政権交代の覚悟なき国会の体たらく 野党の本音はただ「自公連立入り」

ジャーナリスト 鮫島浩 氏

ジャーナリスト 鮫島浩 氏

 立憲民主党は内閣不信任案の提出を見送り、衆参ダブル選挙を回避した。7月の参院選がどのような結果に終わっても、衆院で自公与党が過半数を割る不安定な現状に変化はない。今後の政局の本筋はズバリ、与党が過半数を回復するための「連立政権の枠組み拡大」だ。新たに加わるのは国民民主党か、日本維新の会か―。いや、実は本命は、立憲民主党である。そのカラクリを解説する(原稿執筆は6月22日時点)。

立憲が6月に不信任案提出を
見送った本音

 自公与党が大敗し、衆院で過半数を失った昨年10月の総選挙から8カ月。30年ぶりの少数与党政権のもとで開幕した2025年の通常国会は6月22日、実に白けた幕切れを迎えた。立憲民主党の野田佳彦代表は衆参ダブル選挙を回避するため、石破茂内閣への不信任決議案の提出を見送ったのだ。

 日米関税交渉が続く今、解散総選挙で政治空白をつくるわけにはいかないというのが表向きの理由だが、それを真に受ける人はいまい。

 コメ増産を掲げる小泉進次郎・農水相の登場で内閣支持率や自民党支持率が上昇に転じる一方、総選挙で減税を掲げ躍進した国民民主党の支持率は参院選の候補者擁立をめぐる混乱で急落し、立憲と維新の支持率も低迷したまま。この状況で衆参ダブル選挙に突入すれば、政権交代どころか、自公与党が過半数を取り戻す可能性が極めて高い。

 せっかく少数与党国会になって、自公与党が野党の主張に耳を傾けるようになったのに、衆参ダブル選挙で自公与党が過半数を回復すれば、野党は再び蚊帳の外に置かれてしまう。

 野田代表が内閣不信任案の提出を見送ったのは、単に、衆参ダブル選挙を避けるためだけだった。解散総選挙に勝利して政権交代を実現させる自信がまったくなかったのである。

 国民や維新は内閣不信任案の提出を迫ってきたが、本音は同じだった。国民は昨年末、所得税減税で与党と合意し、補正予算案に賛成した。維新は今年春、教育無償化の実現と引き換えに当初予算案に賛成した。立憲は今年夏、年金改革で与党と合意し、修正法案に賛成した。少数与党国会だからこそ、自公与党は予算案や法案を通すため、野党の主張の一部を取り入れた。国民、維新も、立憲も、それなりに存在感を示すことができたのである。

 自公与党が過半数を回復し、野党の主張を一顧だにせず強行採決を繰り返す国会に逆戻りするのは真っ平御免。野党3党は、少数与党国会のもとで自公与党へのすり寄り競争を続けてきたが、この1点だけは共有している。

過半数でも覚悟はなし
パフォーマンス終始の野党

 内閣不信任案は、国会最終盤、野党が政権与党との対決を演出するために提出する恒例行事と揶揄されてきた。野党が過半数に達しない状況で不信任案を提出しても、与党が分裂しない限り、可決されることはない。だから解散総選挙で対抗されることを恐れず、安心して提出できた。

 この「覚悟なき不信任案」に国民世論はウンザリしてきた。陳腐な政治的パフォーマンスを大々的に伝えるマスコミ報道にも飽き飽きしてきたのである。

 今回ばかりは違った。野党は過半数を握っている。野党が結束すれば、予算案も法案も可決できる。さらには内閣不信任案も可決し、内閣総辞職か、解散総選挙か、政権与党に二者択一を突きつけることができるのだ。

 それにもかかわらず、野田代表は不信任案提出を見送った。数が足りず可決の見込みがない時は不信任案を威勢よく叩きつけてきたのに、いざ数が足りて可決できる時がきたら震え上がって引っ込めるというのだから、これほど国民を馬鹿にしたことはない。

 さすがに野党各党は、このまま国会が平穏に幕を閉じたらまずいと思ったのだろう。国会最終盤になって、あわててガソリン税減税法案を共同提出し、衆院財務金融委員会の井林辰徳委員長が審議入りを拒否すると、委員長の解任決議案を提出し野党の賛成多数で可決した。衆院の常任委員長が国会の議決で解任されたのは、戦後初のことだった。野党は土壇場で「数の力」を見せつけたのだ。

 さらには後任の委員長に立憲議員を選出し、事実上の国会最終日となる6月20日の金曜日に衆院で可決し、参院へ送った。もっとも、国会の会期は22日の日曜日まで。参院は21日の土曜日に異例となる審議を行ったが、採決には至らず、ガソリン税減税法案は廃案となった。ガソリン価格は下がらずじまいに終わったのである。

