福岡大学名誉教授 大嶋仁
亀田製菓製品不買運動
ハッピーターンという米菓がある。私が勤めていた大学の同僚に、「これを食べずに1日は終わらない」と言っていた人がいた。人気商品なのである。国外でも評判がよいと聞く。
ハッピーターンの製造元は日本最大の米菓メーカー、亀田製菓である。その母体は新潟県亀田町の農協。戦後まもなくスタートして経済復興期に大成功を収め、今ではアメリカや中国やインドにまで進出して「世界の亀田」となっている。
この亀田、2022年から経営者はインド人である。その名をジュネジャ・レカ・ラジュという。氏は日本在住40年の微生物学者で、太陽化学という食品素材を提供する会社に勤め、同社の副社長にまでなっているというから、よほどの実力者に違いない。その後、ロート製薬の副社長を経て、ついに亀田製菓の最高経営責任者となった。
このジュネジャ氏、ある発言が元で、ネット上で激しい非難を浴びた。その結果、亀田製品不買運動まで起こっている。問題の発言とは「日本が今後生き延びるにはもっと移民を入れる必要がある」というもので、それが一部の自称「愛国者」の激しい反応を引き起こしたのだ。
考えてもみれば、氏の発言はかなり多くの日本企業、とくに中小企業の経営者が口にしていることだ。同じことを外国人がいうと、それが問題視され、自称「愛国者」たちが激昂し、ついに不買運動にまで発展するのだ。この体質はなんなのか。
犯罪ニュースも同じことだ。外国人が犯罪を起こすと、「外国人は危険だ」という安易な図式ができあがり、それがメディアを介してひろがる。情報は「売れればよい」から、大衆が飛びつきそうな話題を提供するのがメディアとしては1番なのだろうが、そのせいで国民の多くが移民恐怖症に陥るとなれば、これは国益に照らしてゆゆしきことである。
「国益などどうでもよい」というのなら、「愛国者」にはなれない。もう少し感情を抑えて、頭をはたらかせてほしい。
日本人の潜在意識に外国人嫌悪があることは事実である。明治の初め、欧米人の食べる牛肉を「悪臭漂う汚物」とみなす人々がいたことは島崎藤村の『夜明け前』にも出てくる。そのような異人嫌悪が、どうやら21世紀になっても消え去っていない。
もちろん、異人嫌悪は日本の専売特許ではなく、群れをなす動物である人類につきものである。しかし、だからといって容認はできない。これを情報操作で拡大すれば、ナチスの例を見るまでもなく、恐ろしい結果を生む。関東大震災における朝鮮人虐殺も、その一例なのだ。
日本の排外主義は「民族の同質性」という神話に基づいており、これが皮膚感覚にまで染み込んでいる。外国人嫌悪だけでなく、転校生のいじめにしても、同じ皮膚感覚に起因しているのだ。「皮膚感覚」は「生理」であり、「生理」といえば「自然」の一部であるから、ある種の絶対性をもつ。何かが絶対性をもつとき、これを制御することは至難のわざとなる。
外国人嫌悪と似た現象は、外来異種の動植物への見方にも見つかる。植物にしろ、動物にしろ、外来種は凶暴で土着の動植物を駆逐してしまうと見られるのだ。実際には、現在在来種と考えられるものでも、過去に遡れば外来種ということが多々あるのだが、そうしたことは容易に忘れ去られる。
たとえば、日本人が好む梅の花。これにしてももともとは中国のもので、それが遣唐使によって日本に運ばれてきたのである。だが、今やそうしたことはどうでもよくなっている。日本の小学生が中国に行って、「ああ、中国でも漢字を使っているんだ」と驚いたという話は、決して笑えない。
「純日本人」なる概念も一定の歴史状況が生み出したものだが、多くの日本人はこの概念を信じている。これまた事実に反する危険な思い込みである。そのような概念が流通するのは、国が弱体化している時だ。今の日本は自信喪失に陥っている。
亀田製菓製品の不買運動に話を戻すと、インド出身の社長の「移民のすすめ」に激昂した人々は自称「愛国者」である。実際は「愛国者」であるどころか、「亡国者」であるのだが、本人はそれに気づこうとしない。
本当に国を愛する者は自分の国の良い点だけでなく、悪い点をもしっかり見とどけ、その悪い点をなくすよう努めるものだ。自称愛国者には反省する勇気がない。自国を批判し、少しでもより良い国にしたいと願う者こそ、真の愛国者なのである。
外国人排斥は戦後80年の努力を無にする。経済不況があると日ごろ溜まっていた不満が一気に噴き出し、その不満が自分たちより力がないと思われる者に向けられるのである。言い換えれば、同じ異物でも、自分より強そうな者にはそうした不満をぶつけない。外国人嫌悪の日本人が、どうしてその嫌悪を欧米人に向けないのか、そこは考えてみる必要がある。
(つづく)








