温泉の権利と規制
温泉は利用する権利とともに、資源を保護するための法律が定められている。それにもかかわらず、なぜ嬉野温泉では、1月に報道されたような源泉水位低下問題が発生したのか。まず温泉に関わる法概念のポイントを押さえておく。
温泉権:慣習的に認められる権利
温泉を利用する権利「温泉権」は、慣習法上の物権として認められている。「慣習法上の」というのは、温泉利用の事実が反復継続され、それが正当なものとして社会的承認を得ていることに基づいた権利であることを意味する。温泉権は慣習的なものであるため、地域によって共同の権利であったり、法人や個人の権利であったり実態は大きく異なる。
嬉野温泉では、源泉について法人あるいは個人に属するものとして慣習的に認められてきた経緯がある。しかし、温泉権は源泉を所有する人ばかりが持つ権利ではない。温泉を利用する権利は、源泉を所有するかどうかに関わらず、温泉を買うなどして慣習的に温泉を利用してきた事業者らにも、源泉所有者と同等に認められている。
温泉法:地域の実情に応じて温泉資源の保護と利用を規制する
温泉の利用は、温泉資源の保護と適正利用を目的とする「温泉法」によって規制される。ただし温泉法は、温泉の掘削、採取、利用について都道府県が許可・命令を行うとして大枠を定めるのみで、実際の細かい規制は都道府県が条例などを定めて行う。また、地域ごとに利用の歴史や資源量が異なるため、都道府県レベルよりも細かい温泉地ごとに、事業者の組合などが自主的なルールを設けている地域もある。このようなことから、温泉保護と利用規制の実情は地域ごとに大きく異なる。
嬉野温泉では源泉水位低下問題への対応でもそうであったように、非公式な会議体である源泉所有者会議が、嬉野温泉における温泉の利用について大きな権限を行使してきた。なぜそのような状況が生まれているのだろうか。
他地域の温泉規制の例:大分県の場合
嬉野温泉の状況を見る前に、参考として日本一の「おんせん県」を標榜する大分県の例を見てみる。
大分県は都道府県で最大の温泉湧出量278t/分(40万t/日)を誇り、県内に別府、湯布院など全国屈指の温泉地を有する。温泉規制の詳細については「おおいた温泉基本計画」で確認することができる。嬉野温泉と比べて際立つ特徴は、新規掘削における距離規制と、ポンプ(揚湯装置)の揚湯量規制に見られる。
大分県は温泉保護の必要性に応じて地域を、「特別保護地域」「保護地域」「一般地域」に分けている。「特別保護地域」は別府や湯布院の一部地域で、原則として新規掘削を認めない。「保護地域」は既存源泉から150mあるいは100m以内の新規掘削を認めない。それ以外の地域は「一般地域」として、既存源泉から60m以内の新規掘削を認めないことになっている。
ポンプについては揚湯性能を最大50L/分とし、原則として使用が認められるのはエアリフトポンプのみで、揚湯力が強い水中ポンプは規制対象となっている。また埋設管口径も公共浴用の場合は50mm以内、自家浴用の場合は40mm以内など細かい制限が設けられている。
このような規制から大分県の考え方としてうかがえるのは、源泉間の距離規制を緩やかにする一方で、1つの源泉における最大揚湯量に50L/分という厳しい制限を設けることで、温泉の採取を分散して、広く多くの温泉利用を認めるという考え方が基本にあると理解することができる。そのような背景もあって、大分県は温泉湧出量が1位であるばかりでなく、源泉総数が4,381カ所と、2位鹿児島県の2,771カ所を大きく引き離して圧倒的な全国1位となっている。
佐賀県の実態:嬉野は過大ポンプ乱立
では、佐賀県が監督する嬉野温泉はどのようになっているのか。
まず新規掘削については、佐賀県が設置する佐賀県環境審議会温泉部会の内規で、源泉の距離規制を半径500mと定めており、その範囲内に既存源泉があれば、水脈が違う場合などを除き、原則として新規の掘削は認められない。ただし嬉野温泉については、500mルールとは別で資源保護の観点から新規掘削が原則として認められないことになっている。その結果、嬉野温泉では何十年も新しい源泉の掘削は行われておらず、稼働しているのは17源泉で固定されている。
そのように厳しい掘削規制がある嬉野温泉だが、ポンプについてはどうなっているのか。実は大分県のように一定の数値基準が設定されているわけではなく、佐賀県では現在、新規掘削時に揚湯テストを行い適正な揚湯性能かどうかを確認しているという。だが嬉野温泉では何十年も前から、過大な揚湯能力をもつポンプが各源泉に備え付けられているのが実態だ。設置されたポンプには、350L/分(フル稼働時504t/日)や500L/分(同720t/日)という性能をもつものや、なかには1,000L/分(同1,440t/日)程度のポンプも備え付けられていると見られる。
要するに嬉野温泉では、新規掘削が認められない一方で、既存源泉では莫大な揚湯が可能であり、一部の源泉所有者が温泉を独占できる状況が実質的につくり出されている。これらのポンプがフル稼働すれば、適正揚湯量2,500t/日の嬉野温泉はひとたまりもないが、これまでかろうじて源泉が守られてきたのは、慣習的に必要な量だけの揚湯が行われフル稼働されなかったためだ。では、事実上ポンプ性能に規制がかかっていない嬉野温泉で、莫大な揚湯を防ぐための規制はあるのだろうか。
佐賀県に揚湯量の規制はない
