レトロ30周年と新施設誕生へ 北九州・門司港エリア(前)

新ランドマークが今夏開業
星野リゾートも初進出

 北九州市を代表する観光地・門司港レトロの新たなランドマークとして期待される複合施設「PORT TOWN MOJIKO(ポートタウン門司港)」が、2026年7月24日に開業を迎える。

 ポートタウン門司港は、北九州市が公募型プロポーザル(総合評価方式)で「門司港レトロ地区臨海部開発事業」として、市有地を活用した宿泊機能を有する集客施設を開発する民間事業者の公募を行い、2021年9月に美里建設(株)が優先交渉権者に決定して開発を進めていたもの。22年1月に美里建設が北九州市と市有財産売買契約書を締結して、門司区西海岸1丁目地内の市有地3,520.60m2を取得。その後、事業提案書に基づいて計画・設計を進め、24年1月より現地での建築等工事に着手していた。

 美里建設の提案では、コンセプトとして「Amazing SPOT 門司港」を掲げており、来訪者に“街を楽しんでもらう”ことに徹底的にこだわり、門司港レトロ地区の都市型観光拠点を目指すとしている。具体的には、ホテルと商業施設で構成される複合施設を展開し、「門司港レトロの街歩きを楽しむ」拠点とし、複合施設には旅行者と地域の人々のコミュニティスペースを設置して、門司港レトロ地区の観光拠点および地域のハブとして機能させる。また、商業施設には、海が見えるカフェ・レストラン、ライフスタイルショップやフードテーマパークを配置し、集客対策を図るとともに、門司港レトロ地区の魅力創出に寄与。さらに施設計画では、美里建設が所有する「九港ビル」を建て替えた新たな商業ビル「PORT-198」(地上7階建)との連携も考慮されており、PORT-198からの関門海峡の視認性に配慮するほか、PORT-198とは2階のペデストリアンデッキで接続。JR門司港駅方面と港とをつなぐ施設配置となっているほか、「関門海峡ミュージアム」のある西海岸方面に向けての「人の流れ」をつくり出すことで、周辺の回遊性の向上だけでなく、門司港レトロ地区のエリア全体を拡大させていこうという狙いがある。

 地上10階建の複合施設・ポートタウン門司港の地上3~10階部分には、(株)星野リゾート(長野県軽井沢町)による若者向けホテル「BEB5(ベブファイブ)門司港 by 星野リゾート」が入る。星野リゾートとしては、同ホテルが福岡県初進出。星野リゾートが展開するホテルブランド「BEB」は、「居酒屋以上 旅未満 みんなでルーズに過ごすホテル」をコンセプトとしており、「BEB5門司港」では、門司港レトロから関門海峡を臨む立地を生かし、BEBならではの滞在を提案する。全119室の客室は、すべてが門司側からの関門海峡に面した「海峡ビュー」で、定員3名の「海峡ツイン」や、最大4名で秘密基地のように過ごせる「ヤグラルーム」など、仲間との人数やスタイルに合わせて選べる、遊び心あふれるデザインが特徴。また、ホテル最上階に位置する24時間営業のパブリックスペース「TAMARIBA」からは、関門海峡の雄大な景色を一望できる。

 複合施設・ポートタウン門司港の地上1・2階部分は、JLLリテールマネジメント(株)(東京都千代田区)が運営を行う商業施設「AMAZING SPOT」となる。商業施設のコンセプトは「門司港の新定番」。1階部分には4店舗が入り、カフェを併設した福岡発のセレクト雑貨店や、スタイリッシュな空間で門司港観光グッズの販売で北九州の魅力を発信するショップ、食物販、カフェなど、地域の特色を生かした店舗がそろう。また、2階は5店舗が入る予定で、門司港名物の「焼きカレー」やラーメン、海鮮レストランなどの飲食店が出店予定となっている。

 ポートタウン門司港の立地する門司港レトロ地区には、重厚感のある歴史的建造物が多く立ち並んでいる。そのため、建物外観には地元の「門司港まちなみづくり協議会」などからの意見も反映させながら、周囲に圧迫感を与えないような工夫・配慮を実施。全体として新しさを感じさせつつも、レトロな街並みから浮かない、落ち着いた雰囲気を目指しているという。

 「今回の『門司港レトロ地区臨海部開発事業』では、地元・北九州市に本社を構える企業として、門司港エリアの新たな発展に寄与していきたいという思いで参加させていただきました。門司港レトロは今や北九州市を代表する観光スポットですが、一方で滞在時間が短いという課題も抱えており、星野リゾートのホテル『BEB5門司港』が入るポートタウン門司港ができることで、その課題解決の一助になればと思っています。また、商業施設『AMAZING SPOT』に入居されるテナントさまには、ここだけでしか味わえない新メニューの提供を条件にテナント交渉を進めていますので、“セレンディピティ(偶然の出会いから生まれる発見)”の提供によって、新規客の開拓だけでなく、リピーターの獲得にもつなげていきます。周辺のホテルや商店街とも、競合するのではなく、ともにパイを広げていくような連携を図りながら、このポートタウン門司港が“門司港の新定番”として、エリア全体のカンフル剤となるような施設になっていければと思っています」(美里建設・プロジェクト担当者)。

