「洗脳世代」からの提言(1)「洗脳世代」

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福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

 ここで「洗脳世代」と呼ぶものは、第二次世界大戦前後に生まれ、アメリカに従属する日本を「当たり前」とみなし、今に至るまでそのことを疑問視せずにいる世代のことである。私もその1人だ。

 なぜ「洗脳」かといえば、アメリカが「民主主義と自由の国」として世界の人々の脳裏にそのイメージを焼きつけてきたからだ。日本はそれに乗じて自らを「民主と自由の国」であると自身を「洗脳」し、それによって忌まわしい過去と向き合うことを避けたのだ。

 だから、これはアメリカのせいではなく、日本自身のせいである。アメリカがそのように仕向けたにしても、それを受け入れて増幅させてきたのは日本なのだ。

 韓国のキム・ジヨンは、日本の戦後文学が戦勝国アメリカの巧みな文化政策のもとにつくられた過程を、『日本文学の<戦後>と<変奏>されるアメリカ』という大著で示している。読むと、私自身がアメリカの文化政策に大きく左右されてきたことがわかる。

 とはいえ、問題はその文化政策に乗じて自国がアメリカの一部であるかのように振る舞いたがってきた国の在り方だ。日本人は主権者意識が足りないなどといわれるが、日本という国自体が主権者意識に欠けている。

 このようにいうと、「お前は右翼か?」と疑われるが、日本の右翼は「反共」であったことはあっても、「反米」であったことがない。一方、かつては反米を掲げていたが、今はその勢いもなくなっている左翼も情けない。もはや日本全体がアメリカ支持なのだ。

 さて、私の「洗脳」はいつごろ始まったのか。小学生のころ、横須賀の米軍基地から遠くない町に住んでいた私は、人通りの多いところに行けば必ず数人の米兵を見かけた。図体が大きく怖い気もしたが、こちらが見つめるとにっこり笑い返してくれ、案外に親切そうに見えた。

 クリスマスが近づくと、彼らはサンタクロース姿で街頭に立ち、道ゆく子どもたちにチョコレートを配った。「ハーシーズ」と呼ばれる板チョコで、このハーシーズが「物資豊富の国アメリカ」というイメージをもたらした。

 そもそも、クリスマスの日本への移入もアメリカの文化政策の1つだった。街頭には明るいクリスマス・ソングが流れ、美味しそうなケーキが出始めた。私たちは「明るい未来」を思い、「アメリカは幸せな国」というイメージを膨らませた。

 私の家の近くには、軍属でないアメリカ人の技術職員の一家が一軒家を借りて住んでいた。一般の兵士は基地内に住んでいたが、彼らにはそういう「特権」があったようだ。そこの主人は学者風の真面目そうな人で、奥さんも堅実そうだった。子どもが3人ほどいたと記憶する。

 この一家と接するようになったのは、日曜日にその主人が近所の子どもたちを家に招き入れ、映画会を催してくれたからだ。私はそこで初めてディズニーのアニメを知った。今思えば、ディズニーもまた「幸福な国アメリカ」の象徴だった。

 アメリカ製の劇映画を映画館で見るようになったのは、もう少し後になってからだ。兄に連れられていろいろ見たが、今でも記憶に残っているのは『地獄の戦線』だ。主人公はアメリカ兵で、敵兵をバッタバッタと殺していく。最後は本国に帰り、勲章を受けるという英雄譚だった。

 子どもだった私は、その英雄に憧れた。この米兵のような勇猛な白人が、自分たちの国の兵士をいとも簡単に殺していったことなど、想像もできなかった。「アメリカは強い」という印象だけが残った。

 その映画には、アメリカ軍の「民主的」な運営も強調されていた。下級の兵士でも上官に意見できるという場面がいくつかあった。「日本軍は問答無用の世界だ」とは大人たちから聞いていたことだ。「軍国日本は悪」「民主国家アメリカは善」というイメージが、私1人でなく、同年代の多くの日本人の共有するものとなっていた気がする。

 そのイメージは、テレビが普及し始めてアメリカのドラマが次々に放映されるようになるとますます強まった。『パパはなんでも知っている』といった家庭ドラマが日本家庭の範とすべきものとなり、それがやがて「マイホーム」ブームへとつながった。

 そういう時代だったから、「伝統」を語ることは一種のタブーだった。「昔のほうがよかった」などとは間違ってもいえなかった。その一方でチャンバラ映画も人気があったのだから、文化的矛盾があったといえるだろう。

 この矛盾を乗り切るには、アメリカを代表するスポーツである野球で日本人が活躍する必要があった。最近は彼らの活躍ぶりが目立つようになり、私たちは「鼻高々」となっている。彼らが「サムライ」と呼ばれるのは、それなりの理由あってのことだ。

 だいぶ後のことだが、長崎の原爆記念館を初めて訪れたとき、原爆投下の主がアメリカだったことを如実に知ってショックだった。それまできちんとこの事実を教わっていなかったとはどういうことか。私は愕然とした。日本は戦争も戦後もまともに語っていない。

(つづく)

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