クマ問題を考える(中)なぜこうなったのか

福島自然環境研究室 千葉茂樹

 今回は、「最近のクマの状況」「1980年頃からの山と野生動物の変化」を書く。

2026年の状態「クマは観光施設の近くに」

 今年も4月から、磐梯山麓の地質調査に入っている。今年は雪解けが早く、4月上旬には山麓の調査を行えた。

 磐梯山南麓には「昭和の森」という福島県の観光施設がある(リンク1)70年の第21回全国植樹祭でつくられた施設である。この施設の麓には、猪苗代町営「磐梯山牧場」(リンク2)がある。ここは桜並木(リンク3)で有名である。

 4月上旬、この付近の調査を行った。この付近は基本的に広葉樹林で、さらに下方は牧草地である。まず驚いたことは、大型動物が歩いた幅約1mの「けものみち」が明瞭にあり、沢沿いに続いていた。

 昭和の森と磐梯山牧場の境付近は、人手が入っておらず「笹原」である。私がここを調査していると、「ウォウォ」という唸り声がした。私は調査に行っているので、唸り返しながら調査を続けた。この後3日間ほどは、同じような唸り声がした。調査最終日の夕方、車で帰り支度をしていると、この唸り声が「沢の下から上へ」と移動していった。
 私は、磐梯山の山小屋の方と情報交換している。彼がいうには、このような唸り声はツキノワグマが出すとのことである。なお、私は40年ほど磐梯山の地質調査に入っているが、唸り声はよく聞いた。調査なので、それを恐れては調査できない。私も野性的な声を出しながら、調査をしてきた。

 余談であるが、この唸り声は野生動物同士のコミュニケーションと同じである。クマが「ウォウォ」と唸ると、私も「ホッホッ」と野性的な声で答えた。これを交互に行っていた。これで、お互いの位置を知らせ、近づかないようにしていた。だから私は、クマに襲われなかったのだと思う。

 4月26日には、磐梯連峰の頂部にも行ってきた(リンク4)。赤埴林道から頂部にかけて、野生動物には出会わなかったし、その気配もなかった。

 赤埴林道は、今年になって4回通っている。また、赤埴山の中腹の会津テラスの工事区でも、野生動物の気配はまったくなかった。これに対し、25年は、赤埴林道や会津テラスの工事区で、野生動物に遭遇している(リンク5)。

 26年、野生動物は「山から下りてヒトの近くで生活」しているようである。

野生動物は山奥にいた(1980年から90年頃)

 一言でいえば、「野生動物は山奥にしかいなかった」。

 当時は、営林署が各地にあった。私の住んでいる猪苗代にも「猪苗代営林署」があった。すぐ近くの会津若松にも「若松営林署」があった。このように、営林署が全国各地にいっぱいあり、山の管理を行っていた。また、山の管理のため「林道が山奥まで網の目状」にあった。余談であるが、猪苗代町では80年頃まで猪苗代営林署の官舎(住宅)が建ち並んでいたのを覚えている。

 また、人々も山奥まで入り、「薪採り」「山菜採り」「キノコ採り」などに入っていた。また、林業も盛んで、森林が伐採され、その後に杉などが植林されていた。山を歩けば、かなりの山奥でも伐採地があった。別の言い方をすれば、見通しがきいて「野生動物の住めない空間」が広がっていた。まとめれば、森林の整備がなされ、野生動物が住める場所は限られ、個体数も増えなかったと考えられる。それでも、昭和20年代よりは、山の手入れが悪くなっていた。

 この当時は、「野生動物の気配」はかなりの山奥でないと感じられなかった。ツキノワグマが生息していたのも山奥であった。人里近くでは、野生動物の気配は少なかった。

カモシカが人里に進出(90年から2010年代)

 年を経るごとに、山が荒れていった。まず、営林署が統廃合されて地方に営林署がなくなった。このため、それまでの林道が放置された。人々も奥山に入らなくなった。さらに、里山の集落は、高齢者が主体となった。

 私は07年頃、「福島市の国道4号線から西に約10km」にある集落付近の調査をしていた。この集落で最も若い人は72歳であった。山麓の田んぼは放置され、樹木が生えていた。里山に入れば、林道は崩壊し、山肌は木の枝や落ち葉であふれていた。年ごとに里山が荒れだした。これについては、こちらに詳しく書いている(リンク1)。

