を行ったが、そこで頻出した言葉は、「社会主義」78回、「安全」44回、「市場経済」2回。つまり習主席が行いたい政治は、「21世紀の毛沢東政治」にほかならない。
ところが社会の要請に応じて、24年3月以降は改革開放という「鄧小平政治」を行っているのだ。引き続きこの路線を「忍従」できるかに、25年の中国経済の行方はかかっているのではないか。もっとわかりやすくいえば、習主席が静かにしていられれば、中国経済はV字回復していく──。
(つづく)
<プロフィール>
近藤大介(こんどう・だいすけ)
1965年生まれ、埼玉県出身。浦和高校、東京大学卒。国際情報学修士。講談社入社後、中国や朝鮮半島などの東アジア取材をライフワークとする。北京大学留学、講談社北京現地代表などを経て、『現代ビジネス』編集次長兼中国問題コラムニスト。連載中の毎週1万字の中国レポート「北京のランダム・ウォーカー」は760回を数え、日本で最も読まれる中国コラムの1つ。2008年より明治大学国際日本学部講師(東アジア国際関係論)を兼任。著書は『尖閣有事』(中央公論新社)、『進撃の「ガチ中華」』など36冊に上る。19年『ファーウェイと米中5G戦争』で岡倉天心記念賞最優秀賞を受賞、NHKスペシャルの原作にもなる。関連記事
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