日本人と「歴史」─ 韓国・中国との比較から考える(1)韓国の歴史教育から見えるもの
福岡大学名誉教授 大嶋仁氏
はじめに
明治以降の日本が、西欧の帝国主義的発展にならってアジア進出に乗り出し、日清・日露の戦争を経て朝鮮半島から現在の中国東北部である満州までを獲得したことはよく知られている。その勢いで中国に攻め込み、その戦況が芳しくないと見るや、今度は「大東亜共栄圏」を掲げてアメリカおよび英蘭豪との戦いへと突き進んでいったことも、知られていると言ってよい。そして、東南アジア一帯にまで戦線を拡大したその結果が沖縄と原爆を含む本土での多大な被害を生み、最終的に「無条件降伏」に追い込まれたことも周知の通りである。
だが、その後の日本が、アメリカを中心とする占領軍によって建設されたこと、その新国家の体制が現在にまで維持されていること、これらについては明瞭な理解がなされていない。日本人は「戦後」という時代を十分把握しておらず、そのせいで、現在自分たちがどこにいるのかわからなくなっていると思われるのである。今ここでこの問題を、日本と韓国および中国との関係において見てみたいと思う。なんとなれば、日本は東アジアの一国であり、この事実ぬきに日本の戦後を理解することはできないからである。
核となるのは歴史認識の問題である。これが日本と他の東アジア諸国との関係を難しくしているのである。もちろん、そこにアメリカが介入していることは事実だが、ここではアメリカの思惑は脇に置いておき、過去の歴史をめぐる日本と韓国、そして中国との関係を考えてみたいと思う。
韓国の歴史教育から見えるもの
もう30年近く前のことである。韓国の首都ソウルで、西日本新聞記者のTに会った。釜山日報と西日本新聞とが協定を結んでおり、両社は互いに自社の記者を相手側に送り込んでいた。今もこのシステムは機能しているかもしれない。
Tに会うと、いきなり「歴史教科書」の話になった。当時韓国では、日本の歴史教科書における記述に「少しも反省の跡が見られない」として、「反日運動」が盛り上がっていた。Tはこれに業を煮やし、「内政干渉だよね」とぼやいていたのである。「だってそうでしょ。日本の教科書は国定のものじゃないんだ。出版社が勝手につくっているんだから、国策がそのまま反映されているわけではない。なのに、それに目くじらを立てるというのはおかしいですよ。韓国人はそこがわかってない」
Tは韓国が嫌いだったわけではない。むしろ韓国生活を満喫しているようだった。ソウルに派遣されて半年しか経っていないのに、「もうほとんどの地域は回ったよ」と言っていた。「どこでも飯がうまいし、それに陶磁器がすばらしい」と目を細めていた。
そういう氏にすれば、韓国メディアが反日感情をあおっているのは「けしからん」ことだった。「この国は、国がメディアに働きかけて国民を反日にしたり、親日にしたり、まるで日替わり弁当ですよ。いい加減に、この段階を脱皮してほしいんだな。じゃなきゃ、まともな外交はできない。韓国にとって、これは不利なことですよ」
そのときはそんなものかと思ったが、今になると「韓国は常にそういう国だったのだろうか」と思えてしまう。数年前に尹大統領の罷免を要求するデモを取材していた朝日新聞の記者が、「韓国は日本より言論の自由がある」とつぶやいていたのを思い出す。韓国メディアは、本当に政府の言いなりなのか。
昨今の日本メディアを見れば、日本のほうが「お粗末」なように思えてならない。日本国民の多くは、メディアの言うことを素直に信じているように見える。そして、その原因の1つは、メディアの送り出す「世論」なるものが異口同音になっていることにある。
すでに半世紀近く京都に住む中国出身のある大学教授が、これについてこんなことを言っていた。「初めて日本にきたのは70年代。テレビを見て感動しました。チャンネルごとに、政治的立場が違っていたからです。ところが、いつの間にかそれがなくなった。どのチャンネルを見ても、ニュースの中身はほぼ一緒なんです」
日本はいつの間にか「言論の自由」をなくしたのである。「上からの圧力」だろうか。否、それ以上に、面倒を避けたいという理由からの「自己規制」のせいである。自己規制は権力との衝突を避けるための、最良の手段に違いない。
韓国に話を戻すと、軍事独裁が長く続き、光州事件などを経て国民が自ら民主主義を勝ち取った国である。日本のように、アメリカの指導下で民主化を進めてきた国とは違うのだ。アメリカは韓国が「反共」である限りにおいて、軍事政権をしっかり支えた。それを打ち破っての国民による「民主化」だったのだ。そういう韓国を見ると、日本には民主主義を守ろうとする気概はないと感じられる。ほとんどの日本人は認めたがらないが、今や韓国を見習わねばならない時代となったのだ。
先に挙げたT記者のように、韓国の歴史認識を批判する日本人は後を絶たない。十数年前、韓国中部のテグに行ったとき、そこに住む日本人教師からこんなことを聞いた。「韓国人の日本についての歴史認識は誤りだらけです。彼らは歴史事実を積み重ねず、すぐに価値判断するんです。そういう歴史教育をするから、国民は得てして感情的になる。これでは対話になりません」
この日本人教師の言葉は一定の「真実」を含んでいたに違いない。彼の言っていたことは、私の知る何人かの韓国人留学生の声とも重なるものだった。彼らはしばしば言っていた。「日本に来るまで、自分は相当に反日でした」と。
だがそれでも、その日本人教師の言葉には何かが足りないと思った。彼の見方が一方的で、日本での歴史教育がどうなっているかを問題にしていなかったからだ。私に言わせれば、私たちが問題にすべきは韓国の歴史教育ではなく、自分たちの受けてきた歴史教育のほうである。現代の日本人が朝鮮半島を植民地化し、その後満州国を建設し、最終的には中国に攻め込んだその歴史をどれほど知っているだろう。このことこそ、問題にすべきではないのか。
仮に韓国人の歴史認識が「事実」に即していない部分をもつとしても、彼らは一応歴史を土台にして自らを位置づけている。ところが現代の日本人は、歴史そのものから目を背けているがゆえに、自身の位置づけができないのである。
私はいわゆる「自虐史観」を支持する者ではない。客観的に自己の過去を振り返り、そこにあった「美点」も「欠点」も見極めておくべきだと言いたいだけである。
日本での歴史教育に問題があるとすれば、明治維新までの歴史はきちんと教えているが、その後の歴史をぼかして教えている点である。メリハリのない事実羅列の歴史教育なのである。とくに戦争と戦後のことになると、その箇所はほとんど空白状態になっている。生徒たちが学ぶのは、せいぜい広島と長崎の原爆ぐらいである。
このような状態では、韓国や中国との対話は無理だろう。台湾とすら、真の友好は築けない。台湾の学生があるときこう言っていた。「台湾が日本の植民地だったことを知らない日本人が多すぎます。日本人は、台湾人は親日的だと喜んでいますが、その背景に何があるのか、想像もできないのです」
かつて韓国大統領であった金泳三氏は、NHKのインタビューに答えて、達者な日本語でこう言った。「日本人は近代史を先に勉強し、その後で古代と中世を勉強すべきではないでしょうか。そうすれば、だいぶ歴史認識は変わるのではないでしょうか」
(つづく)









