福井・新福津市長独占インタビュー~「稼ぐまち」を実現し、市民生活を豊かに

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 2月9日、福岡県福津市長選挙が投開票され、元市議で37歳の福井崇郎氏が現職らを破り、初当選をはたした。福津市の人口は2025年1月31日時点で6万9,215人。JR福間駅前の再開発などにより利便性が向上し、福岡市のベッドタウンとして人口が急増している。福岡都市圏における福津市のビジョンと今後の展望について、6日の初登庁を前に福井新市長に話を聞いた。

多様なニーズを把握し市政運営したい

福井崇郎 氏
福井崇郎 氏

    ──今回の選挙戦を受けての思いをお聞かせください。

 福井崇郎氏(以下、福井) 私自身、福津市に移り住むなかで、この街が持つ魅力や可能性を強く感じてきました。市議としても、市長をはじめとする市長部局に対し、さまざまな提案を行ってきました。

 もちろん、住環境を整えることも重要ですが、今、切実に暮らしが厳しくなっている状況にどう対応するかが問われています。そこで、私は「稼げるまちづくり」を掲げました。福津市は雇用や税収の確保が難しい面があるため、新たな転換として「稼げるまち」を市民の皆さんに伝えてきました。その結果、今回の選挙では6,600票という接戦のなかで評価をいただいたと受け止めています。

 票数が拮抗したことからも、市民の皆さんのさまざまな声があることを十分に認識し、市政を運営していかなければならないと肝に銘じています。

学生時代に貧困問題を考え、政治の道へ

 ──福津市は福岡市のベッドタウンであり、新しい住民も増えていますね。

 福井 私は長崎県の五島列島・宇久島で生まれ育ち、大学進学を機に福岡へ移りました。久留米大学を経て九州大学大学院に進み、博士課程で政治学を専攻しました。箱崎・伊都キャンパスで学び、福岡にいる年数は五島で育った年数とほぼ同じくらいになります。

 ──卒業後、糸島で起業されたと聞いています。

 福井 大学時代から貧困問題に関心をもっていました。当時、小泉政権下で「派遣村」などの取り組みが注目された時期で、政治学を学ぶなかで「政治と遠い現状の問題は何か」と考えたときに、貧困問題に行き着きました。

 北九州市では3年連続で餓死者が出るなど、かつて「1億総中流」と言われた時代から大きく変化していました。大阪・西成や北九州の現状を知るなかで、都会には地方出身者が多く、西成では約3割が九州出身者でした。彼らと話すと、故郷への思いを口にしながらも、「戻れない」「仕事がない」と孤立している状況がありました。

 都会には支援団体の取り組みがありますが、地方にはかつて助け合いの仕組みがありました。そこで、「政治や助け合いの仕組みを地域に根付かせることが必要ではないか」と考え、糸島でシェアハウス兼コミュニティースペースを開設し、4年間、地域の居場所づくりや子どもたちのための寺子屋を運営しました。

 そのなかで津屋崎のまちおこしをしている方々と縁ができ、16年に福津へ転居しました。

市議としての歩み

 ──福津市議会には若い世代が多いですね。

 福井 19年の市議選で31歳で当選しました。若手議員同士で議会を活性化しようと一般質問の振り返りや勉強会を行うなど、切磋琢磨できる環境があり、とてもありがたかったですね。

 ──福津市は若い世代に人気のある地域ですね。

 福井 福間駅周辺は通勤・通学の利便性が高く、一方で、お祭りや歴史・文化が残る地域もある。さまざまな暮らしのレイヤーをもっていることが福津の大きな魅力だと思っています。

市議から市長へ

 ──これまでの市政について、どのようにお考えですか?

 福井 私が市議を志したきっかけの1つが、原崎市長(3月5日退任)の当選でした。46歳という若さで市長になり、副市長に女性を擁立したり、福間の海岸でバーを開催したり、地域の要請に応じて懇談に行くなど、新しい取り組みをされていました。

 私も市議として、市民の声を届ける役割を担い、新しく移り住んだ人と長年暮らしてきた人が融合する環境をつくることを意識してきました。しかし、原崎市長が3年目になるころ、急激な人口増加により学校や待機児童の問題が後手に回っている状況を目の当たりにしました。意思決定のスピードを上げ、住民への情報発信も強化する必要がありましたが、市長部局の動きにはスピード感が欠けていました。

