孫正義シリーズ(6)AI(=人工知能)を考える(4)

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福岡大学名誉教授 大嶋仁

(4)偶然と必然

 世界のすべてが論理計算だけで尽くせるのだろうか? 生物学者・モノーは「尽くせない」と答えている。彼曰く、「生物の世界は必然だけでなく、偶然がものをいうからである」。論理計算は「必然」の世界でしか通用しないのだ。

 「偶然」とは不確定要素があるということで、「不確定」といえば、生物の世界だけでなく、地震にしても、津波にしても、予測ができない。私たちの生きる地球全体が、なにをしでかすかわからないのだ。

 無論、そこにも「必然」はあろう。地球物理学はその「必然」を解明しようとする。しかし、それが解明できたとしても、依然として「偶然」は残るのだ。

 「偶然」を認めるか認めないかは、物理学の世界でも意見が分かれているようだ。アインシュタインは偶然を否定したかったのに、ボーアは肯定している。熱力学での偶然性に固執したボルツマンが周囲から奇人扱いされ、ついに自殺に追いやられている。

 「偶然」と「必然」という概念は、人類学者のレヴィ=ストロースも重視していたものだ。近代科学は「必然」を基に成り立っているが、新石器時代の文化は「偶然」を尊重する、と彼はいう。そして、新石器文化こそは現代に至るまで人類の基礎をなすものであり、近代科学はそれに比べると歴史が浅いというのだ。

 なるほど、新石器時代の文化は私たちの日常に生き続けている。「焼き物」や「料理」にそれは生きているのだ。この文化の主役は「火」であり「土」である。新石器時代の人々は集団をなして生活し、居を構え、農耕をして家族を養ったのだ。

 レヴィ=ストロースによれば、新石器時代の文化には「なにかが生まれるのは偶然あってのことだ」という考えがあった。ところが、近代科学においては、「なにかが生まれるのは、初めに目的を定め、その目的に必然的に到達する方法があるからだ」と考える。つまり、近代科学においては「必然」が主体で、「偶然」の入る余地がないのだ。

 その結果、近代科学はある種の「完璧」を実現するが、そこに「人間臭」が見つからない。一方の新石器の文化は、「完璧」からは程遠いが、「人間臭」を残すのだ。

 レヴィ=ストロースはこの「人間臭」を「過去の思い出」と結びつけている。近代科学が生み出すものは「過去」をもたない。一方、新石器時代の産物は「過去」を喚起するのだ。

 かくいうレヴィ=ストロースは、必ずしも近代科学を否定してはいない。彼が危惧したのは、近代科学が猛威を振るって新石器文化を潰してしまうことだった。焼き物という手づくりの品物のかわりに、工業製品としての皿やカップが出回り、焼き物がほとんど入手困難な状態になること、それを恐れたのである。

 とはいえ、彼は人類の運命については悲観的で、ホモサピエンスは物質的利益を追い求め続けるあまり、新石器文化を葬り去ってそれで勝利したつもりになって地上から消え去るのではないか、と見ていた。私自身は彼の悲観を拠有できずにきたが、近年のAIの発達状況を見ると、そうならないとも限らないと思うようになっている。

 話を「必然と偶然」というテーマに戻すと、日本の伝統文化には「偶然」を重んじる新石器的なところが多分にある。唐津焼にしろ、備前焼にしろ、日本では今でも「焼き物文化」が残っている。焼き物師たちに「何が面白いのか?」と聞くと、「焼いてみないと、どんなものが出てくるかわからない楽しみです」と異口同音にいう。彼らは「偶然」をたのみにし、そこに「生命」を見ているのだ。

 パチンコにも、ルーレットにも偶然が介入しているのでは? ゲームの世界に偶然はつきものなのでは?

 そう思ってみたが、そこには何かが欠けている。羽生善治氏が将棋仲間とする談笑から得られるヒラメキが、そこには見つからないのだ。となると、偶然だけではだめで、コミュニケーションがなくてはならないことになる。ゲームは1人でもできるのだが、その「1人でも」が引っかかるのだ。

 そういうことで日本の伝統文化を見直すと、「連句」という今から見れば高尚なゲームがある。複数の人が集まって、1人が句を繰り出すと、次の人がそれに別の句を添え、さらに次の人が新たな句をつけて、詩の世界を広げていく遊びなのだ。そこには目的もなく、到達点もなく、ただ偶然と必然の微妙な交差を楽しむのだ。

 そういうわけで、連句は1つの作品として出来上がらない。そこからは、「一篇の詩」は生まれ出ないのだ。そこが近代以降の日本でウケない理由だというのは、近代は目的を求め、必然を求め、完成品を求める時代だからだ。連句はむしろ、次々と繰り広げられる予測不可能な過程そのものを楽しむものなのだ。

 「このようなゲームこそ真にモダンなのだ」という人もいる。私はそこにこう付け加えたい。「そのモダンさは新石器時代の精神からきている」と。おそらく連句こそは、AIが最も苦手とする分野であるにちがいない。

(つづく)

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