ローマ法王レオ14世──その世界にとっての意味──(2)レオ14世の立ち位置
福岡大学名誉教授 大嶋仁氏
レオ14世がカトリック教徒だけでなく、世界の救済を求める世界中の人々に支持されている理由は何か。彼がカトリックの教義の原点に立ち返り、「イエスの思想を現代的なかたちで実現しようとしているからだ」というのが正しい答えだろう。
そうなると、イエスの思想とはなにかということになるのだが、『新約聖書』を読めばそれがわかるにしても、私ならフランスの啓蒙思想家ヴォルテールの次の言葉を引用したい。ヴォルテールはカトリック教会を弾劾した1人だが、それは教会がキリスト教を腐敗させていると思ったからである。彼自身は一種の「隠れカトリック」だったともいえる。その彼はこう言った。「キリスト教の本質は慈愛と清貧に尽きる」と(『哲学書簡』1733年)。
このヴォルテールの言葉を聞けば、レオ14世がイエスの思想を忠実に実践しようとしていることがわかる。彼にとって、教会の掟よりもなによりも、イエスの指し示した道のほうが大切なのだ。
「慈愛」と「清貧」。この2つの言葉が彼の血となり、肉となっている。というのも、彼が理論としてのカトリック教を受け継ぐ代わりに、その根底にある精神性を感受し、その精神を生かして長い間南米ペルーの貧困地帯で宣教活動を行ったからである。彼はその土地の人々と一緒に暮らし、社会の下層に生きる人々の心を直接に知った。そうした稀有な経験が、今の彼をつくったのである。
ペルーの貧困地帯での20年にわたる経験は、現代世界の闇を生きる経験であったと思われる。この経験がきっかけとなって、将来は法王となるこのアメリカ人宣教師は、イエスの思想に目覚めたのにちがいない。
レオ14世を聖人視するつもりはないし、そうすべきでもないだろう。ただ、彼がペルーでの宣教生活で経験したものが、歴代のローマ法王の知らなかったところのものだということは言っておきたい。これまでの法王のほとんどは、知的に優れてはいても、人類社会のどん底を知らずに育った教会エリートだった。レオ14世はその点で真逆なのである。キリスト教徒でもない私がいうのはおこがましいが、彼こそは「真のキリスト者」であるように思われる。
アメリカ生まれのこの法王が、同時代のアメリカ人トランプ大統領と対照的であることはさまざまな人が指摘している。トランプといえば、イスラエルがガザ地区を占領し、その地に住むパレスチナ人を虐殺していることなどまったく意に介さず、「ガザ地区を中東のリゾートにしたらどうか」と平気でいえるような人である。自身の欲望を原動力とし、そのこと自体を自慢するようなタイプで、およそ羞恥心や倫理観が見られない。そういう人間が大富豪としてアメリカの頂点に立ち、世界を「我が物」にしようと叫ぶ。レオ14世の「慈愛」や「清貧」のかけらもないことは、いうまでもない。
そういうトランプでも、歴代のアメリカ大統領に倣って時として「God Bless America」(神よ!アメリカを祝福したまえ)という。これを聞いたら、レオ14世はなんと思うだろうか。「神に祝福されるべきは国家ではなく個々の人々であり、なかんずく貧困にあえぐ人々、病に苦しむ人々、社会から排除される人々である」と思うであろう。
レオ14世は戦争を否定し、人種差別を否定し、いかなる国家をも優先しないことを公の前で掲げている。だがそれ以上に重視しているのは、「弱者を蹂躙から守ること」である。彼はそうした主張を、自身の思想としてではなく、イエス・キリストの教えとして掲げる。自分は単なる「神のメッセンジャー」に過ぎないというスタンスなのだ。
そういう人間がトランプのような存在を見れば、「人類の多くの苦しみをまったく感じ取れない憐れな存在」と位置づけるにちがいない。法王レオ14世は、少数の金持ちがこの世界を日に日に牛耳っていこうとしていることを指摘し、糾弾もしているが、「自分は政治世界の人間ではなく、精神世界の人間であるから、政治が人間精神の領域をおかす場面においてしか発言しない」と明言している。
あるとき、法王がそうした発言をしたとき、ジャーナリストの1人がこう尋ねた。「法王の今の発言は政治的なものではないでしょうか?」と。すると法王は微笑みながらこう答えた。「いえ、政治的発言ではありません。でも、政治権力が人間の尊厳を脅かしたときに、それに抗議する発言をすることを、あなたが政治的だと捉えるなら、はい、私の発言は政治的だともいえるでしょう」と。
それにしても、同じアメリカが、同じ時代に、トランプとレオ14世という対極的な2人を生み出していることは、不思議な気もする。この2人の存在は、現代世界を象徴するもののように思えるのだ。
「いやあ、ローマ法王は正しいかもしれないが、現実を動かすのはトランプのほうですよ」という人もいるだろう。しかし私に言わせれば、その人がそう思うのは、連日メディアの流す情報ばかり追っているからである。一歩メディアの騒音から退いて、自らの心の内をうかがってみれば、そこにぽっかりと穴が開いている。その穴に気づけば、「人間には物質世界だけでは満足できない面がある」とわかってくるのだ。レオ14世の存在意義は、そうしたことがわかってこないと見えてこない。
(つづく)









