平成バブルで散ったある料亭

かつて「高級和食店」があった
平成初頭のバブル期には料亭も一時期、繁盛していた。警固神社と向かい合ったところに料亭があった。筆者も客の縁を得てゴルフコンペの打ち上げパーティに参加した。この店は「料亭」の定義に厳密には当てはまらず、要するに「高級和食店」であった。この店のオーナーが平成2年の終わりに亡くなったのである。店舗は個人営業であった。この店の評価額は坪1,000万円を超えていた。したがって、その評価に基づいて相続税額が決定された。
事業承継は創業者の息子が担った。ところが想像を超える事態が発生した。不動産価値の暴落である。1996(平成8)年ごろには坪300万円まで下落した。本業が順調であれば問題はなかったが、資金健全化のために不動産売却を余儀なくされた(相続税の支払いもあった)。平成初頭の不動産価格が維持されていれば事業行き詰まりは回避できただろうが、残念ながら行き詰まってしまった。現在の不動産所有者は安く取得したことでその含み益は莫大になっている。
発展した福岡は料亭を全部救ってくれる
平成時代、バブル崩壊で悲惨な憂き目を見た人々は数知れない。2000年以降の福岡の都市としての発展は目覚ましく、日本でも指折りに数えられる存在となった。不動産価格の高騰は前例のない水準である。確かに「料亭業は時代の流れに乗り越えられず衰退していった」と断言できる。しかし、都市福岡の不動産高騰は「料亭救済」に大きく寄与したことは確かである。
よほどの放漫経営をしていなければ、廃業の際にはかなりの不動産売却益を得られるようになった。その金額は桁外れである。筆者が把握する範囲でも、約100億円近い売却資金を手にしたところもある。最低でも20億円程度の資金を得ることは可能である。これは福岡で商売を続けてきたことの「福」なのである。
(了)
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