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 瀟洒な洋風建築物が建ち並び、関門海峡を臨むロケーションも相まって、今や北九州市を代表する観光スポットとなった門司港レトロ。その新たなランドマークとなり得る「ポートタウン門司港」が今夏いよいよ開業を迎えるが、門司港レトロ自体も昨年にグランドオープンから30周年の節目を迎えたばかりだ。さらに現在、門司港駅のすぐ近くでは、大型の複合公共施設の開発も進んでいる。今回は門司港エリアについて、その歴史やエリア特性、開発動向などを取り上げてみたい。

貿易の要衝として繁栄も
時代の流れに取り残される

 門司港エリアは、関門海峡の南岸に位置する地理的特性から、古くより交易上の拠点として、そして本州と九州とを結ぶ戦略上の重要拠点として位置づけられてきた。

 明治期に入ると、その立地を生かして門司の地で鉄道と港とを直結させようという機運が高まり、国は1888(明治21)年に門司を起点とする鉄道建設を許可。同年、九州最初の鉄道会社として「九州鉄道会社」が誕生した。一方で、翌89年には「門司築港株式会社」が誕生し、門司港の埋め立て工事に着手。その後、門司港は国から石炭・米・麦・硫黄・小麦粉の5品目の特別輸出港に指定されたことで、外国貿易港の仲間入りをはたすことになる。これは、九州においては長崎、博多に次いで3番目の指定だった。91年には九州鉄道が博多から門司駅(現・JR門司港駅)の区間まで延伸されたことにともない、大里駅(現・JR門司駅)も開業。鉄道と港との結節点となったことで、門司のまちは筑豊からの石炭の輸出港として大きく発展していった。大手商社や金融機関などが次々と門司港に支店を構え、大里地区には製糖・製粉などの工場も建設された。そして99(明治32)年には、北九州の5市(門司、小倉、戸畑、八幡、若松)のなかで最も早く「門司市」となった。

 明治から大正にかけては外国貿易の要衝として賑わい、瀟洒な洋風建築の数々が建ち並んでいた門司港周辺だったが、日清戦争以降は前線基地としての役割も担うようになった。そのため門司港からは、多くの将兵や弾薬などの軍需物資、食糧、軍馬などが運ばれていったとされる。一方で、それまでは関門連絡船を使用して関門海峡の横断を行っていたのだが、乗換・積替の手間を省いて輸送力を増強するため、関門海峡にトンネルを建設する計画がもち上がるようになった。そして1936年9月の着工から約6年の歳月をかけて、42年7月に鉄道用の水底トンネル「関門トンネル」が開通(下り線。上り線は44年8月に開通)。また、この関門トンネル開通計画にともなって、42年4月に門司駅が門司港駅に、大里駅が門司駅と改称されている。この関門トンネルの開通によって、門司港エリアは九州の“陸の玄関口”としても発展し、駅前には商店街や市場などが形成されていった。

 一方で、41年12月に太平洋戦争が勃発。大陸に近く、軍需物資などの輸送拠点でもあった門司および門司港周辺は、アメリカ空軍からの空襲をたびたび受けるようになった。とくに終戦前の45年6月には大規模な空襲によって、約1万8,000人が死傷するという甚大な被害が発生。約3,770戸の家屋も破壊・焼失し、門司・門司港の市街地は焼野原と化した。さらに戦争末期には、海上を封鎖して日本本土への食料輸送網を断ち切る「飢餓作戦」の一環として、関門海峡にはB-29による機雷の大量投下が行われた。日本全国の港湾に投下された1万発以上の機雷のうち、およそ半数にあたる約5,000発が関門海峡に投下されたとされる。

 終戦後、引き揚げ拠点の1つとなった門司港には、大陸や朝鮮半島からの引揚船が多数到着。多くの人で賑わうことで、焼野原となっていた市街地の復興が進んでいった。また、50年6月に勃発した朝鮮戦争では、門司港が再び物資輸送拠点となったことで、まちは“朝鮮特需”に沸くことになる。

 しかし、朝鮮特需を最後のピークとして、石炭産業は斜陽化。北九州全体の産業が沈滞していった。また、戦後に貿易相手国がアメリカ主体となったことによって、太平洋側ではない門司港の国際貿易港としての地位も低下。さらに、関門橋(73年11月開通)や新関門トンネル(75年3月)などが相次いで開通。すると、物流の主役は船舶からトラックへと、旅客の主役は船から鉄道・車へと完全にシフトしていった。また、高度経済成長期を経て、船舶が大型化していくのにともない、水深の浅い門司港はコンテナ船に対応できず、港湾機能の主体は新門司地区などへ移転。こうして交通結節点から単なる“通過点”となったことで、門司港エリアは北九州市内でも経済成長から取り残されてしまうことになる。

 こうして、かつての繁栄の象徴であった瀟洒な洋風建築も、時代の流れに取り残され、一時は「朽ちゆく過去の遺産」として取り壊しの危機に瀕していった。しかし、この衰退の時期に大規模な再開発が行われなかったことが、結果として歴史的建築物を奇跡的に温存させることになった。この皮肉な運命こそが、後に「門司港レトロ」として再生するための最大の布石となったのである。

(つづく)

【坂田憲治】

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