傲慢経営者列伝(15)澤田秀雄HIS~稀代のアイデアマンが欠落したものとは(前)

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 「ベンチャー三銃士」。1990年代に、こう呼ばれた若手ベンチャー起業家がいた。ソフトバンク創業者の孫正義、人材派遣の草分けとして知られるパソナの南部靖之、格安航空券販売、ツアー旅行の火付け役となった旅行代理店HISを創業した澤田秀雄。これら起業家は、学生起業という当時の常識では考えられない経歴で実績を上げていた若手起業家だ。あれから35年余。「ベンチャー三銃士」の明暗が分かれた。(文中の敬称略)

「高い志」を追い続けた「ベンチャー三銃士」

西新宿 イメージ    第2次ベンチャーブーム(1980年代)の時代に、若手起業家が門戸を叩いたのが、経営学者の野田一夫。そのなかには、「ベンチャー三銃士」と呼ばれることになるソフトバンクの孫正義、パソナの南部靖之、HISの澤田秀雄がいた。野田は、彼らにこう説いた。

 「君たちは『志』と『夢』の違いがわかるか。『夢』は、クルマを買いたい、家をもちたいという快い願望だが、『志』とは未来への真剣な挑戦だ。『志』と『夢』では次元が違う。『夢』を追うような男になるな!『高い志』を追い続ける男になれ!」

 師・野田一夫の教えに従い「ベンチャー三銃士」は『高い志』を掲げた。孫正義は情報革命、南部は雇用革命、澤田はサービス革命の『志』を掲げて疾走した。当時、“ヒヨッコ”にすぎなかったベンチャー起業家は、今では日本のベンチャー起業家としてリスペクトされており、一般的なビジネスパーソンであれば誰でも知っている人物たちだ。

 しかし、今日の立ち位置は異なる。孫はIT革命の投資家として世界の最先端に立つ。南部は地方再生の旗手として活躍。だが、澤田は足元のHISが不正によって揺らいでいる。

HISが雇用調整助成金を不正受給

 「HIS、雇用調整助成金62.5億円を返還へ、休業中に社員がメール」と題する朝日新聞(25年1月28日付)の記事が目にとまった。引用する。

 〈旅行大手エイチ・アイ・エス(HIS)は27日、企業が従業員に支払った休業手当を国が補助する雇用調整助成金(雇調金)を不適正に受給していたとして、約62.5億円を返還すると発表した。

 (中略)新型コロナの感染拡大にともない、2020年3月~22年12月に約242億円の雇調金を受給した。社員の一部は休業中に自宅から顧客にメールを送信するなど業務を行っていた。24年4月に会計監査人に情報提供があり、不適切な受給が発覚したという。

 (中略)また、同社子会社「ナンバーワントラベル渋谷」が就労した日を休業と偽り、雇調金約1.1億円を不正受給したと発表した。子会社社長は昨年12月に辞任し、違約金を含め計約1.3億円を返還するとしている。〉

 オヤオヤというより、またか、というのが正直な感想だ。この7年余り、HISは不祥事のてんこ盛りだった。次々とニュービジネスを生み出してきた澤田秀雄は、どこでボタンを掛け間違えたのか。起業、転落、再生の半生を振り返ってみよう。

学生向け格安旅行会社HISが大当たり

 がっちりした体躯と太い眉毛、クリクリした目から、仲間内では「平成の西郷隆盛」と呼ばれる澤田秀雄は1951年2月4日、大阪市生野区の生まれ。大阪市立生野工業高校を卒業後、73~76年まで、旧西ドイツのマインツ大学経済学部に留学。留学中にアルバイトで稼いだ資金を元手に、ヨーロッパはもとより、中東、アフリカ、南米まで50カ国を旅して回った。その放浪のなかで、初めて格安航空旅行券なるものに出会った。正規料金の半額以下。こんな安い航空券があることが、新鮮な驚きだったという。

 80年12月、東京・新宿西口で学生向けの格安旅行代理店、インターナショナルツアーズを設立。現在のエイチ・アイ・エス(HIS)である。格安旅行券は売れに売れ、HISは急成長。海外旅行では取扱額、送客数でJTBに次ぐ二番手の大手にのし上がった。

