日本人と「歴史」─ 韓国・中国との比較から考える(4)神話と歴史、日本人の責任意識
福岡大学名誉教授 大嶋仁氏
すでに見た丸山眞男の論からすると、日本人が歴史を自然力の発現として受け止めてきたことは、結局は「文化の問題」ということになる。
文化人類学的にこれを見るならば、構造人類学のレヴィ=ストロースが『人種と歴史』(1952年)で述べていることが、その手掛かりとなろう。彼は人類社会を大きく2つに分け、歴史のなかにあっても「原初の神話的ヴィジョン」を失わないようにする社会と、文明が打ち立てた「歴史的ヴィジョン」を原動力にして発展しようとする社会があると述べた。
日本の場合にこの論を当てはめると、日本社会は基本的に前者であるが、必要に応じて後者の立場に移行することがあるということになる。つまり、基本的には神話的ヴィジョンを保守しているのだが、状況に応じて「歴史」をも受け入れ、それによって生じる矛盾を最小限に食い止める努力をしてきたということになる。
しかしながら、これだけで日本文化を定義してしまうことには問題がある。これだと、日本人は何をしても良心が痛むことはないことになってしまう。いくら神話を歴史より優先する社会であっても、必ずしも人間の起こす出来事を「なりゆき」のせいにしてきたわけではない。
丸山眞男にしても、そのことは十分知っており、武家社会においては「賞罰」の観念が重視され、掟を犯した人間は厳しく罰せられたと述べている。彼が問題にしているのは、むしろ明治以降の日本であって、近代になってからむしろ「責任」の所在があいまいになり、「無責任」な体制が生まれ出たと言っているのである(『現代政治の思想と行動』1957)。
では、どうして明治以降の日本は、徳川時代と比べてもその「無責任度」が増したのか。これについての政治制度的要因を丸山はいくつも挙げているが、私自身はそこではたした天皇制神話の役割が大きいのではないかと思っている。すでに鎖国が終わり、世界史のなかに身を投じた日本であったにもかかわらず、神話的な理念を国家の支柱とした矛盾、それがすべてのシステムを狂わせ、「既成事実」をつくり出すことで道理を踏みにじる土壌ができてしまったと思えるのだ。
さらにいうならば、明治政府が維新後すぐに発布した「神仏分離令」の影響も大きかった。日本人の倫理の基本をなしていた仏教が、神道から切り離されてその影響力を失ったことが日本人から「責任」意識を奪い去ってしまったのではないか。丸山は指摘していないが、『古事記』が編纂された奈良時代以降の日本には、仏教の因果応報思想の影響で個人の行為が他者におよぼす結果の大きさが意識されるようになった。そうした思想が明治以降消えてしまったとなれば、日本人の倫理を支えるものがなくなり、国家主義のみが国民の支柱とならざるを得なかったと思われる。
さて、そのような日本人が、戦争に負けて戦勝国に裁かれることになったとき、日本は己の非を認めたであろうか。あるいは、連合国の裁定は不当であると抗議したであろうか。そのいずれもせず、「勝てば官軍」の論理で国際軍事裁判の結果を受け入れたのではないだろうか。「勝てば官軍」とは、「戦勝国は好き勝手に敗戦国を裁くものだ」ということで、この論理では、敗戦国の「罪過」もそれを裁く側の「罪過」も看過されてしまう。
丸山が言いたかったことをまとめておこう。彼の論は、結局のところ、「近代になって武家社会の通念が消え去ったせいで、古代の無責任システムが復活してしまった」ということである。これでいいのか、と彼は訴えているのだ。人が法を犯せば罰せられるのが当然であり、犯罪行為を「自然のなりゆき」で済ませることはできない。であるならば、「戦争を台風や地震と同一視することはできない」ということになるのである。
(つづく)









