【連載】コミュニティの自律経営(51)~コミュニティの自律経営とは?
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元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
連載の第1回はこちら。コミュニティの自律経営とは何か?
コミュニティの自律経営とは、「市民自らが地域の問題/将来のビジョンを含めた課題を発見し、その解決に向けて継続的、計画的にコミュニティを運営すること」と市は定義していた。
広太郎さんが市長時代に、執念を燃やして実現させた『新歩行空間整備事業』というものがある。役所的名付けではこうなるが、広太郎さん的には『みんなでつくる安心・安全の道づくり事業』だったろうか?
これは、住宅地内の生活道路や歩道を整備する折に、隅切りやセットバックの土地を住民が市に無償で貸与し、市が生活道路や歩道の整備、維持、管理を行うという、まさに市民との共働により生活道路、歩行空間の確保を促進しようとするものであった。当時、僕は政令市の市長がこんな一見ちっぽけな話に何で執念を燃やすんだろうと訝っていた面があったし、担当部局にもその空気感があったが、今にして自らの不明を恥じる思いがする。
広太郎さんはこう言っていた。「地域が困っていれば、地域自身が立ち上がらなければならない。従来市民は受け身であった。受け身で文句をいうだけの存在ではなく、市に対する要望にしても、自分たちでここまでやるから、市にはこうしてもらえないか、というカタチに頭を切り替えるべきである。これならば市も動かざるを得ないし、市にとっても市民の力を引き出すことができるメリットがある」「共助や共働の精神は、今後の行政の基本であり、市民を責任ある主体に昇格させるための手段である」(『紙一重の民主主義』144p)。
さらに、こうも言っていた。「なぜ、市民のあり方は問われないのか?」「受け身で要求型で批判ばかりする市民を抱えた自治体は今後も低迷するし、未来に明るさはない」「市民は主体であり、主権者である。市民を自治の表舞台に引きずり出さなければならない」「共働に必要なことは、市民は自分たちで何ができるか考えること。行政は何もしない覚悟も必要である。役所にしかできないことを毅然として断行する覚悟と市民に任せられることを見分ける眼力が要求される。選挙のある首長にとっては、とくに厳しい覚悟がいる」。
広太郎さんの「コミュニティの自律経営」の真髄、ここにありというか、その洞察の深さや性根のたしかさに改めて感じ入る次第であり、「政治・行政の究極的な役割は市民の力を引き出すことにある」との繰り返されたメッセージに改めて納得である。広太郎さんの市長3期目の目標は「自治協議会の機能をどんどん高めること」だと言っていた。未完の「コミュニティの自律経営」は、残された我々の仕事なのだろう。
今なぜ、コミュニティの自律経営か?
2024年元旦に発生した能登半島地震の甚大な被害は、半島という地理的特性と合わせ、過疎化、高齢化が進んだ地域の特性から、過去の阪神・淡路大震災、東日本大震災と同様かそれ以上にコミュニティの価値が問われている。発災時の自助・公助のおよばぬ共助の有用性以上に、復旧、復興への道のりでの、地域コミュニティにおける顔の見える関係、支え合うことで得られる暮らしの安全や豊かさ、人々の絆の価値の大切さである。
今、コミュニティをめぐって何が問題なのか?国政に目を向ければ、地方分権推進法の制定(平成7年/1995)から早30年近くの歳月が流れているが、地方自治を踏みにじる沖縄の辺野古新基地建設をめぐる国の代執行など、上下/主従の関係から対等/平等の関係へと言われた地方分権の理念は何処へ行ったのだろうか、との思いを禁じ得ない。
その一方で、コモンズ論やミュニシパリズム(地域主義:地方自治を軸にした草の根の政治改革運動)の興隆や故宇沢弘文氏の「社会的共通資本」の再評価など、「自治」への期待も高まっている。先だって惜しくも亡くなられた島根県隠岐の島/海士町の山内道雄氏が町長時代に「小さいからこそ、小回りも利いて、臨機応変に動くことが出来る。何より住民1人ひとりの顔が見れる。その気になれば、全員の意見を聞いて廻ることだってできる。これ以上の民主的な町があるだろうか」(山内道雄2007‐185p)とあり、強く共感を憶えていた。これからの日本社会で大切なことは、いかに小さな単位で、町や村、コミュニティレベルでの自治の質を高めることができるかではないだろうか。
