政治と宗教(3)旧統一教会の政治性

福岡大学名誉教授 大嶋仁

 公明党が自民党との連立を拒否した背景には、自民党と旧統一教会との癒着があった。以下、旧統一教会と自民党との関係を示し、そこからこの教団と創価学会とのちがいを示したい。

 旧統一教会は1954年に韓国で設立された。「人類の不幸の原因はエバの不倫による原罪である」と説き、教祖である文鮮明・韓鶴子夫妻を「真の父母」として仰ぎ、その夫妻が執り行う「祝福」(集団結婚)によって原罪を清算し、人類が救済されることを目指すとされる。

 この教義ともいえない教義は、『聖書』の解釈も荒唐無稽であるし、教祖を神格化してそのもとに「集団結婚」まで行うというのだから、とんでもない教団である。問題は「そういう教団がどうして多くの人を惹きつけてきたのか?」ということになる。

 答えは簡単で、この教団は宗教団体ではなく、詐欺師の集団なのである。いくら荒唐無稽な話でも、相手の弱みにつけ込めばそれを呑み込ませることができ、そこから大金をせしめることもできるのだ。

 詐欺行為で富を築いたカルト集団が韓国には多くあると聞く。それを主題にしたテレビドラマまである。『約束の地~SAVE ME〜』を見れば、同じ韓国で生まれた旧統一教会の実態がよくわかる。見ていない人は見るべきだろう。

 これらカルト集団に共通するのは、宗教を利用して莫大な利益をものにするという点である。宗教は「目的」ではなく「手段」にすぎないのだ。いかなる金づるにも取りすがり、いくらでも柔軟に対応する。旧統一教会の発展史に、まさにそれが見える。

 しかし、旧統一教会にはほかのカルト集団にない側面もある。それがこの教団を強固にしてきた。この教団は冷戦構造を利用し、「勝共連合」なる政治団体をつくり、積極的に反共産主義運動を展開し、それによって共産主義を脅威に感じている韓国政府や日本政府、さらにはアメリカ政府に取り入ったのである。

 日本にこの教団が設立されたのは59年。翌年は日米安保条約をめぐる学生運動が盛り上がった年だ。この運動を支援したのは日本共産党やその他の左翼勢力である。当時の日本政府はなんとしても安保体制を守りたかった。そこで旧統一教会の反共運動に肩入れしたのである。

 当時の政権の中心は自民党の岸信介(=安倍晋三の祖父)で、彼はこの教団を歓迎し、政府自民党との緊密な関係をつくった。その後、児玉誉士夫、笹川良一とともに「国際勝共連合」の発起人になっている。旧統一教会は岸のおかげで、日本での地位を確立したのである。

 ところが、この重要かつ危険な関係は、2022年の安倍晋三元首相銃撃事件までほとんどの日本人に知られなかった。安倍の祖父が岸信介だったのだから、安倍が旧統一教会と縁が深かったことは驚くには当たらないのだが、そのことが明るみに出たのは、彼の命を奪った山上徹也のおかげなのである。

 山上はその場で逮捕され、「教団幹部を狙うはずだったが、それがままならず、日本に旧統一教会を招き入れた岸元首相の孫で、いまだに教団との関係をもっている安倍を殺すことにした」と供述している。

 山上自身は「教団が家族を破壊した」ことを恨んで犯行におよんだ、と言っている。しかし、そうであってもこの事件の政治性は否定できないし、社会的反響も大きい。

 この事件をきっかけに、旧統一教会と政治家との怪しい関係が明るみに出たばかりか、教団の信者への過酷な献金システムも問題視されるようになった。その結果が25年3月の東京地裁による旧統一教会解散命令である。山上の目的は、その意味では達成されたのだ。

 旧統一教会と政治との結びつきが創価学会の場合と異なることは、以上から明らかだ。創価学会が政治に関与するために政党をつくり、選挙制度に基づいて国会進出を試みたのに対し、旧統一教会は反共運動によって政権に歩み寄り、そこから権益を得ようとしたのである。創価学会はあくまでも宗教目的で政治活動をしている。旧統一教会のように、宗教を「手段」として利用しているのではない。

 自民党が旧統一教会との関係を絶たずにきたことは、だから、創価学会を母体とする公明党には許せなかったにちがいない。選挙で組織票を獲得できるからといって、「どうして霊感商法で儲ける邪教集団と手を組むのか?」という思いだったであろう。それでも公明党への一定の理解と尊敬があった石破とは何とか連携できた。しかし、国家神道しか支持しない高市が総裁となれば、話は別なのだ。

 自民党は公明党と組むことで、ある程度バランスの取れた政策を実施することができたという人は、公明党外にもかなりいる。それを失ってしまった今、政府はどこへ行くともわからない。

 すでに旧統一教会は解散したのだから、もはや自民党とは関係がないし、反共運動も意味をなさない時代である。しかし、一国の政治の主が何ら精神的な価値観をもっていないとなれば、日本は五里霧中状態から脱け出せないに違いない。

(つづく)

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