 また、「稼ぐまちづくり」を掲げていますが、市の財政は厳しい状況です。住民は増えているものの、財源の確保が追いつかず、不安定な状況にあります。私は、市の舵取りを変える必要があると考え、市議2期目以降は次世代の育成と産業振興を中心に提案を行ってきました。

 しかし、なかなか方向性が見えてこないなか、他自治体では企業誘致によって子どもの医療費無償化を実現するなど、積極的な施策を展開しています。福津市の現状を変えるには「私が立つしかない」と考え、今回の市長選に立候補しました。

「稼ぐまち」へ

 ──公約に掲げた「稼ぐまち」について、どのような方向で考えていますか。

 福井 福津はまだまだ大きな危機を抱えています。とくに、自社機能を持つ事業所が少ないという課題があります。そのため、企業誘致を進め、エリアごとに雇用と税収を生み出していきたいと考えています。

 インターチェンジに近いエリアについては、物流倉庫や運送基地を中心とした開発を検討しています。また、IT企業のように場所にとらわれない働き方が広がるなかで、福津のロケーションを生かせる可能性もあります。たとえば、農業体験をしながら、あるいは海でマリンスポーツを楽しみつつ、アプリ開発やプログラムのメンテナンスを行うような働き方ができる環境を整えていきたいと考えています。

 また、地元の方々にも起業のきっかけを提供できるよう、ノウハウを持つ人の支援や環境整備を進め、地元発のビジネスが生まれる仕組みもつくっていきたいですね。

 ──「減税」についてのお考えは?

 福井 名古屋市では、河村たかし前市長の時代から減税施策に取り組んでいます。給付という方法もありますが、私は「一生懸命働いた人が報われる制度」として、市民税を5%削減するかたちでの減税を検討しています。名古屋ではすでに実施されており、ただ単に税金を減らすだけではなく、「地域でお金を回そう」といった経済活性化と行政改革をセットで進めています。

 減税を通じて、市民が税金の使われ方に関心をもつきっかけにもなると思います。自治体が実施できる規模は限られていますが、インフレが進むなか、自治体として減税政策に取り組むことは重要だと考えています。

 ──教育についてどのようにお考えでしょうか?

 福井 私自身も子育て世代の1人として、子どもの医療費無償化を高校まで拡充すること、そして福岡市などが取り組んでいる学校給食の無償化を、段階的に進めていきたいと考えています。

 また、私は9カ月の子どもがいますが、保護者の負担軽減や子育て相談の支援につながる「おむつの定期便」(福岡市やうきは市などで実施)などの制度設計にも取り組み、子育てをするお母さん方を支援していきたいと思っています。

 教育の内容に関しては、AIの活用が進み、子どもたちの学びの環境も変化しています。プログラミング教育の強化はもちろん、福津の豊かな自然や歴史・文化を生かした学びの機会も提供したいですね。また、福津には大学の先生やトヨタで働く方など、優れた人材が多くいます。そういった方々と協力し、子どもたちが学び合える環境をつくっていきたいと考えています。

 ──農業や水産業についてはどのようにお考えですか?

 福井 農業や水産業の担い手がいる以上、「稼げる」環境をつくることが必要です。新規就労者に対しても、生活を保障できる仕組みを整える必要があります。そのため、ふるさと納税の強化をはじめ、「メード・イン・福津」というブランドを確立し、地域の農水産物の価値を高めていきたいです。

 また、スマート農業やスマート漁業といったテクノロジーの導入も重要です。国や県と連携しながら実証実験を進め、地元で安定して収益を上げられる環境をつくっていくことを目指しています。

 ──今後の抱負をお願いします。

 福井 「新時代の福津」を掲げました。私自身、移住者として福津に住み、子育てもしています。これからのステージでは、これまで市政を支えてこられた方々と、新たに次世代を担う人たちが一緒に前へ進んでいくことが重要です。

 私も市の舵取り役として、その姿勢を体現していきます。これからの福津にぜひ期待していただきたいと思います。

【近藤将勝】


<プロフィール>
福井崇郎
(ふくい・たかお)
1988年生まれ。長崎県五島列島宇久島出身。九州大学大学院博士後期課程単位取得退学、政治学専攻。糸島市での起業、津屋崎のまちづくり会社勤務を経て、2019年から福津市議会議員を2期務める。建設環境委員会委員長などを務め、全国若手議員の会九州ブロック会長、(公社)宗像青年会議所「青少年育成委員会」委員長(21年)などを歴任。福津市消防団第3分団など地元活動に取り組む。2月9日の福津市長選挙で初当選。

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