九州1兆円流通業三様、その先にあるもの(前)戦略変化の風

小売の1兆円

イメージ    我が国の全世帯に2万円ずつ配るとすればその合計は約1兆円だ。小さくはない。全国490万社といわれるなかで1兆円企業は約180社に過ぎない。そのほとんどが商社と自動車、電機といったいわゆる重い業種だ。九州も同じだ。しかも九電、トヨタ九州、ソニーセミコンダクタといった装置産業だからそのイメージはいかにも、という感がある。加えて、短期間のたたき上げでもなく、地元生まれでもない。そんな中、1兆円を超える九州発の企業が3社ある。いずれも流通業で、卸のヤマエ久野とドラッグストアチェーンのコスモス薬品、ディスカウントチェーンのトライアルだ。

 ヤマエ久野は異種業態をM&Aしながら1兆円を目指し、コスモス薬品はM&Aも異業態にも手を出すことなく、ひたすらフード&ドラッグの店舗スタイルを貫く。かたやトライアルは複数の小売業態、リゾート、AI関連にも進出し、先般の西友買収で一挙に1兆円を達成する。

まず何をやるか?そしてその理由は?

 「一兆、吉兆、もう一兆」、1980年2月。ダイエーの売上が1兆円を超えて創業者・中内功の口から出た言葉だ。前年にディスカウント業態のビッグエーを開店し、翌年には名門百貨店の高島屋を傘下に収めた。グループ売上はその後、年商3兆円のピークに向かってひた走る。

 「青果やなくて乾燥野菜売場やな。これじゃ誰も買わんやろ…」68年、当時日本初のショッピングセンター・ダイエー香里店がオープンした数日後、隣接するジャスコ(現・イオン)寝屋川店の青果売場を見て、ダイエーの中内功は同行した部下に呟いたという。中内のこの感想を裏付けるように、市街地中心部、多層階型店舗が主力だったジャスコはその後、ダイエーに完膚なきまでに叩きのめされる。

 消費者が何を求めているか? この消費者の求める何かにたどり着くのが難しい。ダイエーは1960~70年代、その何かをつかんだ。そして年商3兆円。日本一の小売業に成長することになる。しかし、いまダイエーは叩きのめしたはずのイオンの傘下だ。

 そのイオンもいま、祖業の小売では苦戦が続く。業績を支えるのは、金融と不動産だ。祖業は金融とテナントを支える従業に過ぎない。そうなった理由を挙げればきりがないが、ざっくりいえば自らの成功体験を握りしめ、頑なにそれを踏襲し、それを変えなかったことだろう。基本に忠実ということは言葉を変えれば「変化を望まない」ということでもある。

新しい風

 一方、売場を拡げ、商品を充実させ、商圏を拡げることで売上を拡大するという戦後小売の基本手法の逆の道を選んで成功した典型がコンビニだ。

 我が国の三大コンビニはイトーヨーカドー、ダイエー、西友といったビッグリテイラーが思い切った決断で取り組んだ業態だ。それは今、消費者にとって欠かせないライフラインになっている。人はいろいろなシーンで決断を求められる。決断の先に待つのは結果だ。そして、その行程にまとわりつくのが「運」だ。小売業の場合は、「市場の風」と言ってもいい。その風は多くの消費者が、こぞって取り入れようとする新しいライフスタイルを意味する。しかし、経営者がそのチャンスにめぐり合う確率は極めて小さい。なぜなら、消費者はそれを明確には示さないからだ。風はいつ、どこから、どんなふうに吹くのか。 それを読んであるかたちを世の中に提案して、消費者は初めてそれに反応する。そしてその風に最後には飽きる。

 45(昭和20)年の敗戦後、小売業は闇市の喧騒から、新しい商いの風を見ながら、急ぎ足で歩き始めた。戦前は、デパートや個人商店といった限られた業種のなかで、消費者は必要なモノを求めて、あちこち歩きまわらなければならなかった。まさに「野越え、山越え」の楽しくも苦行の行為だ。そこに日本型スーパーマーケットが登場した。

 SSDDS(セルフサービス・ディスカウント・デパートメントストア)と店頭に大書したアメリカからスタイル移入した店が、東京をはじめとした大都市に登場したのは、昭和30年代だ。便利で豊かな暮らし。それを求めて消費者は新しいライフスタイルを積極的に受け入れた。

 セルフ、安売りの形式はまたたく間にそのかたちを変えながら全国に拡がる。大量消費という時代の風が加わって、SSDDSでスタートした日本型大型店はまたたく間に大企業に成長する。その成長の風向きを変えたのが乗用車の普及だ。

 昭和40年代、普通の家庭にも車が普及する。車のない時代、消費者にとって家から店までの距離は何にもまして店を選ぶ重要な条件だった。

 徒歩、自転車が移動手段だから、遠くには行けないし、買い上げ点数やその量も多くない。当然、買い物の頻度は高くなるから、人が密集する中心市街立地はそのまま、繁盛につながった。今でも角屋という屋号が残る。角は交差点だ。人の流れが多い交差点が好立地ということに由来したネーミングだ。

 ところが、40年代になると突然、そんな立地とスタイルに逆風が吹く。あっという間に車社会がやってきたのだ。

 冷蔵庫、掃除機、洗濯機という高度成長前の暮らしの三種の神器がクーラー、カー、カラーテレビの新たなそれにとって代わる。さらに人件費や中心街地価の高騰もあり、広い敷地が必要な大型店は高コストの出店を余儀なくされる。風が変わったのだ。構造的に既存立地では安売りができなくなる循環だ。