 95年3月にHISが店頭公開。資金を手にした澤田は、96年2月にスカイマークエアラインズ(2006年10月、スカイマークに商号変更)を設立、念願の航空業界に進出した。澤田秀雄にとってスカイマークは、2社目の起業であった。

運輸省=航空3社には歓迎したくない闖入者

 98年9月19日。スカイマークの一番機は羽田から福岡に向けて飛び立った。

 「航空業界に風穴を開けた風雲児」。JAL、ANA、JAS(日本エアシステム、2001年にJALと統合)の3社の寡占体制に切り込んだ澤田はこう絶賛された。だが、内心では「大変な業界に足を踏み込んでしまった」と後悔した。航空事業は特殊な世界であることを思い知らされたからだ。

 35年ぶりの新規航空会社の就航は難産を極めた。新規参入には抵抗が強かった。事業開始時に「半額キャンペーン」というディスカウントサービスの計画に、所轄官庁の運輸省(現・国土交通省)が激怒、事業認可を下ろさなかった。

 スカイマークを起業した澤田秀雄は、自著『HIS 机二つ、電話一本からの冒険』(日経ビジネス文庫)でこう回想する。

 〈スカイマークの掟破りの事業戦略が既存の航空会社や業界から忌諱されたようで、期待していた事業認可が下りないのである。3カ月、6カ月と努力を続けても、なかなか良い結果は得られなかった。なんと、事業認可が下りたのは初飛行の予定前日の夕方4時ごろだった〉

 規制緩和が政府の方針とはいえ、所管官庁の運輸省や航空3社には、歓迎したくない闖入者だった。運輸省や既存航空会社との軋轢が後々まで、スカイマークの経営に影を落とすことになる。

スカイマークを西久保慎一に売却

 〈人材確保の困難は、地上業務のプロフェッショナル以外にも、パイロットや乗務員、さらに整備スタッフなど、あらゆる業務に振りかかってきた。一機飛行機を飛ばすのに250人必要なスタッフを、会社を立ち上げて最初の1年間は、たったの30人しか確保できなかった〉(前掲書)

 就航しても、採算ベースを維持するのは困難だった。雪だるま式に赤字が膨らみ、債務超過に陥った。東証マザーズ上場廃止になる瀬戸際だ。上場廃止の危機に追い込まれた澤田は会社を身売りし、航空事業から撤退することを決意した。

 〈既存勢力からの反攻は覚悟をしていたものの、現実になると、事業基盤の脆弱なベンチャー企業の経営は、想像を超えて苦しかった〉(同)

 澤田の敗戦の弁である。大手に挑んだガチンコ勝負でひねり潰されたのだ。それでも、大手と仁義なき戦いをやってきた澤田は、大手の軍門に下るような無様なマネはしなかった。03年9月、ベンチャー起業家の西久保愼一に売却した。西久保は経営に失敗し、スカイマークの民事再生法の適用を申請。スカイマークは大手のANAの軍門に下ることになった。

 航空事業から撤退した澤田は、金融事業に軸足を移す。1999年に買収した協立証券(現・エイチ・エス証券)が2004年10月にジャスダック市場に上場。澤田が手がけた3社目の上場会社だ。07年に持株会社体制となり、澤田ホールディングス(HD)となる。主力はモンゴルのハーン銀行だ。

ハウステンボスをエンタメ施設に変えた

 10年4月、格安旅行会社HISが大型リゾート施設、ハウステンボス(HTB)を買収。HIS会長を務める澤田秀雄がハウステンボス社長に就いた。ハウステンボス内のホテルに居住し、住民票もハウステンボスの所在地(長崎県佐世保市ハウステンボス町)に置いて、再生に取り組んだ。