 すべてはパフォーマンスだった。本気でガソリン税減税を目指すのなら、もっと早く法案を提出すべきだった。野党が本気なら、国会の会期延長を可決することもできた。立憲は、内閣不信任案の提出を見送る埋め合わせとして、井林委員長の解任決議案でお茶を濁したにすぎない。首相のクビではなく、無名のヒラ議員(井林委員長)のクビを取ったところで、世論が歓喜するはずがなかった。

石破内閣が続いた理由

 かくして30年ぶりの少数与党国会は6月22日、拍子抜けの幕切れを迎えた。自民党のシナリオ通り、7月3日公示、3連休中日の7月20日投開票の参院選へ、与党ペースで進むことになったのだ(本稿を執筆しているのはまさに6月22日だ)。

 ただ1つ、衆参ダブル選挙が回避された現時点で間違いなくいえることは、この参院選がどんな結果に終わろうとも(自公与党が改選過半数を獲得して圧勝しても、逆に惨敗して参院全体で過半数を割っても)衆院で自公が過半数を失っている現状に変化はなく、少数与党国会が継続するということである。

 政権与党だけでは予算案も法案も成立させることはできない。内閣不信任案がいつ可決されてもおかしくはない状況もそのまま続く。衆院で与党が過半数を回復しない限り、政権の不安定さは根本的に改善されないのである。

 衆院で過半数を回復する方法は、2つしかない。1つは、解散総選挙を断行して過半数を制すること。もう1つは、野党の1つを自公連立に引き込むことだ。

 参院選の勝利は、政権を安定化させる決定的要因にはならない。その大原則さえ見落とさなければ、参院選が始まる現時点でその後の政局を展望することも、さほど難しくはなかろう。

 まず、最初に確認しておくべきは、少数与党国会はいつまでも続かないという点である。政権基盤があまりに不安定だからだ。30年前に少数与党国会に陥った羽田内閣は、たった2カ月で崩壊した。石破内閣は昨年10月から、すでに8カ月も続いている。それ自体が奇跡に近い。

 なぜ、石破内閣はここまで持ち堪えてきたのか。理由は2つある。

 1つは、野党がバラバラであることだ。昨年の総選挙後の首相指名選挙で、野党が結束して立憲の野田代表を首相に担げば、野党連立政権が誕生して政権交代が実現していた。けれども、野田代表は総選挙で、立憲の議席増を最優先して野党共闘を進めず、共通公約もつくらなかったため、野党連立政権の機運はまったく芽生えなかった。

 維新も国民も「野党連立の野田政権の誕生より、自公連立の石破政権の継続」を望んだ。自公との政党間協議で自分たちの政策を実現させながら、いずれは自公政権に加わることを探ってきたのだ。

 参院選前に連立入りすれば、自公政権の延命に手を貸したという批判を浴び、参院選で惨敗してしまう。当初から参院選までは自公批判を展開し、連立入りは参院選後と踏んでいた。だからこそ、衆参ダブル選挙は絶対に避けたかった。

結束なき野党 皆連立入り狙い

 参院選が終われば、国政選挙は3年間、予定されていない。連立入りの絶好のチャンスがめぐってくる。維新も国民も、立憲の野田代表を担いで野党連立政権を誕生させるつもりは毛頭なく、自公連立入りを競い合うライバル関係にあるのだ。

 さらに重要なのは、実は立憲も、維新や国民と連携して野党連立政権を誕生させる道をあきらめていることだ。野田代表が野党連立政権を本気で目指しているのなら、昨年秋の総選挙で維新や国民に選挙区を譲り、政策も譲歩して共通公約をまとめたはずだった。その気がないから、維新や国民の反発を買っても立憲候補を同じ選挙区でぶつけ、自分たちの議席増を最優先したのである。

 野田代表が描く政局の本命シナリオも「総選挙の野党共闘で過半数を奪い、野党連立政権を誕生させ、政権交代を実現する」ことではない。「参院選で立憲の議席をできるだけ伸ばし、その後、維新や国民を外して自公との連立交渉に入る」ことにある。野党第一党が与党と組む「大連立」だ。

 通常国会の終盤、立憲は年金改革法案の修正で自公と合意し、他のすべての野党の反対を振り切って可決・成立させたのは、まさに大連立への第一歩だった。内閣不信任案を提出して衆参ダブル選挙に追い込み、野党共闘で政権交代を実現するつもりは毛頭なかったのだ。

 野田代表は不信任案の提出見送りを表明する前、外国特派員協会で講演し「次の総選挙で政権交代が実現しなければ当然、代表を辞める」と啖呵を切った。不信任案を提出するつもりはまったくなく、「次の総選挙」はずっと先になると確信していたからこそ、そこまで言ってのけたのだ。それどころか「次の総選挙」の前に「大連立」を仕掛け、あわよくば自らが首相に担がれる腹づもりなのである。政権交代への期待感を煽って参院選で議席を増やす「政権交代・やるやる詐欺」としかいいようがない。