小さな巨人・いつも新しくやって来る者は強い

 これに乗じて、登場したのが、郊外型大型店とロードサイド専門店だった。カテゴリーキラーとも言われ、大型店の特定部門を選択し、その売り場より広い面積で深い品ぞろえ、低価格で消費者に新たな選択肢を提供した。そこに、スーパーマーケットや衣料品専門店も加わり日本型GMSを衰退させる。戦後、新たな消費の風に乗って一大業態になって小売を席巻した日本型GMSは今やその面影もない。

 人は一度手にしたものをおいそれと手放さない。しかし、それを手にしたままでは、新しいものは手にできない。かつてダイエーはそんな命運尽きた店舗を手にしたまま、次々に新しいものに手を伸ばした。一方、イオンは郊外型に転換し、新たな試みに挑戦した。その背景にはダイエーに圧倒された中心部立地の店を捨てざるを得なかったという台所事情もある。

 昭和30~40年代前半、延べ数百人を超える我が国の経営者たちが、アメリカで主流となった郊外型ショッピングセンターを見学し、それが次世代型と学んではいたものの、短期間にそれが実現すると考えた経営者は多くなかった。しかし、車社会への転換という消費者のライフサイクルの変化は彼らが思った以上に急速にやってきた。

 小さな町には大きな店を。大きな町には小さな店を。これは今でも業態による棲み分け原則を端的に表す言葉でもある。ウォルマートの創業者の言葉だが、同じセリフをイオンの岡田名誉会長から直接聞いたことがある。

 大きな町にも小さな町にも小さな店を。豆を撒くように…。最寄り品購入を短時間で済ます。これはフード&ドラッグのコスモス薬品の戦略だ。

 生鮮を中心のメインの買い物はスーパーマーケットで。それ以外のものは店内、レジの混雑もなく、価格も安いドラッグストアでどうぞという戦術だ。

 コスモス薬品の店舗平均売上は約6億円。5,000世帯に1店出せば、全国に1万店が出せる。売上は6兆円だ。しかし、それは不可能だろう。小さな町にも、大きな町にも立地限界があるからだ。

 2024年現在、日本チェーンドラッグストア協会に加盟する企業は141社、売上総額は10兆300億円だから、ドラッグストアのこの先の市場額は年間13兆円程度だろう。薬品から日用雑貨、食品、さらに一部生鮮食品とその取扱い範囲を拡げてきたドラッグストア業態だが、達成した実績の10兆円の大台は単なる通過点というわけではない。その先には市場規模8兆円余りの調剤薬に加えて、スーパーマーケットが占有する市場がある。

 コスモスの1兆円は国内全店舗の総計だ。家計調査から推計する食品、トイレタリーの年間消費金額は1人あたり合計45万円程度だ。1万人あたりの市場額は45億円。同社の店舗平均売上の6億円からみると45億円の13%を獲得すればいいということになる。

 いまのところコスモス薬品は、このパターンで成功している。コスモス薬品の価格的な存在感はスーパーマーケットだけでなく、ディスカウント業態の店舗と隣接しても強力だ。ディスカウント企業が高コスト、ハイリスクの生鮮を直営する限り、コスモス薬品の価格的優位性は動かない。そう考えると、もうしばらくは現在の出店戦略を続けるべきだろう。

 コスモス薬品が医薬品と食料品の混売で多店舗を展開し始めた当初、流通関係者のだれもが予想した「その後」がある。低利益率の食品部門の売上が大きくなれば、粗利率が経費率を下回るようになり、収支が合わなくなるというのがそれだ。しかし、そうはならなかった。理由は、生鮮食品部門をもたないからだ。生鮮という絶対的経費率の高い部門をもち、しかもその売り上げ構成が全体の40%以上になるスーパーマーケットがコスモス薬品並みの低粗利で販売すれば経費率が粗利益率を上回りかねない。しかし、加工食品と消耗頻度の高い日用雑貨なら、生鮮併設のスーパーマーケットと違い原価を切る目玉販売もなく、基本的には定番と呼ばれる通常売場の商品は18%前後の粗利益が確保できる。販売する商品の粗利益率が18%程度なら、それが25%前後の粗利益率のスーパーマーケットより明らかに有利だ。普通消費者が日常的に安さを実感する価格差は6%程度だ。A店が100円で売るものをB店が94円で売っていれば、お客の足は自然にB店に向く。それは集客力に影響するから、当然、売上も大きくなる。

ローコストオペレーション

 m2あたりの売り上げ、すなわち坪効率は小売にとって極めて重要な物差しだ。ダイエーを始め、大型スーパーの坪効率は、そのピーク時は300万円を超えていた。それが最近では200万円を大きく切るところまで低下している。売上の減少率がピーク時の70%以下だ。小売業で損益分岐点が80%以下という例はほぼ皆無だ。日本型GMSが市場から消えた大きな原因がそれだ。ダイエー創業者の中内功が「売上はすべてを癒す」といったのがその象徴だ。日本型ドラッグストアは日本型GMSとは違った収益構造だ。300坪タイプの店舗で坪当たりの年間売上が200万円程度の売り上げでも経費率14%、粗利益率18%のパターンが成立する。だから、コスモス薬品は狭商圏競合に極めて強い。

(つづく)

【神戸彲】

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