 野生動物は、人家近くに進出するようになった。顕著だったのはカモシカだった(画像03)。人家の脇から飛び出すこともあった。画像03は、私の一関の家(両親の住んでいた家)に現れた個体で、撮影距離は約3mである。窓を開けたら、近距離にいて、逃げもせずに私を観察していた。

画像03

11年以降

 11年に福島原発事故が起き、山地が放射性物質で汚染された。それまで細々と利用されていた林道まで使われなくなり、里山はますます荒れた。当然、野生動物は、山奥から山里に進出してきた。

 また、「気候も温暖化」して、住んでいる野生動物の種類も変わった。磐梯山では、00年頃までは、大型の野生動物といえば「ツキノワグマ」と「カモシカ」だった。それ以外の動物は、冬の寒さに耐えられなかったためと思われる。

 ところが、00年頃から「ニホンザル」が、磐梯山の東側からジワジワと進出してきた。11年以降は「イノシシ」「ニホンジカ」も住むようになった。「カモシカ」はめっきり見なくなった。この頃のGoogle Earthの画像を見ると、「けものみち」がくっきりと見える。いかに野生動物が増えたかが分かる。

 20~24年は、磐梯連峰の赤埴山(あかはにやま)で、野生動物を頻繁に見かけるようになった。24年10月には、丸々と太ったイノシシの集団に遭遇した(画像04)。画像では3頭であるが、6頭の集団だった。

画像04

 また、10年頃まで赤埴山の頂部にはニホンザルはいなかった。しかし、その後は群れを見るようになった。画像05は、赤埴林道でサルの集団に遭遇したときの撮影である。撮影距離は約3m、車を止めるとボス猿が私を観察にきた。

画像05

 25年5月には、「ツキノワグマ」「ニホンザルの集団」に出くわした(リンク2)。
 今まで、山では生息していなかった動物が住み着き、個体数が増加した。温暖化の影響で、越冬できるようになったためであろう。

野生動物は山から里へ移動(2025年秋からの傾向)

 ところが、25年秋以降、赤埴山では野生動物に出くわさなくなった。野生動物の気配すらなくなった。26年も出会っていない。
 私は、「亀ヶ城址公園(リンク3)」や「土津神社(リンク4)」を散歩する。25年秋以降、「野生動物撃退用の五連発ロケット花火」の発砲音を頻繁に聞いた。土津神社の西には、柿の木などの果樹や畑が広がっている。これを食べに「ニホンザル」や「イノシシ」がきていると聞く。

 野生動物は、「ヒトの近くはエサが豊富」「ヒトは怖くない」と学習し、ヒトの近くへと進出したと考えられる。

まとめ

 かつて人は、山奥まで切り拓いて、山里や里山で生活していた。とくに戦後の「引き上げ開拓」(リンク5)である。この場所には、もともとクマなどの野生動物が生活していたが、ヒトが開墾して山奥に追いやった。

 ところがその後、ヒトは自分たちの都合で開拓地を放棄した。ヒトが生活した後には、田んぼ・畑・果樹などが放置された。ヒトがいなくなれば、徐々にではあるが野生動物が進出する。このヒトが残した野菜や果樹は、山の食べ物より数段おいしく栄養価も高い。栄養価の高い食べ物を食べれば、子どももたくさん生まれる。

 野生動物は、「ヒトの近くにはおいしい食べ物がたくさんある」と学習し、どんどんヒトの生活圏に進出した。そこで子どもが生まれれば、「子どもはそこが故郷」である。そこに居つく。それが現状である。

(つづく)


<プロフィール>
千葉茂樹
(ちば・しげき)
千葉茂樹氏(福島自然環境研究室)福島自然環境研究室代表。1958年生まれ、岩手県一関市出身、福島県猪苗代町在住。専門は火山地質学。2011年の福島原発事故発生により放射性物質汚染の調査を開始。11年、原子力災害現地対策本部アドバイザー。23年、環境放射能除染学会功労賞。論文などは、京都大学名誉教授吉田英生氏のHPに掲載されている。
原発事故関係の論⽂
磐梯⼭関係の論⽂
ほか、「富士山、可視北端の福島県からの姿」など論文多数。

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