温泉旅館などの事業を開始するにあたっては、佐賀県に対して温泉利用許可を申請する必要がある。申請書には1日当たりの予定揚湯量とポンプの揚湯能力を記載する欄がある。しかし、審査においては、温泉の成分や衛生面で問題ないかが許可の要件となっており、揚湯量は許可の可否を判断する基準になっていない。それ以外の場面でも、揚湯量を規制する明確な基準が定められていないのが佐賀県の現状だ。
佐賀県が事業者の揚湯量に対して指導力を発揮するのは、温泉法第12条「都道府県知事は、温泉源を保護するため必要があると認めるときは、温泉源から温泉を採取する者に対して、温泉の採取の制限を命ずることができる」に基づく場合のみということになる。これに準じたのが2024年12月に揚湯量が多い上位4者へ発せられた削減要請だ。言い換えれば、ギリギリの状況にならなければ行政の指導力が発揮されないのが佐賀県の温泉行政である。
過大な性能のポンプが設置されている嬉野温泉で資源保護を行うための規制としては不十分と言わざるを得ず、その結果、一連の源泉水位低下問題の発生を防ぐことはできなかった。
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源泉が集中しているのは嬉野温泉と武雄温泉のみ
今後考えるべき規制:ブランド化戦略とともに
現状の嬉野温泉に対する早急な対応策として、既報記事『嬉野温泉、源泉保護のための提言:計画揚湯方式と源泉別揚湯量公開』で、各源泉別揚湯量の情報公開を基礎とした計画揚湯を提言した。しかし、嬉野温泉の揚湯量がひっ迫している現状を改善するには、根本的な消費量の削減が必要だ。そのために温泉資源の有効活用の観点から、用途についての制限を検討すべきだ。たとえば、暖房や発電といった温泉から熱量を奪うことだけを目的とした利用は制限し、嬉野温泉の特徴である成分までを含めて有効に利用する入浴、飲食、化粧品などに用途を限定することなどが考えられる。
このことは単に温泉消費量を減らす目的ばかりでなく、『日本三大美肌の湯』という認知を得ているすばらしい泉質を最大限生かす考え方として、嬉野温泉のブランド化の方向性を踏まえた戦略的視点からの検討が必要だ。
温泉保護とブランド化、城崎温泉のストーリー
嬉野温泉にとって必要なことは、資源保護とブランド化である。他の温泉地を見渡すと、資源保護の取り組みをストーリーとして温泉地のブランド化につなげている例もある。
関西地方を代表する温泉地のひとつである城崎温泉(兵庫県豊岡市)は、集中管理に至る顛末(てんまつ)を温泉地のストーリーとしてブランド化に役立てている。
城崎温泉では、歴史的に古くから外湯文化が発展し、明治・大正期には宿屋組合や町が共同で温泉の管理を行うなど、温泉を共有し保護する文化が形成されてきた。しかし、昭和初頭に、およそ20年にわたる紛争となる内湯訴訟が発生した。この紛争は1950年に和解したが、その際に温泉の利用権は地域に一元化され、各旅館の内湯に対しては厳しい規制を設けつつ外湯と併存する制度が成立した。その後56年に、地域で汲み上げた温泉を旅館へ配湯する仕組みが実現。72年には、集中配湯管理施設が完成した。限られた温泉資源を効率的かつ公平に管理・供給する仕組みが構築されたことにより、外湯と内湯の共存共栄が可能となり、それを足場に城崎温泉は今日まで温泉地として栄えている。
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この経緯は、城崎温泉の特徴である外湯文化を現在に結びつけるストーリーとして宣伝されており、城崎温泉のブランド化に大いに貢献している。各温泉地には温泉そのものだけでなく、それをめぐる歴史や文化といった面でも個性がある。城崎温泉の集中管理はその個性を体現したストーリーに昇華され、ブランド戦略でも機能を果たしている。
源泉集中管理の概要
ちなみに城崎温泉における集中管理の概要についてふれると、湯島財産区が配湯施設、温泉浴場を所有し、配湯先から得る温泉利用料と温泉浴場入浴料を財産区の主な収入として管理運営にあてている。運営にかかわる事項は財産区の議会で決定され、予算執行や施設管理の実務は豊岡市の城崎温泉課が行っている。ポンプの揚湯能力は1,400L/分で24時間フル稼働して2,016t/日を揚湯している。配湯先の旅館事業者(内湯)はおよそ70軒、温泉浴場(外湯)は6軒、全施設がバルブを全開しても2,016t/日で収まるようになっている。
また、湧出量が豊富な大分県にも集中管理を採用している温泉地がある。湧出量が少ないとして特別保護地域の1つに指定されている湯平温泉は、県内で唯一、集中管理方式を採用している。集中管理施設は70年に湯布院町が構築。その後、湯野平温泉共同管理組合が施設と管理を引き継いだ。施設の維持管理費はすべて温泉事業者からの利用料収入で賄っている。毎分150L/分(216t/日)を揚湯して地域の温泉事業者に配湯しているが、繁忙期ともなれば需要に供給が追い付かないので、各事業者が工夫して温泉を大切に使っているという。管理組合長は「集中管理ができていなければ温泉事業者の共存共栄はなかっただろう」と語る。
ほかにも集中管理の例としては、『嬉野温泉の研究(1)』(山口保、1996)でも取り上げられた山口県の湯田温泉などがある。
今、嬉野温泉は大きな困難に直面しているが、この困難を乗り越えるための計画揚湯にしろ、源泉別揚湯量の情報公開にしろ、用途制限にしろ、これを否定的に捉えるのではなく、変化を生み出すためのチャンスとして捉え、これを機会に嬉野温泉のブランド化に向けた積極的な議論につながっていくことを期待したい。
【寺村朋輝】