【特別寄稿】日本の中小企業とジョブ型雇用~ジョブ型に惑わず、メンバーシップ型を脱ぎ捨てられるか~(前)

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労働政策研究・研修機構労働政策研究所長
濱口桂一郎 氏

労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口桂一郎 氏

 近年「ジョブ型」が流行しているが、かつて高度成長期にも職務給が流行していた。日本ではジョブ型は目新しいものとして売り込まれるが、実は世界的に見れば産業革命期以来の古くさい仕組みである。また世界的にはジョブ型からの脱却を唱道する声もある。むしろ日本的なメンバーシップ型は、非正規労働や女性、高齢者の働き方との矛盾ゆえに見直しが迫られている。一方、中小企業はジョブ型ではないが、大企業的なメンバーシップ型とも異なる面がある。伝道師の売り歩く「ジョブ型」に惑うことなく、自社の寸法に合わない過度なメンバーシップ型を脱ぎ捨てたほうが良い。

はじめに

 もう4年前になるが、2021年に『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)という本を出した。20年ごろからメディアでジョブ型という言葉が頻出するようになったが、その意味がきちんと理解されていないと感じたからだ。その結果、ジョブ型=成果主義といった誤解はかなり影を潜めたが、ジョブ型=職務給といったやや狭い理解が広がった。

 とりわけ、岸田政権下で進められる新しい資本主義のなかでは、「メンバーシップに基づく年功的な職能給の仕組みを、…ジョブ型の職務給中心の日本にあったシステムに見直す」と、職務給を唱道し、去る24年8月には『ジョブ型人事指針』を取りまとめた。

90年代の失敗 否定型の成果主義

 実は日本近代史において、職務給は繰り返し流行してきた。とくに戦後は、1950年代から60年代にかけて、政府や経営団体は同一労働同一賃金に基づく職務給を唱道していた。ちょうど60年前の63年、当時の池田勇人首相は国会の施政方針演説で「従来の年功序列賃金にとらわれることなく、勤労者の職務、能力に応ずる賃金制度の活用をはかるとともに、技能訓練施設を整備し、労働の流動性を高めることが雇用問題の最大の課題であります」と謳っていた。

 ところが日経連は69年の報告書『能力主義管理』で職務給を放棄し、見えない「能力」の査定に基づく職能給に移行した。だが「能力」は下がらないので、中高年層では人件費と貢献が乖離していく。そこで基本給の上昇を抑制するために90年代に小手先の手段として導入されたのが成果主義だった。

 欧米のジョブ型社会では職務に値札がついているので、そのままでは賃金が上がらない。そこで、「お前は成果を挙げているから」と個別に賃金を上げるために使われるのが成果主義である。成果を挙げた者の賃金を上げるのが欧米の成果主義だ。

 ところが四半世紀前に日本で導入された成果主義は、そのままでは(「能力」に基づく)年功で上がってしまう正社員の賃金を、「お前は成果を挙げていないじゃないか」と難癖をつけて無理やり引き下げるための道具として使われた。こんな制度がうまくいくはずがない。日本型成果主義は失敗に終わったが、問題は残ったままだ。そこで、人件費と貢献の不均衡の是正に再チャレンジしようとしているのが、現在のジョブ型ブームなのであろう。

ジョブ型は実は古臭い

 こうした日本独自の文脈で理解されているジョブ型の真の姿を歴史的に描き出したのが、2020年に出した『働き方改革の世界史』(ちくま新書)だ。出発点は19世紀イギリスのトレード・ユニオン(職業組合)が行う集合取引(コレクティブ・バーゲニング)だった。トレード(職業)こそ、20世紀アメリカでジョブ(職務)が確立するまでの労働世界の基軸であり、欧州では戦後も残存した。その後20世紀半ばに、アメリカ労働運動はジョブ・コントロール・ユニオニズムを確立した。

 ジョブ・コントロール(職務統制)とは、テイラーの科学的管理法とフォードの大量生産システムによって旧来のトレードが解体し、企業の管理単位としてジョブ(職務)が成立するなかで、ジョブ・ディスクリプション(職務記述書)により明確に区分されたジョブごとに時間賃率を設定し、セニョリティ(勤続)によりレイオフ(一時解雇)を規制するルールを、ユニオン主導で確立することである。

 ところがジョブ・コントロールはその硬直性が批判され、やがて労働組合も衰退していった。一方、ジョブ型システムはホワイトカラーにも拡大し、こちらはヘイ等のコンサル会社の商品として企業が活用している。

ジョブ型に対する批判 タスク型をすすめる動き

 近年の情報通信技術の進展により、タスクをジョブにまとめて継続的な雇用契約を結ぶ必要性が薄れ、(ミクロまたはマクロな)タスクをその都度委託する契約(自営業化)が広がる可能性がある。たとえば、現在日本で「ジョブ型」を新商品として大々的に売り込んでいるのはマーサー・ジャパンだが、本家の米マーサー社では、硬直的なジョブ型から柔軟なタスク型への移行を唱道している。

 同社幹部の近著『Work without Jobs』では、職務記述書に箇条書きでまとめられた固定的なジョブをジョブホルダー(従業員)が遂行するという古臭いオペレーティングシステム(OS)を脱構築(デコンストラクション)し、ジョブを構成する個々のタスクをインディペンデント・コントラクター(高度な専門性を持ち複数企業と契約して活動する個人事業者)、フリーランサー、ボランティア、ギグワーカー、社内人材など多様な就労形態で遂行する仕組みへ移行すべきだと説いている。

 同書はジョブ型の欠陥を、労働者の能力を職務を結びつけて判断し、職務経験や学位と無関係な能力を把握できず、そのジョブに必要な資格を有しているか否かでしか判断できず、個々のタスクを遂行するに相応しい人材を発見できない点にあるというのだ。

 裏返していえば、ジョブ型雇用社会とはジョブという社会的構築物(フィクション)を実在化し、皆がそれに振り回されている社会ということである。逆に日本は、ジョブというフィクションは希薄だが、その代わり社員身分というフィクションが濃厚である。人間社会はフィクションなしではやっていけないのだろう。

(つづく)


<プロフィール>
濱口桂一郎
(はまぐち・けいいちろう)
1958年生まれ。83年労働省入省、2003年東京大学大学院客員教授、05年政策研究大学院大学教授、08年労働政策研究・研修機構統括研究員、17年労働政策研究・研修機構研究所長。主著:『新しい労働社会』岩波新書(2009年)、『若者と労働』中公新書ラクレ(2013年)、『日本の雇用と中高年』ちくま新書(2014年)、『働く女子の運命』文春新書(2015年)、『働き方改革の世界史』ちくま新書(2020年)、『ジョブ型雇用社会とは何か』岩波新書(2021年)。

(後)

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