「自治」といえば、僕の頭に浮かぶのは、A・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫、2005)である。僕は自分の手帳の裏表紙に、この本にある「民主主義社会では、人々が互いに助け合うことを学ばなければ、全員が力を失う」とのメッセージを長年書き付けてきた。しかしながら、不覚にも我が国において、西欧にも負けない「村の自治」の伝統があることを深く考察することがなかった。もちろん、宮本常一が紹介した「対馬の寄りあい」など、村落共同体における運営の作法や対話の精髄など、聞きかじってはいたが、今回積読していた松元崇による『山縣有朋の挫折』(2011)を開くと、冒頭に「我が国の地方自治の土台には、江戸の自治がある」とあり、勝海舟の「地方自治などということは、珍しい名目のようだけど、徳川の地方自治は、実に地方自治の実を挙げたもの。名主、五人組、自身番や火の番、みんな自治制度」との『氷川清話』の一文や福澤諭吉の「地方自治は古来日本固有の制度にして、国民の之に慣れたること久し」が紹介され、先人たちの自治への真摯な取り組み姿勢とその根底に我が国の自治の強固な伝統があり、江戸の自治は諸外国に比べて決して見劣りのするようなものではなかったことが指摘されていた。
僕にとっては目から鱗だったが、さらに柿崎明二の近著『「江戸の選挙」から民主主義を考える』にめぐり会った。そこでは、寄合(話し合い)、入札(選挙)、くじ引きなど、村が生んだ自治の試みが紹介され、「日本に求められるのは、自らの長い歴史の中に「民主主義の源流」を探り、具体的な事例から日本原産の「民主的傾向」を見いだすことではないか。民主的傾向は江戸時代、それも幕藩体制を支えた村の中にあった」とされている。西欧のような思想的系譜なしに、江戸時代の村では、より良く生きようと試行錯誤を続けた村人の努力により、「民主的傾向がいわばガラパゴス的に進化してきた」ようである。先人たちのそのような歴史のなかから「今日的な教訓」をくみ取りたいと思う。
さらに歴史を遡れば、自治都市/堺では「会合衆」という自治組織が都市の運営を担い、我が博多商人も堺に倣い「年行司」という自治組織が都市を運営していた。堺と並ぶ「自治都市/博多」の所以であり、博多の町の宝ともいうべき「博多祇園山笠」の700年を超える伝統は、7つの流れ=町割りの自治組織によって受け継がれてきた。博多商人の「進取の気性と自治の精神」の面目躍如であり、双子都市/福岡にあっては高場乱による「興志塾」、自由民権運動のさきがけともいうべき「玄洋社」など、博多/福岡の歴史と伝統は「コミュニティの自律経営」に向けて点と点がつながる観すらあるが、いかがだろうか。
最後に、福岡県大刀洗町の「住民協議会/自分ごと化会議」を取り上げておきたい。無作為に抽出された町民で構成されたこの取り組みは、「くじ引き民主主義」とも称されている(そもそもくじ引き民主主義は、誰もが公共的な役割を担うというアテネの民主政から導き出されたものだと思い込んでいたが、先に紹介したように江戸期の村の自治でも採用されていたもので、西欧の借り物ではなかったことは、驚嘆に値する)。
この取り組みの最大の狙いは、住民が行政やまちのことを「自分ごと化」することにあるが、くじ引きというランダム性は「自分ごと化」の契機としては、大きな効果をもたらす。大刀洗町では、なんと平成25年(2013)に条例で「住民協議会」を設置し、平成26年度(2014)から毎年開催されており、過去の参加者たちによる「OB/OG会」までが誕生し、「OB/OG会」独自の取り組みも実施されるなど、まさに「自治の習慣」が生まれつつあるのではないかと思われる。「住民自治最先端モデル」としての大刀洗町から目が離せない。
さらに島根県松江市では、この大刀洗町での取り組みの視察を契機に、平成30年度(2018)から3期にわたって、「自分ごと化会議in松江」を実施している。ここでの特徴は主催者が市民団体/市民で構成されていることである。実行委員会で共同代表を務める毎熊浩一さんは、これをして、「ミニ・パブリクス」(比較的少数の市民によって構成される熟議のためのフォーラムの総称)の具体的実践事例としている。
人口規模だけを見れば、我が香住丘校区は大刀洗町と同規模である。かつて広太郎さんは、福岡市の一つひとつの校区は、町の規模に匹敵するものであり、校区自治協議会を小さな議会として捉えたいと言っていた。大刀洗方式と松江方式のハイブリッド、香住丘校区住民による「自分ごと化会議」の実現を夢想することをお許しいただきたい。
最後に『民主主義のつくり方』(宇野重規2013‐169p)を引用して、この章を閉じたい。
「近代化が2周目に入った今日、目指すべき改革の方向性については、むしろ『ローカル』な視点からの模索が重要になっている。すなわち、日本全体で目指すべきゴールを探すよりは、それぞれの地域社会において、実験や模索を行う必要が高まっているのである。(略)地域社会に固有の条件の下、地域に暮らす人々自身のイニシアティブが重要になっている」
(つづく)
<著者プロフィール>
吉村慎一(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
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