赤坂3丁目、クラブ「薩摩人」で大盛況
東京・赤坂3丁目にクラブ「シルビー」という店がある。この店のママは鹿児島市出身で、甲南高校卒業(1940年生まれ)。クラブの経営を半世紀にわたり続けてきた。筆者がこの店と縁をもったのは、最近のことだ。6月にAの90歳の誕生祝賀会を企画するにあたり、実行委員会のメンバーとして視察に訪れたのだ。

Aはラ・サール高校出身で、「薩摩出身」といえば誰彼となく世話を焼く人物だ。出身校を問わず、鶴丸高校や甲南高校など、さまざまな高校出身者の集まりに必ず顔を出す。宮崎県出身の筆者から見れば、この結束力はうらやましい限りだ。宮崎県人はこうした団結力が乏しい。明治維新で歴史を切り開いてきた薩摩とのプライドの違いなのかもしれない。
Aの郷土愛は並外れている
Aはこう語る。「県人会の打ち上げも、鶴丸OB会も、甲南OB会も、二次会は必ずここでやる。私は年に最低5回はこの店に顔を出す。ママ、90歳の誕生日祝いはここでやるよ」と、店を盛り上げている。
店内にはピアノが備えられ、プロ級の演奏者が曲を披露したり、カラオケのバックミュージックを務めたりすることもある。この日、視察に訪れた4人はカラオケコンテストに夢中になった。それぞれの年齢層に応じた選曲で、楽しそうに歌い合った。80歳の元プロ歌手の女性も飛び入り参加し、懐かしい「サン・トワ・マミー」を披露。「同世代だ」と実感した瞬間だった。
ママの実感、薩摩の郷土力が支え
ママは甲南高校出身で、筆者の妻も同窓生だが、学年は4つ下だ。だからこそ親近感がわく。ママはしみじみと語る。「私が薩摩(鹿児島市)出身でなければ、赤坂で50年も商売を続けられなかったでしょう。本当に故郷の方々に感謝しています」
なんともうらやましい話だ。筆者も宮崎県出身者としてのプライドはもっているし、故郷を軽視しているわけではない。しかし、薩摩の結束力を目の当たりにすると、「宮崎は少し情けない」と劣等感を抱いてしまう。
このコーナーの主題「生と死の分岐点」に照らし合わせれば、ママがもし宮崎県出身だったら、「50年間も経営を続けるのは不可能だった」といえるかもしれない。