【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(32)
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元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
◇印が広太郎さんの草稿 ◆印は僕が見てきた景色の対比である。
アイランドシティ事業
◇10事業のなかで一番議論が多かったのが、アイランドシティ整備事業です。この事業は博多湾の国際競争力を保持するために航路を深く浚渫し、船舶の大形化に対応しようとする意図によって生まれた事業です。したがって多くの方々が誤解されているように、「まず土地を作ろう」という土地崇拝的な事業ではありません。本市経済の約25%強を担う博多港の港湾機能が損なわれることは、そのまま本市の経済的衰退を伴うはずです。私はそれゆえ選挙中もこれを「中止する」や「撤退する」とは言っていませんでした。しかし、博多湾の航路浚渫によって生まれる都市機能用地を福岡市の将来に、どう役立てていくかという視点が必要であると考えました。点検の結果、地盤改良工事の大胆な工法の見直しなどによる工費の縮減を行うことにより、(1)総事業費が当初の約4,600億円の範囲内で推移する見込みであること、(2)社会経済状況に応じた土地処分計画に基づいた予測を行ったところ、事業採算性に見通しが持てると確信したこと、(3)土地利用に関し今後導入機能を絞り込み具体的な検討を行っていくということから事業は継続と判断しました。もちろんアイランドシティの事業環境は刻々変化しており、随時の見直しが必要と考えていますが、平成14年3月には大胆に事業計画を見直し、事業そのものに本市の都市政策上の新たなミッションを付与するとともに、金融機関にも納得頂ける収支計画を策定致しました。また新世紀社会の創造モデルとなる実験都市と位置づけた本事業を、文字通り福岡市が一体となって実現して行くため全庁的な事業の推進体制を構築致しました。都市は生き物であり、発展するか衰退するかの二者択一しかあり得ません。現状維持はあり得ないのです。私はこのアイランドシティを福岡市の将来を担う希望の地として、そしてまたアジアや世界へのゲートウェイとして積極的に活かしていかなければならないと考えています。
◆今読んでも、歯切れが悪いかな。この時点では、まだ銀行団との決着がついてなかったので、致し方ないのだろう。とにかく、2期目の改選を控え、大規模事業点検と併せて、2000年新生銀行、2001年の鹿児島銀行による博多港開発(株)への新規融資停止やSBCの清算以降、金融機関から吹き付ける猛烈な逆風のなか、当時の市の総力を結集して、事業計画や収支計画を見直したことは言及したかったと思う。
(1)博多港開発㈱の資本金の増資 4億円→64億円
(2)博多港開発(株)の事業費 1,850億円→1,600億円への引き下げ
(3)分譲価格の引き下げ
(4)200億円の緊急融資制度
(5)地下鉄の延伸(これは幻に)SBCの清算→博多港開発、まさに江戸の敵を長崎で討たれているようなものだったけど、当時財務省から来ていただいていた渡部晶(※次項に詳述)さん/総務企画局長(平成13年/2001年2月着任)まで巻き込んで、銀行団との厳しい折衝が続き、山崎市政は大波に襲われていた。僕の耳には届いていなかったけど、当時市役所のなかでは、「俺らの退職金は人工島の土地か?」との話が蔓延していたらしい。
そして、さらに大きな一手が打たれた。平成17年(2005)、博多港開発(株)第2工区の埋め立て権の399億円での譲り受け、起債による第2工区の市直轄化である(シンジケートローン300億円、市場公募債100億円)。将来の事業リスクを福岡市が引き受けたことにより、博多港開発(株)に対する金融機関の不安はほぼ払拭された。もちろん、土地が売れてなんぼなので、とりあえずは「時間を稼いだ」に過ぎなかったのだけれど、結果としてみれば、とても大切な「時間稼ぎ」になったのだと思う。そして、なぜこのような起債が可能だったのか?当時の山崎一樹財政局長を先頭に積極的なIR活動(投資家への市の業績や経営方針の情報提供活動)に取り組んでもらっていたが、何より、大規模事業の再点検を始め、財政健全化の取り組みにより、他都市に数年先んじて12年度決算からプライマリーバランス(新規起債発行額と公債費/償還額の差)の黒字化を達成していた。平成17年度(2005)からは全会計ベースで市債残高が減少に転じ、市債市場もそれを評価して地方債の格付けが平成17年3月3日、AA−からAAに1ノッチ引き上げられていたことなども影響していたはずである。「天は自ら助くるものを助く」ということだろう。
◆「都市は生き物であり、発展するか衰退するかの二者択一しかあり得ません。現状維持はあり得ないのです」という言葉は、広太郎さんから何度も聞かされた。若いころに秘書として仕えた故柳田桃太郎さん/元門司市長、元参議院議員から教えられた教訓とのことだった。広太郎さんは、本気でアイランドシティは必ず将来の福岡市にとって、貴重な土地になると信じていたので、「売り急ぐな」とすら言っていた。当時、日銭を稼がなければいけない身からすると、何をノー天気なと言いたくなる発言だったが、今思い返すと、福岡市の将来を見据えて、アイランドシティの可能性を信じていたし、福岡市への期待や愛情が途轍もなく大きかったのだと思う。
紆余曲折の歳月を経て、令和4年(2022)「アイランドシティ」の分譲が完了した。
振り返れば、アイランドシティは福岡市政の喉に突き刺さった魚の骨のような存在だった。桑原市政から山崎市政への転換では、アイランドシティを含めた大規模事業を「引き返す勇気」を持って再点検するとした開発行政の見直しが、前評判を覆しての広太郎さんの勝利につながったし、8年後の山崎市政から吉田市政への転換では、市民病院とこども病院のアイランドシティへの統合移転などが争点になり、当時の吉田候補の選挙戦はアイランドシティの入り口、御島かたらい橋から始まったと記憶する。そして、4年後は、さらにアイランドシティへのこども病院の移転決定の経緯などが争点となり、吉田市政から高島市政に転ずるなど、目まぐるしい政変/政権交代を招いてきた。
今、そのアイランドシティには、「世界と福岡を結ぶ先進的な物流拠点と、未来都市の機能を備えた自然豊かな暮らしが広がるまち」が誕生している。人道橋の「あいたか橋」で結ばれたアイランドシティの海岸緑地と片男佐海岸緑地(一周約3km)のロケーションは、香住ヶ丘の緑、立花山塊の緑、三郡山系の緑の三層構造と修景の行き届いた戸建、中高層マンションに囲まれ、大濠公園以上の景観であり、毎日多くのウォーキングやジョギングを楽しむ市民で賑わっている。徒歩15分、車なら5分の位置にわが家はある。広太郎さんと今のアイランドシティをゆっくり歩いてみたかった。
(つづく)
<著者プロフィール>
吉村慎一(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
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