ブレイクスルー思考──今こそナドラーから学ぼう(前)日比野省三

福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

 日比野省三はすでに「時代遅れ」だろうか。氏には『ブレイクスルー・リエンジニアリング』とか『トヨタの思考習慣』などの著書があるが、あまり取り沙汰されないようだ。

 氏の読者は主にエンジニアや経営者だろう。私のような文学研究者には縁がなかったはずだ。だがたまたま氏の書いたものを読んで、はっとさせられた。

 ブレイクスルーといえば、あるイギリスのテレビ・ドラマが思い出される。ケンブリッジ大学で犯罪学を講ずる主人公が、警察に協力して犯人探しをするという物語である。頭脳優秀、知識も豊富だが、偏屈な心の持ち主で周囲が寄りつかない。

 この教授、自分でも欠陥人間だと思って、定期的に精神科医に診てもらっている。幼少期に受けた精神的打撃がトラウマとして残り、それが時おり妙な行動を引き起こさせる。

 あるとき、その偏屈な精神が大きく転回した。自分でも驚くような自分が現れ出たのだ。それを目の当たりにした精神科医は思わず彼にこういう。「ブレイクスルーしましたね」

 ブレイクスルーは英語のbreak throughからきている。「破って突き抜ける」といった意味だ。日比野氏はこのブレイクスルーを強調しているが、固定観念を突き破って進む思考のことなのである。

 「世界は変わるはずがない」と私たちの常識はいう。日比野氏はこの常識を「突き破れ」という。この言葉を耳にしたとき、「言うは易く、行うは難し」だと思ったが、その新鮮な響きから、どこかに真実がありそうにも思えた。以降、ブレイクスルーという言葉はずっと私の脳裏に残り続けた。

 ブレイクスルー思考は現代人に必須なものだと思う。今の世界は知性が停滞しているからだ。その端的な表れが国際情勢であろう。

 世界をリードするはずのアメリカ大統領が、もうろく爺さんのバイデンから革新的に見えるトランプに変わった。ところがこれはまったくの見当はずれで、世界はことの真偽の区別のつかぬ蒙昧状態に陥った。「そのとばっちり」を受けたくないのは日本だけではないはずだ。ところが、日本政府は喜んでこの「とばっちり」を受けたがっているかに見える。

 そこまでしてトランプに頭を撫でられたいのか。独断に走ることなく、もう少し「衆」に耳を傾けてほしい。

 同じトランプでも一期目はまだしも脈絡があった。世界を新しくする意気込みも感じられた。ところが例のエプスタイン・ファイルのせいか、イスラエルに頭が上がらない。本来は鋭かったはずの判断力が、おどろくほど鈍っている。

 日比野氏なら「世界が新たな一歩を踏み出せないのは、人類全体の思考がパターン化しているからだ」というのではないか。人類史上、これほどに思考力が減退した時期はそう多くない気がする。

 あるいは、現代は新機軸が打ち出される前の「パラダイム交代期」なのかもしれない。古いパラダイムが崩れつつあるのに新しいパラダイムが見えてこない、そういう時期なのかもしれない。

 さて、日比野氏の発想はどこから来るのかと探っていくと、氏が敬愛するジェラルド・ナドラーにゆき着く。このナドラーこそ、私たちがもっと知るべき存在だ。
 ナドラーと日比野氏は互いをよく知り、共著まで出している。『新ブレイクスルー思考』がそれだ。この本の前書きを読むと、ナドラーの『ワーク・デザイン』と『プラニングとデザイン・アプローチ』が下敷きになっているとわかる。この二著を読めば、大いに啓発されるにちがいない。

 ナドラーは経営者やエンジニアに向けて書いている。とはいえ、一般読者にも非常に役立つことをたくさん言っている。自分を向上させたい、勉強の仕方を学びたい、仕事をうまくこなしたいという人には大いに役立つ。

 おまけに彼の文章は魅力的である。歯に衣着せない口調がイノベーションの必要性を痛感している人を奮い立たせる。

 たとえば、彼は「問題とは何か?なにかおかしいぞ、これは解決せねばと思うことを問題というのである」と。このような定義の仕方自体、新鮮ではなかろうか。

 彼は続ける。「問題を見つけるには、こうあってほしいという夢なり、目標なりがなくてはならない。人間は夢がなければ、問題解決など思いもしない」と。

 これを我が身に照らすと、私などは「これは問題だ」と思っても、そこで止まってしまう。「簡単には解決できない」と観念しているからだ。だが、そこで止まらないのがブレイクスルー思考である。何とか努力して解決にもっていきたい、そういう精神なのだ。

 ナドラーが夢をもつことを大切にする。「人は目標に向かって努力するとき、初めて自分を知ることができる」というのだ。その努力は「周囲にもよい影響を及ぼす」と付け加えている。

 考えれば、これは強烈な思想である。目標に向かって努力しない人間は、いまだ自分自身になりきっていないというのだから。この言葉の意味、しっかり噛みしめたい。

(つづく)

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