日本人と「歴史」─ 韓国・中国との比較から考える(2)日本人はなぜ歴史を語れないのか
福岡大学名誉教授 大嶋仁氏
日本に来て10年という韓国人男性に、つい先月福岡市内で会った。その青年はまだ30歳にもなっていなかったが、「今は日韓関係が最も充実している時だと思います」と言っていた。なんとなれば、「現在の韓国の若者たちは過去の歴史にそうこだわっていないからだ」という。
「僕だってそうですよ、国同士は歴史問題を争うかもしれないけれど、それは政治の問題であって、国民同士は心で付き合うから、政治に左右されてはいけないと思うんです。今は互いを知って、良いところを学び合う時代。それができる条件がそろっているんですよ」
彼自身、日本に住むようになって「日本のよい面」をたくさん学んだという。初めは「社交辞令」だろうと思って聞いていたが、やがて彼が思ったことをそのまま口にする性格の人間だとわかった。日本に10年もいれば、彼のように「開かれた考え方」をもつようになるのかもしれない、そう思ったのである。
そうはいっても、彼が言葉を選んで対応していることは確かだった。同じことを言うにしても、「日本人に向けて韓国式に話すことはできない」と心得ているようだった。そこで私はこの青年に、やや厄介な質問をしてみた。「日本人は過去の歴史を知らなすぎると思いませんか?」 と。
すると彼のにこやかだった顔が、一瞬しかめ面になった。しかし、すぐまたすっきりした表情になって、こう答えた。「確かにそうかもしれません。でも、歴史って、一体何ですか?人によって見方は違うし、だいたいの場合、自国を評価して他国を貶める性格のものではないんですか?」
私はこの言葉に驚いた。ここまで歴史を相対化できてしまうとは普通ではない、と思ったのである。しかも、それが韓国で反日教育を受けた人間の口から出たとなると、容易ならざることのように思えた。異文化を知ることのメリットとはこれなのか、と感動さえした。
私自身、若い時フランスに留学し、そこで異文化に触れて日本に開眼した覚えがある。異文化に触れると、初めて自覚することが多い。明治前半にドイツ留学をした森鷗外にしても、そうだった。彼の処女作『舞姫』は、単なる悲恋小説ではない。異文化体験を経たために自国の社会に復帰しても、その原則のすべてを信じることができなくなった人間の複雑に揺れ動く心情を伝える作品なのである。
夏目漱石にしてもそうだ。イギリス留学を終えて帰国した彼の心は、不安に満ちていた。彼には「日本の近代化」なるものが信じられなかったのである。彼の一連の小説群は、そうした不安がなければ生まれ得なかった。『吾輩は猫である』の猫は無念のうちに死に、『道草』の主人公は「自分は道草ばかり喰ってきた」という実感しかもてなかった。
では、そういう鷗外や漱石は、先に挙げた在日10年という韓国青年のように「歴史は国家的主観の産物だ」と見たのだろうか。必ずしもそうではなかった。鷗外の『かのやうに』を読むと、明治日本が天皇制神話を歴史の根幹に据えようとすることに矛盾を感じつつ、これにどう対処すべきかを悩んでいる青年が見つかる。「神話と歴史は共存できない」と彼の理性は知っているのだが、「天皇神話」という虚構に囲まれていた自身の現実を、どうしようもなかったのである。
明治の知識人は、多かれ少なかれ江戸時代の遺産である中国産の歴史観をもっていたに違いない。それに加えて、西欧的な科学的歴史観も彼らの頭脳に浸透しつつあった。この葛藤だけでも大変であるのに、明治政府は古来の神話を復活させ、これを国家建設の基礎イデオロギーにしようとした。まともな人間なら、発狂しかねない状況である。
明治から大正・昭和と振り返ると、日本人が時代社会の虚妄に徐々に巻き込まれ、ついに精神の在り処を失ったところで戦争に突入したと見えてくる。しかし、それでも己の位置づけをする歴史的枠組みはかろうじて存在した。それが敗戦とともになくなり、戦後は歴史の展望を可能にする枠組みが見つからなくなった。これでは韓国や中国と対話することは不可能に近い。
先に話題にした在日10年の韓国青年に話を戻すと、彼が日本人に満足しきっているとはどう見ても思えなかった。私が日本人の歴史意識の希薄さについて言及したときの、あの「しかめ面」は何だったのか。多くの日本人には「過去の歴史」についての意識がないことに、失望していたのではないだろうか。
むろん、頭のよい彼は「この問題には深入りしないほうが無難だ」と判断したにちがいない。「自分にとってプラスになる部分だけを日本人から引き出せればよい」と判断したのであろう。この選択は間違っていないし、彼が日本で生きていくうえでそれは必要であるに違いない。だが、問題はそこで終わるわけではない。
(つづく)