 立憲、維新、国民の野党3党はいずれも、総選挙で自公を倒し、政権交代を実現するという目標をもっていない。逆に、野党3党のうち、どこが自公連立に加わるのかを競い合うライバル関係にある。これでは参院選で野党共闘が実現するはずがない。参院選は「与野党対決」ではなく「連立入りを競い合う野党同士のサバイバルゲーム」なのだ。

石破政権を支える皮肉な構図

 まさに野党が分断され、張り合わされていることこそ、石破政権延命の最大の要因といえる。もう1つの理由は、自民党内の事情だ。

 実は石破首相も、「影の総理」として権勢を誇っている森山裕幹事長も、衆参ダブル選挙を望んでいなかった。敗北を恐れていたわけではない。逆だ。衆院で自公与党が過半数を回復すれば、自分たちのクビを絞めることになるからだ。

 自公政権が衆院で過半数を割っていることが、石破政権を延命させている2つ目の理由である。ここに今の政治の巨大なパラドックスがある。

 もともと石破首相は党内基盤が極めて弱い。昨年秋の総選挙で惨敗し、内閣支持率も低迷。自民党内では「石破総理では参院選は戦えない」として「石破おろし」の狼煙も上がっていた。自民党内の「数の論理」だけなら、いつでも石破首相を引きずり下ろせたはずだった。

 それでも麻生太郎元総理や茂木敏充前幹事長ら反主流派が「石破おろし」に動かなかったのは、石破退陣後の政局を描けなかったからである。高市早苗氏らを新しい自民党総裁に担いだところで、国会での首相指名選挙で過半数を得られる保証はなく、下手をすれば野党に首相の座を奪われてしまうリスクがあるからだ。

 そこで麻生氏らは、国民民主党の玉木雄一郎代表を首相に担ぐ自公国連立構想を探った。石破首相を引きずり下ろした後、「玉木政権」のもとで減税を掲げて衆参ダブル選挙を断行するというウルトラC構想だ。しかし、国民民主党の失速で、これは立ち消えになった。反主流派は手詰まりに陥った。

 一方、森山幹事長は少数派閥のトップに過ぎなかったが、自民党史上最長の4年も国会対策委員長を務め、立憲の安住淳衆院予算委員長をはじめ野党に強力な人脈を築いた。少数与党国会の野党対策を一手に取り仕切り、「影の総理」と呼ばれるほど権力を握る存在になった。

 自公与党が過半数を回復すれば、野党人脈はさして重要ではなくなり、森山氏の影響力は一気に落ちる。少数与党国会こそ、彼の権力の源泉だ。だから、衆参ダブル選挙には断固反対だった。参院選後、森山氏が主導して立憲との大連立を実現させ、今度は自公立政権のつなぎ役として君臨し続ける―それが森山シナリオだ。

 極論すれば、参院選は勝っても負けても、どちらでも良い。勝てば石破首相のまま大連立へ。負ければ石破首相を退陣させ、立憲の野田代表を総理に担いで大連立へ。どちらに転んでも大連立さえ実現すれば、衆参で過半数を確保する安定政権ができる(衆院では議席の8割を占める巨大与党が誕生する)。森山氏は大連立の要として「影の総理」の座を守れるのだ。

参院選の先にある自公立憲大連立

 参院選の結果がどうであれ、その後の政局の本命は「自公と立憲の大連立」である。石破首相も森山幹事長も野田代表も財務省べったりの財政規律派。大連立の旗印は「社会保障の財源を確保するための消費税増税」となろう。年金改革をめぐる自公立3党合意は「増税大連立」を先取りした動きだったのだ。

 参院選で最も問われるべきは、大連立の是非である。しかしマスコミは旧来型の「自民vs立憲」の選挙報道を展開するだろう。参院選では対決するフリをして、選挙が終われば仲良く握手する―そんな政治が許されるはずがない。今回ばかりは私の予測が外れることを祈るばかりである。


<プロフィール>
鮫島浩
(さめじま・ひろし)
1994年に京都大学法学部を卒業し、朝日新聞に入社。99年に政治部へ。菅直人、竹中平蔵、古賀誠、町村信孝、与謝野馨や幅広い政治家を担当し、39歳で異例の政治部デスクに。2013年に原発事故をめぐる「手抜き除染」スクープ報道で新聞協会賞受賞。21年に独立し『SAMEJIMA TIMES』を創刊。YouTubeでも政治解説を連日発信し、登録者数は約15万人。著書に『朝日新聞政治部』(講談社、22年)、『政治はケンカだ!明石市長の12年』(泉房穂氏と共著、講談社、23年)、『あきらめない政治』(那須里山舎、24年)。

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