ローマ法王レオ14世――その世界にとっての意味――(1)ローマ法王とはなにか

福岡大学名誉教授 大嶋仁氏

 ローマ法王という存在は、カトリック教徒がわずか0.3%という日本ではほとんど知られていない。従って、「法王の世界にとっての意味」など誰も知らないし、考えてみようともしない。

 だが、現代世界がいまだに西洋を中心に展開しており、またローマ法王を頂点とするカトリック教会が世界最大の宗教集団であるとすれば、話は変わってくる。日本人とて、世界を生きていくうえで、カトリック教会とローマ法王の存在意義について知らずにはやり過ごせないのである。

 ローマ法王は世界で影響力の大きい人物の1人である。トランプ大統領やイーロン・マスクとちがい、その影響力はカトリック教会内部にしかおよばないかに見えるが、実は世界の政治にも経済にも影響をおよぼしている。しかも、その影響力は政治家とちがって長期にわたり、一時的なものではない。ローマ法王を頂点とするカトリック教会が2000年ちかくの歴史をもっていることが、それを物語っている。

 私自身はカトリック教徒ではないので、外側からしかこの宗教を見ることができない。しかし、この教団が長い歴史をつうじて世界中に広がり、そうであるがゆえに世界の動向に影響を与え続けてきたことは間違いないと心得ている。この教団は外的環境の変化に応じて必要な内部変革もしてきたが、にもかかわらずその根底思想を守ってきたことも注目すべきことのように思われる。

 カトリック教の歴史は、ひと言でいえば『聖書』という原典と時代社会との相克の歴史ということになろう。ローマ法王とはその相克の真っただなかにいる存在、あるいは相克そのものなのである。というのも、法王は国王とは別のレベルでの「権力者」である。その背後に「神」がいるのだから、その権力は絶大である。しかし、普通の国家にとって、法王庁は一種の「治外法権」地域である。従って、国家権力がこの地域を蹂躙すれば、「絶大なる権力者」である法王がこれを断固として拒否することは十分あり得る。

 法王と国家の主との戦いが西洋史を特徴づけてきたことは、西洋史を少しでも知る人にはわかるだろう。だが、日本人のように長い歴史のなかで天皇家が国家権力者と、はたまた神道と仏教とが「共存」するかたちをとってきた国では、この闘争の歴史は把握しづらい。鎌倉時代における浄土系仏教および日蓮宗と国家権力との対立は、いわば例外なのである。

 さて、カトリック教会はその信者数において世界一であっても、過去の歴史を見れば手放しでほめられるものではない。他宗教を認めず、十字軍や宗教戦争によって多大な犠牲者を出し、極端な狂信に走って残虐な異端審問まで実施したこの教団は、暗黒面をも持っているのである。しかしその一方で、さまざまな反省をして内部改革を進め、世界各地へと布教活動に乗り出し、宣教先で病院を建てたり、学校を建てたり、文教面での貢献をしてきたことも事実である。インドでの慈善活動でノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサに代表されるように、「愛の実践」という点で世界史に足跡を残してもいるのである。

 日本との関係でいえば、戦国時代にカトリック宣教師が布教活動をしたことは多くの日本人が知っている。布教そのものは十分成功したとはいえないものの、彼らが西洋の学術その他の文化をもたらし、日本人がそれまで知らなかった価値観を示したという事実は消えない。また、数は多くないにしても、私たちの社会の一隅に「潜伏キリシタン」なる存在があり、その信仰が心の支えになって生きてきた人がいることも事実である。遠藤周作の小説にあるように、時の為政者によって国家権力にとって危険な存在と見なされ、いわゆる「殉教者」となった人もいるのである。

 だがここで問題にしたいのは、そうした「過去」のことではない。近代文明が宗教を衰弱させたといわれるなかで、いまだに宗教の重要性を示そうとしている人間がいるということである。その人間が現在のローマ法王レオ14世なのだ。日本人のほとんどが関心すら持っていないこの法王。彼は現代世界を考えるには不可欠な存在なのだが、そのことがほとんど日本では話題にならない。日本人の世界認識が非常に偏ったものであることを物語っているように思われてならない。

 現法王レオ14世は、初めてのアメリカ出身の法王である。その点で、しばしばトランプ大統領と比較対照される。なるほど生い立ちを見ても、成人してからの人生行路を見ても、そしてその根底にある思想と行いを見ても、これほど対照的な2人はいない。その2人がともに現代世界に君臨し、表に裏に影響力を放っているということは、確かに注目に値するのである。

 もちろん、このように言っても日本人のほとんどはピンと来ない。「トランプの影響力が絶大であることはわかるが、レオ14世にそれほどの影響力があるのか?ローマ法王は西洋の宗教の代表者であって、彼の影響力はせいぜいカトリック信者にしかおよばないのでは?」と思う人がほとんどだろう。だが、これは正しい見方ではないだろう。

カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂

 まず、全世界のカトリック教徒の総数が14億に達するということを知っておきたい。14億とは中国やインドの総人口に匹敵するが、それが1つの国ではなく、欧米はもちろんのこと、アジアやアフリカにまたがり、とくに中南米に集中していることを熟慮する必要がある。しかも、現法王レオ14世は、その高貴な人格と親しみやすさと深い思想とによって、カトリック教徒でなくても支持する人がかなりいる。このような人物については、日本人もよく知っておくべきだと思う。

(つづく)

関連記事