 18年連続赤字だったハウステンボスをどうやって再生させたか。オランダの街並みを模したハウステンボスをエンターテインメント施設に変えたことによる。

 「花」「光」「音楽とショー」「ゲーム」と毎年、王国シリーズを打ち出した。規模を拡大したイルミネーションや九州一花火大会などのイベント「光の王国」が好評だった。歌や踊りを披露するハウステンボス歌劇団もある。澤田は、再生は厳しいと見られていたハウステンボスを短期間で高収益企業に再生させたのである。

 その澤田が新しいビジネスとして取り組んだのが、ロボットが接客する「変なホテル」チェーンの展開。起業家、澤田秀雄の真骨頂だ。このころが、ニュービジネスの起業家・澤田が最も輝いていた時期だろう。

IR誘致の目玉は世界初の海中カジノだった

 19年9月、ハウステンボス(HTB)と佐世保市は、HTB所有地をIR(カジノを含む統合型リゾート)予定地として205億円で売却することで話がついた。

 IRの誘致候補地はHTB内の用地30haで、HTBの総敷地面積の5分の1にあたる。このなかにはHTBの中心施設である「ホテルヨーロッパ」などが立地している。

 土地は売却するが、HTBはIR運営事業者として名乗りあげないことを明らかにした。「カジノ列車」から降りたのである。

 HISが10年4月にハウステンボス(HTB)を子会社にして再建に乗り出した直後から、社長になった澤田は「カジノに挑戦したい」と公言し、HTB再建策の中心にカジノを据えた。カジノ誘致に成功した場合、「来場者が年間100~200万人増加する」と試算していた。

 18年7月、カジノ実施法が成立。澤田が掲げたIR誘致の目玉は、世界初となる海中カジノだ。海中カジノは海面下の壁を大型の強化ガラスにした特別施設で、海中を泳ぐ魚の様子をながめながらゲームを楽しむことができる。建設場所はHTBが面している大村湾を想定していた。あれほどカジノ誘致に情熱を傾けていた澤田が、なぜカジノから手を引いたのか。

経営者人生の最大の汚点は「リクルート株詐欺」

 HTBの経営に情熱を傾けていた澤田が、HTBから距離を置くようになったのは、ある事件がきっかけである。「リクルート株詐欺」に引っかかったことだ。

 筆者はNet IB Newsに『【コロナで明暗企業(8)】海外旅行が蒸発したエイチ・アイ・エス~ハウステンボス売却計画の衝撃!』(21年7月13日ほか)を寄稿した。「リクルート株詐欺」事件について触れているので再掲しよう。

 澤田が50億円の詐欺被害に遭った事件の概要は以下の通りだ。

 18年2月、ハウステンボスで金に裏付けられた電子通貨(テンボスコイン)を企画した際、金の調達を一手に引き受け、澤田に高く評価された金取引会社社長の石川雄太のもとに、こんな話がもちかけられたことがきっかけだった。

 〈リクルート創業者の江副浩正氏が安定株主対策として預けた株が財務省に大量に保管されている。財務省とリクルートの承諾があれば、ワンロット50億円といった大口に限り、市価の1割引程度で供給される〉

 瞬時に5億円の利益がもたらされる。およそ眉唾ものの話だが、よほどセールストークがうまかったのか、石川はワンロットの購入を決め、澤田に相談して資金提供を受けた。

 当然のことながら、リクルート株が購入できるはずもなく、50億円は消えてしまった。

 石川は18年11月、58億3,000万円の支払いを求めて、東京地裁に提訴。被告は、数々の詐欺事件で有名な8名。石川は詐欺グループのカモにされた。その石川に50億円を提供したのが、ハウステンボスの澤田秀雄だった。

 東証上場へ向けて準備を進めているハウステンボスとしては、詐欺被害の原資が、澤田の要請でハウステンボスから出ていることは、上場審査が不合格にされかねない不祥事だ。

 澤田は3月1日、HIS株120万株を売却、約53億円を得て、損失を穴埋めした。

 この事件の責任を取り、澤田は19年5月、ハウステンボス社長を引責辞任した。

 その直前の19年4月、澤田はHTBの敷地をIR候補地に供給することを決め、カジノ誘致から撤退したのである。

(つづく)

【森村和男】

傲慢経営者列伝(14)

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